友だちはを告げる。









降らし













友だちはいつだって、必ずそこにいる。













上履きがない。
そんなことはもう慣れたと、サンジは平気で言える。
ただ、それを保護者である祖父に言えるかと言えば、それは違った。
物心つかぬころに親元から離れ、祖父と暮らすことになったサンジ。
サンジにとって、祖父は両親よりも自分に近い存在であり、尊敬する人でもある。
その祖父には、ただの一つでも不安を知られる訳にはいかないと思っていた。
育てて貰っている。それだけでも、自分にとっては十分なのに。
サンジは、明日の学校が憂鬱でならない。
上履きを履かないままでいたなら、当然先生は気付くはずだ。
先生は自動的に保護者であるゼフに繋がっている。
学校でイジメられているのかとゼフから問われる事は、サンジにとって苦手な虫を相手にするよりも恐ろしい事だった。
どうしようと、頭の中ではぐるぐる回るだけで何の解決法も思い浮かばない。
とぼとぼと歩く帰り道、サンジは真っ直ぐに家に帰る事が出来ずにいた。
サンジの家ももう目前である場所に、土地の半分に木が生い茂っている公園がある。
公園と言っても小さなもので、誰もいない淋しい場所だった。
昼間は陽の光で明るいが、日の沈む頃には街灯の頼りない灯火だけに照らされる暗い場所。
サンジは、風も無く揺れたブランコに吸い寄せられるように近付き、座った。
行ったり来たりを繰り返すブランコは、まさに今の自分だと思う。
空を上げると、前後する同じ景色に頭が痛くなる。気分が悪い。
夕日を薄っすらと覆う黒い雲が、自分の嫌いな色だと思った。
重力に任せ、かくんと頭を落とす。
足元も、空と同じく前後するだけだ。
どうしようもないのだ。
何とかしようにも、そんな力を子どもである自分は持ってはいない。
サンジはブランコの遠心力を利用して、前へ、遠くへ飛んだ。
ぶわっと、まるで空を飛んでいるような気分だった。
地面に落ちた時の痛む足と重力が自分を現実へ連れ戻す。
もう帰ろう。
そう思って立ち上がりかけた時だった。
滑り台の上に一人の男が立っている。
ボロボロのビニール傘を差し、空を見上げた男。
雨は降っていないが、例え降っていたとしてもあの傘では意味が無いとサンジは思った。
動かない男から視線を外す事が出来ず、サンジは足音を立てずに近付いていた。
滑り台の真下へ移動し、何をしているのだろうかと覗く。
男はただ空を見上げているだけだ。サンジの嫌いな、濁った夕日色の雲。
変なヤツだ。
サンジの正直な気持ちだった。関わりたくない。
最近は物騒な事件がテレビで流れている。
隣に住んでいる人が、実は変質者だっただなんて話は珍しくも無いだろう。
サンジは近付いた時と同じく、足音を立てずに離れようと思った、が。
「あ!」
思わず声が出た。
吃驚した様子もなく、男が振り返り、サンジを見下ろす。
サンジが声とともに指差した男の手元にあるのは、サンジの上履きだ。
今日、学校から消えていた上履き。
二足とも、小さなそれを男は片手で握っている。
男はのそりと自分の手元とサンジを見て、ああと声を漏らした。
じんわりと、沁みこむ様な心地のいい音だった。
「お前がメリー小学校3年2組のサンジ君?」













友だちは空を見ている。何かを願うように、そして祈るように。













上履きは公園のゴミ箱から拾ったと、男は言った。
「この公園は人が滅多に来ないからなぁ。」
バレないと思ったんだろうなと。
ありがとうと言って受け取るサンジは俯いたままだった。
男にはバレたと思ったのだ。自分が学校でイジメられていると。
何を言われるかと思い、サンジは早々に家に帰りたかった。
が。
「流行ってんのか?宝探しゲーム。俺もよくやった気がする。」
え?と男を見上げた。
全く表情と呼べるものを浮かべていない男は、はいと上履きをサンジに押し付ける。
サンジは戸惑うだけだった。
「そうだ。明日は雨だから、傘持って行った方がいいぞ。」
そう言って背を向ける男を、サンジは呆然と眺める事しか出来なかった。













「何時だと思ってんだ、チビナス!!」
サンジの頭と同じ位の拳が、頭の天辺にごちんと落ちる。
ごめんなさいと、小さな声で謝りサンジはぎゅっとズボンの裾を握り締めていた。
その様子に、サンジの祖父ゼフは溜息を付き、それ以上何も言わなかった。
ぐりぐりと乱暴にサンジの頭を撫で、風呂入って来いと背中を押す。
サンジは部屋に戻り、ゼフに見つからない様ランドセルの中に隠した上履き出した。
上履きをパジャマで包んで隠し、風呂場へ向かう。
そっと風呂場へ忍び込み、裸の身体とともに、捨てられていた上履きを洗った。
あの公園は滅多に人が来ないと、あの男は言った。
サンジは男のことが頭から離れない。
緑色の、見たこともない髪の色だった。
サンジは学校で、他の子どもと異なる髪の色が原因でイジメられ始めた。
「あの人も、イジメられてるのかなぁ。」
だから、あんな人の寄らない公園にいたのかなぁ。
使い古した歯ブラシで上履きを擦る。
目立った汚れはなかったが、何をされているか分からないので洗う事にしたのだ。
思えば、上履きはいい迷惑だったろう。
サンジが使っているから、それだけの理由でゴミ箱へ捨てられて。
思い、サンジは目を細める。
歯ブラシを持つ手に力を込めた。少し乱暴に擦る。
今まで、ばかばかしくて相手にしなかった。下らないと蹴っていた。
だから、今サンジの中にあるのは悔しさなんかじゃない。
周りの望むいい子でいようと思っていた。
祖父であるゼフに聞いた事はないが、問題を起こさないに越した事はないと思ったのだ。
「いい子ごっこは潮時かもしんねぇ。」
呟いて、その言葉に疲れを感じた。
ゼフはこんな自分を嫌いになるだろうか。ゼフはゼフ自身を責めないだろうか。
汚れた泡をつけた上履きを見る。
上履きを拾ったと言った男。
もう一度会えないだろうかと思った。
子どもの自分は、珍しい玩具を見つけたと思ったのかもしれない。
そんなことを思い、サンジは再び作業に戻った。
次の日は、男が言う通り雨が降った。













今日は傘。
柄の部分に名前を書いていたから、誰が見てもサンジの物だと分かるだろう。
男の言うとおり、傘を持って学校に出かけたサンジの帰り。傘は消えていた。
可哀相に、傘は身に覚えのないことだ。
サンジは大きく息を吐き出し、吸った。そのまま息を止めて雨の中を走り出す。
小さな身体全部に温い雨を受けながらサンジは走った。
ばしゃばしゃと地面を蹴って走る。
何も考えまいと思った。
暫くして、雨のため半分閉じていた目を少し広げると、公園が見えた。
昨日の公園だ。昨日、不思議な男のいた。
サンジの足は公園の入り口で止まってしまった。
止まろうと思ったのでなく、その場で急に力を失ったかの様に、ふと止まってしまったのだ。
空が晴れていればまだ陽は高いはずだ。
雨雲の作り出した、夜とは違う暗闇を纏った公園は不気味そのもので、サンジは躊躇いながら足を踏み入れる。
昨日、サンジが座っていたブランコを通り過ぎ、男が立っていた滑り台の下で雨宿りする。
人の気配はしない。
梅雨の湿気を含んだ空気と、濡れた服が皮膚に張り付き不快だ。
顔に纏わり付く濡れた髪に触れることはせず、サンジはずぶ濡れの犬の様に頭を振った。
少しはマシだろうかと、ふと顔を上げた先に見えたベンチ。
男はそこにいた。
ずぶ濡れのベンチに座ったずぶ濡れの男は、昨日と同じボロボロのビニール傘を差し座っている。
手元に手紙だろうか紙を持っていて、それを見ているようだ。
「あの。」
サンジは声を掛けた。
近づいたことに気付いていたのか、男は驚いた様子はなく、顔を上げずに紙を見ている。
手紙かと思った男の持っている紙は真っ白だった。
「あの、昨日はありがとう。」
男は動かない。
サンジは何とか男を振り向かせようと必死に話続ける。
「あの・・・傘も、傘も持ってろって、ホントに雨だったから。その、助かりました。」
いつものように、誰かに隠されてしまって今は持っていないのだけれども。
「あの、えっと。」
後は何を言えばいいのだろうか。
サンジはどうすればいいのか分からず、泣き出しそうだった。
もじもじと動き始めたサンジを見てか、やっと男は動いた。
じっと紙を見つめて俯いていた顔を上げただけだったけれども。
「あ。」
サンジは嬉しさか、声を上げる。
やっと男と話ができる。
「あの・・・あの、何で泣いてるの?」













ポロポロ、ポロポロ。それは雨だか涙だか。













男の涙は止まる様子がない。
ボロボロと涙を零し、座ったままの位置からサンジを見ていた。
見ていてこちらが哀しくなると、サンジは胸が苦しくなった。
涙を止めない男を見て、サンジは過去の自分と重ねる。
「お母さん、死んじゃったの?」
半年ほど前、サンジは母を亡くした。交通事故だった。
突然の母の死に、幼いサンジは混乱するばかりだった。
ただ、サンジの周りを埋め尽くす黒い服の大人たちをひたすらに怖いと思っていた。
怖くて怖くて、ずっと泣いていた。
サンジは少しだけ屈み、座ったままの男の目線に合わせる。
ちゃんと真っ直ぐに男の目を見た。
「大丈夫だよ。お母さんはね、雲からちゃんと見てるんだよ。」
だから泣いてたら悲しいんだよ。
そう言って思い出した母の笑顔に、サンジは涙を浮かべ始めた。
そんなサンジに、男は柔らかく微笑んだ。雨に濡れて可哀想な微笑だと思った。
「お前、母ちゃん死んだのか?」
「うん。」
そうかと、持っていた真っ白な紙をくしゃりと丸めポケットに詰め込み、その手を濡れたズボンで水分を拭いサンジの頭を撫でた。
「そりゃ、寂しいな。まだまだ泣けそうだ。」
「寂しくないよ、お母さんは雲にいるから。」
「雲?」
「天国!」
会えないけれど、そこはあるから。
サンジは笑った。強がりなんかじゃなく、そうなんだからと笑った。
「天国からはこっちが見えるんだ。だから、泣いてちゃ心配しちゃうよ。」
「・・・天国か。」
男は再び、そうかと言って、サンジの頭を撫でる。
雨で額にくっ付いていた髪の毛を、目に入らないようにそっと横に除けていた。
男の頬には涙の筋がいくつもあるが、これ以上零れることはなかった。
泣き止んだのだと、サンジはほっとする。
「もう平気?悲しくない?」
「まだ少し。でももう平気だ。今日は終いだ。」
そう言って、自分の着ているびしょ濡れのシャツで頬を拭う。
涙の筋は消えても、まだ濡れていた。
男が立ち上がる。つられ、サンジも立ち上がった。
「お終い?帰るの?」
「ああ。お前も早く行け、風邪ひくぞ。」
傘を持てと言ったろう?男は優しく言い、濡れているサンジの両頬を、濡れた手で拭う。
差したままだったボロ傘を畳み、男は空を見上げ、小さくなる雨の粒に目を細めた。
「寄り道は感心しないぜ。メリー小学校3年2組のサンジ君。」
「・・・名前。」
「昨日、上履き見つけてやったろ?」
覚えてくれてたのかと、サンジはぱっと笑った。
本当にこの男は宝探しをしていたと思っているのだろうか。
この男と思い、自分の名前を知っている男の名前を自分が知らないことに寂しさを覚えた。
「名前!俺にも教えて!」
「あ?何で?」
「俺の知ってるくせに、ずりぃよ!!」
「知られたお前が迂闊なんだよ。」
意地の悪そうな笑みを浮かべている男に、サンジは畜生と口を尖らせた。
そんなサンジに男は破顔する。
「俺はな、そうだな、」
言って男は目線を足元にやった。
それは迷っているような、とても哀しんでいるような仕草だった。
目元に優しさを残したままの男を、サンジを見つめる。
「俺は、お前たちの言う『雨』だ。」
「アメ?」
「ああ。」
「アメさん?」
「・・・ああ。」
ふーんとサンジが納得する様子を、男は困ったように笑って見ていた。
「じゃぁ、もう俺たち友だちな。アメさん。」
「友だち?」
大きく頷いくサンジを、不思議そうな瞳が映す。
「もう名前知ってるもんな。友だちな。」
嬉しそうなサンジ。
実際、本当に嬉しいのだ。サンジには友人と呼べる人がいなかったから。
何も答えないまま、じっとサンジを見つめる男に不安を覚える。
「アメさん。俺が友だちなの、嫌か?」
それはとても哀しい質問。出来る事なら答えなんて欲しくない質問。
男は、言葉の哀しみを飲み込むように目を閉じ、ゆっくりと口を開いた。
「メリー小学校3年2組のサンジ君。」
「・・・はい。」
「今のは嘘だ。」
「嘘?」
「名前。」
「アメさん?」
「違う。」
小学生の身長しかないサンジに、男は視線を合わせしゃがみこむ。
そして、今までのどこか憂いを含ませたものではない。
まるで晴れた空のように、雨の気配なんて全くない晴れ渡った空のように笑った。
「ゾロだ。ロロノア・ゾロ。」
二人の上、空は青色が覗き始める。小さくなった雨は、今はもう止んでいた。













友だち。ロロノア・ゾロ。住所不定。年齢不詳。持ち物、ボロ傘。職業、雨。













ロロノア・ゾロと名乗った男は、必ず公園にいた。
サンジは学校が終わると、真っ直ぐに公園へ向かう。
すると、そこにはボロ傘片手に空を見上げたゾロがいる。
ブランコに乗っていたり、滑り台の終わりで座っていたり。でも、必ず空を見上げていた。
だから。
「ゾロは何で空ばっか見てんの?」
そうサンジが聞くのは当然の流れだったのかもしれない。
ゾロは天国からの手紙を待っていると答えた。
サンジはそうかと頷き、ゾロがサンジと同じように母親が天国にいると思い込んでいるため、母親からの手紙を待っているのだと思った。
だからその日、自分にも手紙は届くだろうかとゾロに聞いた。
ゾロは困ったように笑った。
「仕事の手紙だから、そういうのじゃない。」
そう言ったゾロが、何かを思い出してか眉間を寄せる。頭が痛い人のように。
「楽しくないの?」
「楽しくねぇな。」
「捨てちゃえばいいのに。」
「読んだらな。」
「読まなきゃいいのに。」
「・・・仕事だから。」
やはりそう言って笑う。困ったように。
サンジはゾロのその顔も好きだったが、名前を教えてくれた時のように笑って欲しいと思った。
「お母さんも、仕事だから仕方ないって言ってた。だから参観日に来れないって。」
仕事。仕事。仕事。
大人の決まり文句だと、サンジは思った。ずるい言葉だと。
そう言えば、誰からも仕方のないことだと許してもらえる。サンジはその言葉が大嫌いだ。
そんなの知らないと、言葉を放つ母親にいつだって駄々をこねた。
「大人はずるい。」
「サンジ?」
「嫌ならやらなきゃいい。読みたくないなら読まなきゃいい。」
ゾロは笑う。また、あの顔だ。困った笑顔。
大人の大きな手で、サンジの頭をグリグリ撫でる。
「お前は正しい。」
ゾロに褒められて嬉しいけれど、何だか違うなぁと思う。
ぷうと頬を膨らますと、頭を撫でるゾロの手が更に強くなった。少し痛い。
やめろと首を捻り、ゾロを見る。ゾロは、無言で空を見上げていた。
真っ青な空から、ひらりひらりと白い紙が落ちてくる。
封筒だ。
何かの力が働いているのか、封筒は引き寄せられるようにゾロのもう一つの手に治まる。
ゾロは口を開かない。じっと静かにそれを見つめていた。
「読まなきゃいい。」
サンジは言った。ゾロは何も答えない。
「読みたくないんだろ、ゾロ。」
ゾロの哀しそうな顔は見たくなかった。
笑うのだって、どこか遠慮がちなゾロ。
でも、本当に笑った時の顔がサンジは忘れられない。嬉しかったのだ。
サンジに名前を教えてくれた、あの笑顔が忘れられない。
そんな、誰かを幸せにする笑顔を持っているのに。
手紙から目を反らさないゾロのズボンを、こちらを向けとぐいぐい引っ張る。
ゾロはいつものように笑った。あの困った笑みだ。
「でもなぁ、」
仕事だからと続く予感がして、サンジの顔は険しくなる。
何に怒っているのか、ぐっと歯を食いしばっていた。
そんなサンジを見て、ゾロは目元を綻ばせる。
何て真っ直ぐな子どもなのだろうと、少し羨ましいと思ったのかもしれない。
「困る奴がいるんだよ、これを読まなきゃ。」
ビリビリと乱暴に封筒を開いていく。中から折りたたまれた紙が現れた。
「水が飲めなくなるかもしれない。野菜が、米が育たないかもしれない。」
他にもいろいろあるなぁと、ゾロは何かを思い出すかのように空を見る。
「お前も困るんだぞ。」
サンジはわけが分からずゾロを睨むが、ゾロはそんなサンジを見て笑う。
優しい笑みだった。もう大丈夫と、抱きしめられているような。
「もう帰れ、サンジ。」
また、頭をグリグリと撫で回される。
「何でだよ。まだ明るいだろ。平気だ。」
「そうじゃねぇ。」
ゾロは再び空を見上げる。ずっと高く、高く。どこまでも、どこまでも。
「暫くしたら雨が降る。」













その雨は世界の哀しみを、そっとなぞる様な。













白い手紙には何も書いていない。
だから、封筒に入っていたのは真っ白なただの紙だ。
何も書いてねぇと、ゾロの手にあるそれを覗き込むサンジに、ゾロはこう言った。
「ここにはとても哀しいことが書いてある。」
どう見ても真っ白だ。何の痕も見当たらない綺麗な白い紙。
帰れと言ったのに、帰ろうとしないサンジをゾロは仕方なしに滑り台の下へ避難させ、自分は手紙を覗き込む。
サンジは自分の身長より随分と高いゾロの顔を見上げていた。
ゆらゆらとその瞳が動き出すのが見える。
どこかが痛んだように、くっと目を細め、落ち着かせようとしてか大きく息を吐き出した。
風が吹いた。湿った風だ。雨の季節なのだと思い起こさせるには十分な風。
その風を追うように、サンジが空を見上げると、真っ青だった空はどす黒く渦巻く雲に覆われている。
そして、ぽたり。また、ぽたりと雨が落ち始めた。
視線をゾロに戻すと、ゾロは手紙を眺めたまま静かに涙を流している。
心が遠くへ行ってしまっていると思った。
サンジは目の前で涙を流すゾロと、自分を包み始めた雨と生温い風に、なぜか胸が苦しくなった。
だから分かった。この雨はゾロの涙だと。だからこんなに哀しいのだと。
サンジはゾロから目を反らすことなく、泣き出していた。
雨が地面を叩くと硬い音が響く、暫くするとできた水溜りに落ち、水同士がお互い身体をぶつけ合って交じり合う音に変わった。
辺りは薄暗い。雨雲だけの影響でなく、陽が落ち始めたのだ。
「もう帰れ。」
ゾロはそっと言う。涙はやまない。
役に立たないだろうがないよりましだと、いつも持ち歩いているボロ傘をサンジに渡した。
「ゾロは?」
「もう少しここにいる。」
「じゃあ、俺もいる。」
ボロ傘を受け取るが開かず、サンジはゾロのズボンのポケットに握るように指を入れた。
ゾロはしゃがみ込み、サンジと目線を合わせる。そして、手紙を持っていない手で涙に濡れている頬を拭った。
ゾロの温かくて大きな手。サンジはこの手が大好きだった。
「メリー小学校3年2組のサンジ君。」
ビクンとサンジの身体が強張る。
ゾロがサンジをこう呼ぶ時は、絶対に言うことを聞かなければならない。
約束したわけではないが、サンジにそうしなくてはならないと思わせるには十分の力を持っている。
諦めたように、サンジは分かったと力なく答える。
「明日の昼にはやむ。また学校が終わったら来い。ここにいるから。」
困った笑顔じゃない。涙は止まらないが、サンジだけが知る優しい顔のゾロがそこにいた。
サンジは分かったと強く頷く。言われなくとも、明日も来るつもりだった。
「傘、返せよ。」
「こんなボロなのに?」
「う・・・愛用なんだよ。」
じゃあなと、ゾロは手を振る。サンジはゾロ愛用のボロ傘を差して、雨の中を歩き始めた。
公園を出るまでに何度も振り向き、その度にゾロに手を振る。ゾロもそれに答えた。
ボロ傘は下から覗くと穴が開いている。穴から雨が抜けて、雨漏りだと思った。
電信柱の真下を通ると、薄暗くなり始めた街を照らすために街灯が点き始める。
ボロ傘の穴から光が射し込んで、まるで雨上がりの空のようだった。
ボロ傘。ゾロの傘。サンジは嬉しくなって、ギュッと両手で握り締めた。
家に戻っても雨は止まない。
ゾロは明日の昼まで降ると言った。
初めて会った時も、その次も、ゾロの雨予報は驚くほどに当たっていたから今回もそうなんだろう。
ゾロの雨予報。
いや、この雨はゾロが降らせているのだ。この雨はゾロの涙なのだ。
哀しい事が書いてあると言ったあの手紙を読んで、ゾロは今日も雨を降らせたのだ。
今までもそうだったのだろうか。
サンジが見つけるずっと前から、ゾロはあの公園で手紙を読んで泣いていたのだろうか。
人の寄り付かない公園で一人空を見上げ佇むゾロを思い浮かべ、サンジは胸を痛めた。
雨の日は、少し哀しくなる。
きっとそれは、この雨が哀しくて泣いているゾロの涙だからなんだと、サンジは思った。
この雨は一晩中続く。ゾロの哀しい涙が一晩中続く。
サンジは机の引き出しから紙とペンを取った。
「じじい、紐くれ。」
「あ?料理用のがキッチンにあるだろ?」
「貰うぞ。」
「かまわねぇが、何に使うんだ?」
新しいレシピを執筆中の祖父に、サンジは子ども笑顔を覗かせる。
「てるてる坊主!!」
大好きな笑顔をくれるあの人の涙が、早くやめばいいと。













友だちは、いい子が好き?













ぶぅたれた顔のサンジに、ゾロはどうしたらいいのか分からなかった。
学校帰り、ゾロに会うためサンジはいつも通り公園へやってきた。が。
今日は全く喋らない。
「何?何かあったんか?」
ゾロは呆れ顔で聞く。本当は聞きたくないオーラ満載だ。
サンジは頬を膨らませたまま、何も答えない。ゾロは溜息を付く。
ボリボリと頭を掻き、まぁこんな日もありかと、さっさと諦めた。
それから暫く沈黙が続き、それに耐えられなかったのかサンジがやっと口を開いた。
「明日、社会見学がある。」
「あ?」
何それと、ゾロが興味なさそうに聞く。鼻でも穿り始めそうな雰囲気だ。
「バスに乗って、ちょっと遠いとこ見学に行くの。」
「へー。別にいいじゃねぇか、黒板相手より楽しそうだ。」
ゾロは分かってない。サンジは再び、ぶぅっと頬を膨らまし黙り込んだ。
「俺、行きたくない。」
「何で?」
再び沈黙。
サンジは迷っている。自分はその理由をゾロに言いたいのだろうかと。
実の祖父にさえ言えないことだ。自分はイジメられている。
社会見学なんて特別なことをすれば、また奴らは面白がってサンジに何かするだろう。
それが嫌で堪らない。
取り返した上履きは、今ではラクガキされて真っ黒だ。
なくなった傘は、真っ二つにポキンと折られて傘立てで見つけた。
教科書も、筆箱も。訳の分からない傷ばかりが増えていく。
そんな学校。
本当は、朝から晩までゾロとこの公園で話をしていたいんだ。
どうすればいいのだろうか。どうすれば、社会見学に行かなくて済むのだろうか。
「学校なんて、なくなればいいのに。」
「ん?まぁ、面倒臭いのは分かるな。俺も嫌いだったし。」
ゾロは笑う。
「でもお前、小3でそんなじゃヤバイぞ。この先長いのによ。」
そうだ。今逃げ出しても、小学校は6年まである。その後は中学。高校もだ。
もしかすると大学にも行かなければならないかもしれない。
遠い未来を思い浮かべ、サンジはぞっとする。
いい子ゴッコは潮時かもしんねぇ。
いつだったか、そう思った。近い未来、自分はそれを実行するだろう。
サンジの運動神経は悪くはなかったし、喧嘩はしたことはないが、それなりに力もある。
子どもの喧嘩を装って仕返しするくらい悪知恵も働く自信がある。
そうだ、いい子ゴッコは終わりだ。
サンジは膝の上に置いた手を、ぎゅっと握り締める。
「何だ?トイレか?」
ゾロはサンジの握り締めた手の上に優しく触れる。
決意と、自分をここまで追い込んだ相手への憎しみで強張ったサンジの身体は解けていった。
背の低いサンジはゾロの顔を見上げる。
ゾロは、この公園トイレないんだよと、見当違いなことを言っていた。
そんなゾロに嫌われてしまうことだけは嫌だと思った。
いい子ゴッコは終わりだ。
そろそろ自分の身を守ってやらなければ、調子にのった子どもは限度を知らない。
でも。でも、もう少し。もう少し待って欲しい。
ゾロに嫌われたくないんだ。だから、もう少しいい子でいさせて欲しい。
「ゾロ。」
「何だ?その辺の草むらでやってもいいぞ、俺見張ってるし。」
「ゾロ、明日。」
「明日?」
「明日。」
雨を降らせてくれないか?
「とびっきりのやつ。」
そうしたら社会見学はきっと延期だ。
野外での見学だと言っていたから、雨が降れば何とかなるかもしれない。
ゾロは黙ってサンジを見つめた。
この目を反らしてしまってはダメだと、サンジはゾロを見上げている。
そんなサンジに、ゾロは溜息を付いた。
「残念ながら明日は、とびっきりの晴れだ。」
「ゾロは雨を降らせることができるんだろう?雨にしてくれ。」
「手紙が着てない。」
「手紙が無くたって泣けるだろ?嘘泣きでいいんだ!」
その言葉にゾロは黙った。そして。
「嘘泣きなんてしちゃダメだ。神様は見てるんだぞ。」
小さな子どもに言い聞かせるようなゾロの物言いに、サンジは腹が立つ。
「神様なんていねぇよっ!」
「・・・天国はあるんだろ?」
「天国はある、でも神様なんていねぇ!」
神様がいるなら、いつだって助けてくれるじゃないか。
「神様は正義の味方じゃねぇだろ・・・。」
無茶苦茶だなぁ、お前。
サンジは呆れ顔のゾロが憎くて堪らなかった。
何も知らないくせにと。何も語ろうとせず、サンジは一方的にゾロを責めた。
「明日、雨にしろ!」
「だから、明日は晴れだっつってんだろ。」
「雨にしろ!!」
駄々を捏ねる子どもと、困った大人。
ピリオドを打ったのは子どもだった。
「明日雨にしなかったら、ゾロなんか嫌いになるんだからなっ!!」
サンジは走り出した。呼び止めるゾロを無視して、家まで真っ直ぐに走った。
鍵の掛かった玄関を急いで開き、隙間から滑り込んだらまた閉じる。鍵を掛ける。
そのままその場に座り込んだ。まるで溺れていたように、必死に酸素を求める。
梅雨独特のじんわりとした嫌な空気が汗とともにサンジを舐めた。気持ちが悪い。
ゾロに酷い事を言った。自覚はあった。
でもこれで、ゾロがサンジの我侭を聞いてくれる可能性は増えただろう。
もしかすると、サンジに言われた事がショックで泣いてしまうかもしれないと思った。
そうしたら雨だ。
サンジはごめんなさいと思うと同時に、成功を願っている。
それでも。
明日、雨が降らなくとも、サンジが思うとおり降ったとしても。ゾロに謝ろう。
ちゃんとごめんなさいと。
ピリリと痛む胸に、サンジはぎゅっと力を込めた。













雨の降る日はちゃんと決められている。
一年にこれだけ。この日、あの日。
もし誤差が生まれても、プラスマイナスゼロに戻すように巧く調整される。
でも、それはゾロの仕事ではない。
ゾロの仕事は決まった日に雨を降らせること。
勝手は許されない。
しかし。
『明日雨にしなかったら、ゾロなんか嫌いになるんだからなっ!!』
サンジのあの一言。
思ったよりも自分にはダメージがあったのかと、ゾロは一人溜息を付いた。
たかがたった一人の子どもの我侭。
ゾロはサンジに出会うまでだって、ずっとこの仕事をしてきた。たった一人で。
ああそうかと、ゾロは空を見上げた。
たった一人でいたからなのだ。
だから、たまたま懐いてきた小さな子どもが特別になってしまったのだ。
嫌いになったならきっと会いに来なくなるだろうと。ゾロはとても淋しく思った。
嘘泣きなんてしたことはない。
手紙も無く、泣くことなんてなかったからだ。
あの手紙にはこの世界のどこかで起きた、とても哀しい事が綴られている。
ゾロはたった一人だから、それを知るときだけが哀しみだった。
こんな自分にも哀しみがやってきた。小さな、あの子どもが連れてきたのだ。
手紙が届いていないのに、泣いてしまったらどうなるのだろう。
自分が涙を流せば雨は降る。しかし、嘘の雨は絶対にばれるだろう。
ばれた時、自分はどうなるのだろう。
きっと罰を受ける。そうなれば、あの子どもに会えなくなるだろうか。
雨を降らせても降らせなくても、どちらにせよサンジに会えなくなるのだとゾロは胸の隙間を誤魔化すように笑った。
いつも持っているボロ傘を開いてみる。
一本の骨の先に、てるてる坊主が吊るしてあった。
サンジに貸した次の日、返す前にサンジが目の前で付けた物だ。
ゾロが泣いてるのは嫌なんだと、ニコニコ笑いながら括り付けていた。
ぶら下がるてるてる坊主を指で弾く。
力なく揺れる姿がマヌケで、少し淋しい。
「俺が泣くのは嫌なんじゃねぇのかよ、メリー小学校3年2組のサンジ君。」
もう会えないのなら、サンジの願いを叶えるべきだろう。
彼のために何かしたいと思うのなら。
ゾロは空を見上げた。ボロ傘に空いた穴から覗く雲が獣のように唸り出す。
雨雲を呼ぶ。
聞こえるか?俺はこんなに哀しい。
あの子どもに会えなくなると思うと、涙は止まらないだろう。
「サンジ。」
もう大丈夫。ほら、空を見てみろよ。真っ暗だ。
「明日は、とっておきの雨だ。」













君のために泣く。君を想って泣く。僕は、君に逢えなくなる僕を想って泣くのだ。













社会見学は延期になった。
それどころか、大雨警報のため学校は休校だ。
ゾロは自分の願いを聞いてくれた。
サンジはそれが嬉しくて朝から笑顔だ。
「チビナス。てめぇ、学校が休みだからってヘラヘラ笑ってんな。」
「うっせぇよ、クソじじぃ。俺は今すげぇ嬉しいんだ。」
乱暴な口調とは反対に、笑顔を崩さずサンジは言う。
そんな様子に、ゼフも薄っすらと口の端を持ち上げていた。
外は雨だ。大雨だ。
ゾロはやっぱり泣いているんだろう。それもたくさん。
公園で一人空を見上げて佇むゾロ。サンジはその姿にきゅっと目を閉じる。
ごめんなさい。そう思うのに、今は嬉しさでいっぱいなのだ。
お礼を言いに行かなければならない。
学校が休みな分ゾロと沢山喋れると、サンジは玄関へ向かった。
しかし。
「警報が出てるのに、外に出るやつがあるか。」
何のために学校が休みなんだと思ってるんだと、ゼフに止められ外に出ることはできない。
サンジは結局、雨が上がった夕方に公園へ向かうことになった。
長靴を履いて走る。
バシャバシャと自分から水溜りへ飛び込みながら公園へ進んだ。
サンジの左手にはてるてる坊主がぶら下がっている。
以前、ゾロのボロ傘に付けたてるてる坊主は紙でできているので今回の雨でぐちゃぐちゃだろうと思ったのだ。
こうやって、雨が降るたびに新しくしよう。そうすればずっとゾロといれる。
ぶらんぶらんと元気良く動くてるてる坊主。
勢い良く蹴り上げる水溜り。
見慣れた雨上がりの公園。
「ゾロ!」
大きな声で名前を呼んで、サンジは公園へ飛び込んだ。
しかし、そこにゾロはいない。
「ゾロ?」
滑り台へ近付く。ブランコの後ろの茂みも覗く。
「ゾロ、いないの?」
隠れられそうな場所を隈なく捜す。すると、いつものベンチに見慣れたボロ傘が倒れていた。
濡れてぐちゃぐちゃのてるてる坊主が紐で繋がれている。間違いなくゾロの傘だ。
サンジはそれを拾い上げる。
「ゾロ・・・。」
急に不安が広がる。
『嘘泣きなんてしちゃダメだ。神様は見てるんだぞ。』
ゾロはあの時そう言った。
サンジは息を飲んだ。
そうだ。天国から母はいつだって自分を見ている。
神様が天国の王様なら、神様だって天国からいつだって自分を、ゾロを見ているのだ。
神様はいい子が大好きだ。だから嘘は嫌いだ。悪い子なんてもっと嫌いだ。
「ゾロ!?」
サンジは駆け出した。決して大きくはない公園の中を駆けずり回った。
公園を出て、学校までの道を走った。
近くの神社も、溜め池も。思いつく限り走り回ってゾロを捜した。
雨上がりのぬかるんだ土が、幼いサンジの体力を奪う。
コンクリートによって水捌けの悪い道もまた、サンジの体力を奪うばかりだった。
そして、どこへ行ってもゾロは見つからない。
夏が近いためか空はまだ幾分明るいが、もう遅い時間だろう。
大雨の後だからだろうか、道には誰も歩いていない。
サンジは泣きながら公園へと戻った。
ゾロとはこの街でもここでしか会った事はないのだと、そんな薄っぺらな関係の自分達に涙を流した。
「友だちなのに。」
友だちなのに、何も知らない。大好きなのに、何も知らない。
サンジは声を堪えながら泣いていた。
こんなに泣いているのだから、雨が降ればいいと思った。
でも、雨は降らない。
サンジは憎々しげに空を見上げて叫ぶ。
「降れよっ!雨降れよっ!!俺、泣いているだろ!!」
必死に喚き散らした。そして、ボロ傘を抱きしめて蹲る。
「ゾロぉ。」
こんな事なら、雨を降らせてくれなんて頼まなければよかった。
ゾロの前ではいい子でいようなんて、欲張らなければよかった。
サンジはゾロのボロ傘を強く強く抱きかかえ慟哭した。
だから、そんな自分の後ろに誰かが立っているだなんて思わなかったのだ。
「おいこら、俺の傘を潰すな。」
聞きなれた心地よい声にサンジが勢い良く振り向くと、そこにゾロがいた。
「愛用のだっつったろ。壊れる、返せ。」
泣き喚いている子どもに慰めるでなく無愛想に言い放ち、サンジの抱えていたボロ傘を上から引き抜く。
この一見優しくない態度はまさしくゾロだ。
「ゾロ。」
サンジはボロボロと涙を垂れ流しながら、立っているゾロを見上げ名前を呼ぶ。
「何だ?」
涙でぐちゃぐちゃのサンジの顔を真正面から見ても、ゾロの口調は変わることはなかった。
「ゾロ。」
「だから、何だ?」
質問に答えず、サンジはゾロの長い足にしがみ付き、再び泣き叫んだ。
名前を何度も呼び、ごめんなさいと言った。
ゾロは、名前を呼ばれる度に返事を返し、謝るサンジの頭を柔らかく撫でた。
空が本格的に暗くなる頃、サンジはやっと泣き止んだが、ゾロの足からは離れなかった。
「雨、ちゃんと降ったろ。」
「うん。」
「そんなに社会見学が嫌だったのか?結局は行くことになるのに。」
サンジはぐっと下唇を噛み、口を噤むが、意を決しゾロを見上げた。
「俺!」
「?」
「俺、学校でイジメられてて・・・それで、」
「何だそりゃ?お前喧嘩弱いのかよ。」
「違うっ!俺だって本当は強ぇんだっ!!」
でも。
「でも、ジジィに迷惑かけちゃダメだから、いい子にしてなくちゃダメで。」
「はぁ?」
「ゾロだって、きっといい子じゃないと嫌いになるんだ!」
だから俺・・・と、また瞳いっぱいに涙を溜める。
そんなサンジにつられてか、自分の涙腺も緩み始めたのをゾロは他人事のように感じていた。
「こんの、アホ眉毛。」
「あぁ?!」
「誰も、いい子ちゃんのお前が好きだなんて言ってねぇだろが。」
そうなのだけれども。
「そのジジィはともかく、まず俺はお前が好きだとも言ってねぇし。」
「う・・・。」
ゾロの言葉にサンジの瞳は更に揺れる。もう泣き出すだろう。直にでも。
歪むサンジの顔にゾロは笑う。愛しくて、とても尊いものだと思って。
「俺とお前は友だちだよな。」
大きく頷いたサンジの目から、ぼろりと涙が一粒落ちる。
「おいおい、泣くのはまだ早ぇだろ。」
泣くところは今からなんだよ。
「お前、俺のこと好きか?」
「うん。」
「そっか。」
ゾロは優しく笑う。サンジの大好きな、あの日名前を教えてくれた時の笑顔。
「俺な、昨日の夜から雨降らすために手紙がないのに泣いたんだ。」
嘘泣きなんてしたら、きっともうここにはいれないと思いながらも、自分は泣いた。
「お前にもう会えないかもしれないんだなって思って、泣いたんだ。」
サンジはその言葉に、涙をもう一粒落とした。
唇を結ぶことで漏れそうな震えた声を必死に塞き止めていた。
「嘘泣きなんてしちゃダメだよな。嘘はいけねぇ。」
「うん。」
それでも。
「でもよ、それって嘘泣きなんか?」
「え?」
ゾロは意地悪げに笑っている。してやったりと、神様に舌を出すように。
「よかったな。俺、本当にお前のこと想ってたんだな。」
サンジはしがみ付いたままゾロを見上げるばかりだ。理解していないのだろう。
そんなサンジが、ゾロは何ものにも変えがたいほど愛しい。
ゾロは張り付いたサンジをそっと剥がし、しゃがみ込んでその腕の中で力いっぱい抱きしめた。
「俺、お前のこと大好きだ。」
本当はいい子じゃないと言っても、図々しいくらい我侭でも。
ゾロはサンジが。このたった一人の小さな子どもが特別なのだ。
だって、サンジを思って流した涙は嘘なんかじゃないのだから。
大きな腕で抱きしめられて、サンジは再び大声で泣き出した。今度は嬉しくて泣いた。
俺も好き、大好きと、鼻の詰まった声で何度も何度もゾロに言った。
何て心地よい想いなのだろう。
そう思い、ゾロは静かに涙を流した。
夜の空から柔らかく雨が降り出す。小さな雨粒。絹の様な雨粒。
これは哀しい涙じゃない。
だったらこの雨は、哀しい雨なんかじゃない。
ゾロは温かい雨に包まれて、これからやってくるだろう夏の風を思い浮かべた。


















「雨降らし」end










梅雨でございます。企画でございます。どうも、帽子屋でございます。←それはどうでもよい
はい、梅雨に企画って珍しいような気がしますねってことで、今回の企画となりました。
あれ?あってますよね?ゆんさん、ミナトさん。(うろ覚えかいっ!!)
梅雨のお話のつもりなのですが、ジメジメっとした感じが分かりにくいですね。ごめんなさい。
世界のどこかでこんなことがあるのかもしれないって、流しながら目を通して頂けたなら幸いです。
随分と今回浮気に走りましたが、とても愛しく思っている妄想です。
そして、今回の企画がなければきっと形にならなかったろう妄想。
ゆんさん、ミナトさん、目を通して下さった方、ありがとうございます。
これからも遊んでやって下さい。うへへ。←厭らしい子

帽子屋