綺麗な色を見つけたんだ。

阿修羅姫










1.赤鬼

「ねーねーサンジ君ってばー、聞いてよー。」
閉店時間は随分と前に過ぎている。
皺一つない真っ白なテーブルクロスに、その真っ赤な頭をゴロゴロ乗せて。
大の男がガキのように駄々をこねる姿。
「帰れよ、てめぇ。」
片付かねぇんだよと、タバコを銜えたまま器用に喋るのは、この店の見習いコックであるサンジだ。
「ちゃんと俺の話聞いてくれたら帰るよ。」
いい子だもーん、などとふざけた口調。
シャンクスと名乗った赤髪の男は、ニヤニヤと厭な笑みを浮かべたままサンジを見ていた。
ここ数日、シャンクスは閉店間際の店にやってきては、こうしてサンジに絡んでくる。
昔なじみの知り合いなどではない。店の常連客というわけでもない。
ある日を境にふらりとやってきては、こうしてサンジに話しかける。
「てめぇの話はもう聞いた。断ったはずだ。」
「いやーん、イケズなサンジ君。」
「・・・お前とは会話にならん。」
「やだやだー、もっとお話ししよーよー。」
その口調からもシャンクスは楽しんでいる。
それが分かるからこそ、サンジの苛立ちは増すばかりだ。
「さっさと帰れ。」
「ダーメ。サンジ君が俺と一緒に来てくれるなら、いいけどねー。」
「だから、断っただろーが。」
大体、どこに行くかも何をするのかも男は喋らない。
ただ一言。
『俺と来い。』
そんな言葉で、はいはいと付いていく人間がいるのかと、疑問すら浮かぶ。
そしてそれ以上に。
「お前は胡散臭いんだよ。」
失礼しちゃうわーと、シャンクスは頬を膨らました。
この男は危険だ。
はっきりとではないが、サンジの何かが告げるのだ。
この男に関わってはならない。それこそ、命を落とすような。そんな危うさ。
バラバラに散らばる血のような真っ赤な髪と、右肩から下のない腕。
目の前の男の目が決して笑っていないことを、サンジは出会った頃から知っている。
この男は危険だ。
サンジは気丈に振舞っているつもりだが、男を目前にするといつだって背中に汗をかいているし、グラスを磨く手は震える。
「俺だってねー、サンジ君。」
ビクンと、サンジは自分の胸の奥が震えたのを感じた。
心臓の音がいつも以上に煩い。血液が沸騰するような。
「こんな面倒なことはゴメンなわけだ。」
いつものふざけた口調ではなく、怒りを秘めた口調でもなく。
何も感じさせない。突き放したような。
そうだ。何の感情もない。虫けら相手の、そんな。
ゴクリと、サンジは唾を飲み込んだ。
目の前の男が、恐ろしいバケモノのように見える。
「でもさー、ウチの姫さんがねー!」
サンジ君を気に入っちゃったのよーと、急にいつもの空気を纏った。
「だからねー、俺と来てよー。」
俺、姫さんに嫌われちゃうよー。
サンジはこの男が嫌いだ。
この男を目の前にすると、恐ろしくて身体の芯が震える。
燃やし尽くされて、塵も残さず灰になる。
きっとまともな商売をしていないのだろう。
自分の知らない、自分と全く関わりのない世界で生きている人間なのだと。
そう思わせるから。
だから絶対に男の話に耳を傾けてはならない。
頷いてはならない。
















2.黒鬼

ある所に欲張りなお姫様がいました。
お姫様は綺麗なものが大好きです。
気に入ったものは、家来に何だって持って来させます。
家来はお姫様がとても大事だし、大好きだったので、何だって揃えました。
ある日、お姫様は初めて人間が欲しいと思いました。
キラキラ太陽のような金髪と、限りなく闇色に近い青い目の男でした。
男は王子様でも、勇者様でもなく、ただの見習いコック。
お姫様はコックを城へ呼び寄せようと、家来を遣いに出しますが、
コックもコックの周りも身分違いだと断ってしまいます。
しかしお姫様には関係ありません。
とうとうお姫様は痺れを切らし、コックを攫いにやって来ました。


「で、これは何でしょうか?」
目の前の黒尽くめの男は出されたブラックコーヒーを優雅に啜っている。
いつもの閉店間近の時間帯。
シャンクスがやって来ないと思ったら、この男がやって来たのだ。
「絵本だ。」
「はぁ。」
そんなものは見たら分かる。
しかし、目の前の男の異様さにサンジの口は開くことを拒否していた。
「赤髪の男。」
シャンクスのことだろう。
「昨夜も来たであろう。」
「・・・はい。」
「貴様があの男の話に耳を貸さぬのは、正しい。」
「はぁ。」
「あの男には常識というものが備わっておらん。」
閉店間近で居座るアンタはどうなのだとは、あえて言わない。
「さぞかし不快な思いをしたことであろう。」
確かに、とてつもなく不快でした。サンジは顔に出さない様、そっと思う。
「安心しろ、あの男はもう来ない。」
「え、本当ですか?実は毎晩困っていたんです。」
ありがとうございますと、サンジは笑顔で頭を下げる。
が。
「だから、俺と共に来い。」
「は?」
現状は一向に変わらず。
黒尽くめの男はミホークと名乗った。
立場的には、毎晩サンジの店に通っていたシャンクスと同じなのだと言う。
「あの・・・この、姫様がどうとか言う絵本ですけど。」
「うむ、絵本だ。」
「はぁ、えっと。これはどういう・・・?」
うむと、ミホークは頷く。
「俺が書いた絵本だ。」
「あ。そうなんですか。」
そうとしか答えられないでしょ!??
この男とはどうも会話がかみ合わない。
「赤髪の。」
「はい。」
「あの男が姫と呼ぶ者が喜ぶのだ。」
「はぁ。」
「だからこうして書く。」
そうですか・・・。
シャンクスも特殊だったが、この男も特殊だ。
「新作だ。」
「はぁ。」
もう本当にどうにかして下さい。
「あの、本当に迷惑してるんです。」
サンジはとうとう口にしてしまう。
そうしなければ、全く話しが進まないと判断したのだ。
男は、ミホークは鋭く静かな、鷹の様な瞳でサンジを見ている。
この男も恐らくまともではない。
サンジの読みは強ち外れてはいないだろう。
研ぎ澄まされた漆黒の瞳。
こいつは視線だけで人を殺すことが出来ると、そんなことを思った。
しかし、ここで退くわけには行かない。本当に、いい迷惑なのだ。
「何を言われようとも、俺はどこにも行きません。」
だからもう、と言葉を続けようとしたサンジを、ミホークはその視線で制した。
「愚か。」
サンジは、自分の心臓が冷たくなる様な感覚に襲われる。
目の前の男が、恐ろしい。
シャンクスの時に感じた恐怖に似ていが、ミホークは冷たい。
とにかく冷たいのだ。呼吸さえも止めさせる、凍える恐怖。
「貴様に選択肢などない。」
貴様は一刻も早く自分の置かれた立場というものを理解すべきだ。
ミホークの視線は、どこまでも真っ直ぐにサンジを貫いた。
「もう一度言う。」

最早、貴様に選択肢などない。
















3.阿修羅姫

その日は朝から厭な予感がしていたのだ。
華やかな町の地下、腐った匂いで満たされた暗く狭いトンネルを、サンジはひたすら走っていた。
なぜこんな目に合わなければならないのか。
そんなことを自分に問うても、何かが変わるわけではない。
生き延びるためには、自分は逃げなければならない。
後ろに迫る影からは足音はない。
影との距離がどのくらいなのかは分からないが、振り切れたとは思えなのだ。
振り切れたのなら、この震えはきっと止まるはずだから。
初めは何も変わりはなかった。
いつも通り、サンジは閉店した店の片付けをしていたのだ。
そんな中、またあの掴み所のない隻腕の赤髪や、獲物を睨みつける鷹の様な黒い男がやってくるのかと正直うんざりしていた。
しかし、やってきたのは彼らではない。
黒いアフロ頭に、真夜中にサングラス。
スラリとした細い体の線に、黒いトレンチコート。
くちゃくちゃとガムを噛む姿が、シャンクスやミホークには感じなかった下品な印象を与える。
そんな男だった。
「あの、申し訳ないのですが、店は閉店しておりまして。」
毎晩繰り返される訪問と同じ時間帯。
サンジはその男も恐らくシャンクスやミホークと同じなのだろうと思った。
しかし、二人とは感じる空気が違う。そこに違和感を感じた。
男はサングラスを外さず、ねっとりとした動作で店の中を見回し、サンジに目をやった。
まずい。そう思った。
「赤鬼と黒鬼はいねぇみたいだな。」
シャンクスとミホークのことだろうか?
「好都合だ。」
奴らがいちゃ面倒だしな、男は一人ブツブツと呟く。
ガムを噛む、くちゃくちゃという音がとても耳障りだ。
「で、あんたがアレか?」
「え?」
「あのガキに目を付けられたって奴か?」
「ガキ?」
男が何を言っているのか理解できず、サンジは眉を寄せる。
そんなサンジに、男は隠すことなく苛立ちに顔を歪めた。
「赤鬼と黒鬼が毎晩ここに来るのを見てんだよ。」
「シャンクスとミホークって男のことですか?」
知ってんじゃねぇかと、男は唾を飛ばしながら怒鳴る。
「てめぇ、あいつらに毎晩何を言われてた?」
「え?・・・俺に付いて来い、とか。」
「やっぱりな。」
「やっぱり?」
「やっぱり、お前が俺のターゲットだってことだ。」
ニヤリと厭な笑いを浮かべたかと思うと、男はサンジの視界から突然消えた。
来る!
本能的だろうか、サンジが後ろへ跳ぶと今までいたその場所がボンッと音を立てて破裂した。
「え?」
「何のことか、分かんねぇって面してやがるな。」
でもまぁ、知らなくていいことってのもあるんだぜ?
「知る権利ってのは、誰しもが持ってるもんじゃねぇんですか?」
言うねぇ、素人が。
男はピューっと口笛を吹く。
「てめぇの知らねぇところで、てめぇを気に入っちまった奴がいた。」
男は見下すようにサンジを見て言う。
「そいつがとんでもねぇバケモノで、いろんな奴から恨みを買っていた。」
「バケモノ?」
「そうだ。奴を相手にするにゃ厄介だ。」
何たって、相手はバケモノ。
「だから。」
こうなるってわけだ。
パンッと、先ほどより小さな破裂音が足元で響く。
「っはぁ?!俺、全く関係ねぇじゃねぇか!!」
「ああ、その通りだ。お前からは、な。」
それでも、お前は殺される。
「安心しろ、一瞬で吹っ飛ばしてやる。」
「ふざけんなっ!」
そして、サンジは逃げている。
自分の吐き出す煩い呼吸音と、汚水を撒き散らす足音。
すべてが今までになかったことばかりだ。
どうしてこんな目にあうのだ。
自分を気に入ったという、それは何なのだ。
「とにかく、逃げなきゃなんねぇ。」
そうだ。自分は何のために生きている。夢のためだ。
料理人になる。そのために生きているのだ。
毎日、誰よりも早く店に顔を出し、誰よりも早く下拵えをする。
誰よりも上手くなるために、いつだって料理で頭が一杯で。
誰よりも早く認められるために、遅くまで残って片付けをする。
何のためにここにいる。
「こんな訳分からねぇことで、死んでたまるかっ」
サンジは奥歯を、血が滲むほど噛み締めた。
しかし。
「しかし、世は無常。」
突然、真後ろからあの男の声がしたと思うと、右足を衝撃が襲った。
「がぁっ!」
激痛が走る。
パンパンと小さな爆発音がトンネルに響いた。
カラクリは分からないが、男のあの破裂させる攻撃だ。
「・・っ痛ぇ・・。」
「そりゃそうだろ、血が出てる。」
汚水塗れの地下の道。倒れこんだサンジを、男はゆったりと見下ろしていた。
「可哀想になぁ。お前が逃げるからだぞ、攻撃しちまった。」
「殺すなんて言われりゃ、誰でも逃げるだろ。」
痛くしねぇって言ってやったろ?
何の感情も見えない。否、男は普通過ぎるのだ。
こんな場所で、血塗れの足のサンジを目の前に、平然と。
これが男の日常なのだ。
「頭がトべば一瞬だ。安心しろ。」
「マジでふざけんなよ、てめぇ。」
窮鼠猫を噛む。
くそったれと、サンジは男を睨み付けた。
すると、男が何かに気付いたように、ふと笑う。
「ああ、こりゃ。あのガキが気に入るはずだ。」
ガキ?
そう言えば、初めもそんなことを言っていた。
「その目ン玉。こんな暗がりでもよく見えらぁ。」
目?
「いい色してんじゃねぇか。」
色?目の色?
「何色ってんだ?ん?そりゃよぉ。」



「何色でもねぇよ。」



リン、リンと。
針のように鋭い音が、数回聞こえる。
声の主は子ども。
まだ声変わりも迎えていない澄んだ音が響くが、どこからなのか分からない。



「それにはまだ名前がねぇんだから。」



リン、リン、リン。
近い。



「こんばんは、サンジ。」



サンジはゆるりと、重い首を持ち上げる。
見上げれば、天井に少年が立っていた。
赤い着物を羽織り、まるで新しい玩具を目の前にしたような、嬉しそうな笑顔。
両手足に飾られた紐の先に鈴が二つ付いている。少年が動く度に、リンと音がする。
こんなに近くにいるのに、気が付くまで鈴の音は聞こえていなかった。
そして、少年は天井に立っている。
重力に逆らって、天井に足をしっかりついて立っているのだ。
「てめぇ・・・まさか、」
「え?」
サンジを見下ろしていた男の様子がおかしい。
金縛りにあっている様に、身体中が微かに震えているのが見える。
先ほどまでのサンジと同じだ。
絶対強者を目の当たりにした恐怖。
「シャンクスとミホークは嫌いなのか?」
「は?」
少年は男など全く視界に入っていないと言わんばかりに、サンジに話しかける。
「ああ見えても、いいとこあるぞ。」
優しいしと、少年は微笑んだ。
酷くこの場に似合わない笑み。
そして、そのまま腰から吊るしていた不似合いな刀をゆっくりと抜く。
紅色の鞘、金で装飾された柄には龍だろうか、今にも動き出しそうなそれ。
「足、そいつがやったのか?」
「え・・・ぁ、あぁ。」
「ごめんな。俺が店に着いた時、サンジはもういなかったんだ。」
「え?いや・・、あの・・」
「でも、もう大丈夫だからな。」
俺が守ってやるからな。何からだって、神様からだって。
そう言って少年は笑う。
ゆっくり近付いて来ると、徐々に少年の顔がよく見えた。
見たこともない緑の髪と、紅蓮の瞳。
透き通るような肌。繊細な顔立ち。
サンジが少年に見惚れていると、グシャリと何かが崩れる音がした。
「え?」
サンジの目の前に立っていたあの男が、人としての形を残さず砕かれている。
ヒラリと刀を煌かせ、少年は嬉しそうに舞う。
何かの儀式の様に。美しい舞を舞う。
そして、その舞が、この少年が。男を一瞬にして跡形もなく。
込上げてくる胃液を、サンジは躊躇いなく吐き出した。
五感の全てが、死に直面したためか研ぎ澄まされている。
そんな中、人とは呼べぬ塊を見せ付けられた。
サンジ自身、気を失わないことが不思議だった。
「これもな、斬った瞬間は綺麗なんだ。」
何を言っているのだと、サンジは驚愕の目で少年を見つめる。
「でも、地面に落ちたら、ただの生ゴミだよな。」
そう言って笑う。
異様だ。
こんなことは、サンジの暮らす日常にはあってはならないはずなのに。
「さぁ、サンジ。」
こんなことは。
「帰ろ。」
こんなこと。
「俺と一緒に。」
決して、あってはならないはずなのに。
















アル所ニ欲張リナオ姫様ガイマシタ。

オ姫様ハ綺麗ナモノガ大好キデス。

アル日、オ姫様ハ初メテ人間ガ欲シイト思イマシタ。




「姫がさー、サンジ君のことを気に入っちゃったのよー。」




オ姫様ハコックヲ城ヘ呼ビ寄ヨセヨウト、家来ヲ遣イニ出シマスガ、

コックモコックノ周リモ身分違イダト断ッテシマイマス。





「だから、断ったろーが。」





シカシオ姫様ニハ関係アリマセン。





「最早お前に選択肢などない。」





トウトウオ姫様ハ痺レヲ切ラシ、コックヲ攫イニヤッテ来マシタ。





「さぁ。」
















決して振り払えぬ腕を。サンジへ向けて、少年が伸ばす。
リンと。
その場に似合わぬ可愛らしい鈴の音が、微笑む様に木霊した。
























阿修羅姫

end



ゾロという名前が一度も出てこないことにビックリ。
また、こうして形に出来て嬉しいです。
2007.8.29