しんとしている。
終わりとは、騒々しく去っていくわりに音がない。
誰かが何かを叫んでいるのに、もう自分とは別の世界のできごとの様に。遠くのできごとの様に。
今、目を閉じたら終わりだ。
もうここへは帰ってこれない。引き返すことのできない一本道を進むだけ。
なぜ、こんなことを知っているのだろう。
約束。きっと会おう。約束だ。待っていよう。
暫くの別れなど、もう大人なのだから我慢できるだろう?
それじゃあ、いくよ。
次に会えたら、お前の得意な甘い菓子を摘みながら、ゆっくりお茶でもしようじゃないか。












世界の果てで、待ち合わせ













「あら、見かけない顔ですね。」
ひたすら長い長い道を歩いて、やっと見つけた人の第一声。
ここはどこだろう、サンジは御伽噺で思い浮かべるようなパステル色の空をボンヤリと見上げた。
見覚えはない。懐かしい思いなどない。しかし不安はなかった。やすらかな気持ち。
ただどこへ歩いていけばいいのかだけ分かる。ただ真っ直ぐ。ひたすら真っ直ぐ。
「新しい人?」
ニコニコと笑いながら背中に羽根のようなものをつけた女の子が近付いてくる。
頭に小さなお団子が、まるでアンテナのように二つついている。
「あら、ごめんなさい。私はコニスと申します。あなたは?」
「サンジです。」
二人はぺこりと頭を下げる。
サンジは、誰だろう、何の用だろうと思うだけで、気持ちがフワフワとしていた。
まるで酔っているようだった。
「私はここに住んでいる者です。あなたはここを抜けていく人です。」
「はい。」
「よかった。ちゃんと分かっていらっしゃる様で。極稀に理解していらっしゃらない人がいますので。」
確認ですと、気持ちいい笑顔でコニスは言う。
それをサンジは霞んだ頭で聞いていた。
「では、後ろでのできごとは覚えていらっしゃいますか?」
「後ろ?」
「いえ、結構です。クリーニングは無事に済んでいるようです。名前もすぐになくすでしょう。」
全く理解していないのに、コニスの話はどんどんと進み。
サンジもそれを理解しようとはしていなかった。
聞いたところで無駄だと、どこかで知っていたから。
どうせ、これはなかった事。処理されてしまえば、全部失う記憶。
「それではどうぞ、進んでください。あなたに素晴らしい未来が待っていますように。」
真っ直ぐと続く道を導くように、そっと横へ除ける。
サンジの目の前に道が開かれる。
何かに憑りつかれたようにサンジは足を進めた。が、ふと立ち止まる。
「どうかなさいましたか?」
「・・・はぁ。」
何か。何か忘れていないだろうか?
大事な、大事な。
「ここがあまりにも綺麗なので、こんなに早く進むのは勿体無い気がしまして。」
そんなことちっとも思ってやしない。足を止めるために思いついた言い訳だ。
そんなサンジにコニスは知ってか知らずか、まるで機械の様に同じ笑顔を浮かべながら、
「そうですか、ではゆっくり休んでいって下さい。」
ここはそういう場所ですからと、言ってコニスが道端を指差すと、そこに新しい道が現れた。
「あちらに行けばゆっくりできます。この素晴らしい場所を満喫してから、どうぞ進んで下さい。」
ただし。
「期限がありますのでご注意を。」
そう言って自らの腕につけていた時計をサンジに手渡した。
よく見ると時計の針が逆回転している。
「あなたが赤ん坊になる前に道に戻らなければいけません。」
赤ん坊になってしまっては、道は歩けませんからね。
「赤ん坊になった後は消えてしまうのを待つだけです。」
消えるだなんて物騒な事を言っているなと思ったが、それでもコニスは笑顔のままだ。
ニコニコと、ずっと崩れる事のない笑顔。
「サンジさんはきちんと寿命を生きてらっしゃったようなので、ゆっくりと出来るはずです。」
それでは、ごゆるりと。
くれぐれも、タイムオーバーにご注意ください。
サンジは、コニスの笑顔を怖いと思った。










コニスの開いた道はくねくねと落ち着かない道だった。
周りを見れば同じような木が、同じような赤い実をつけ、同じように延々と並んでいる。
ここは森だったのかと、それを見て初めて気付く。
一列に並んだ木。
その後ろにも同じように一列に並んだ木。そのまた後ろにも同じように一列に。
ずっと続いている。
こんな規則的な森は存在しない。
決められた場所を、決められた形で直立し、それらが密集しただけだ。
空と同じくパステルカラーの森は、その違和感に気付くと不自然な気がしてならない。
不安はないが、サンジは落ち着かなくなった。
家がある。木で作られた家。
そのバルコニーに本を開いている男がいる。
座っているのに、立っているかのような大きさで、男は随分と背の高いのだと分かった。
本を開きながら、アイマスクをしている。
眠っているのか、本を読んでいるのか分からない。
「いやぁ、ここはとても心地いい。あんたもそう思わないか?」
そう言う低い声が、自分に向けられているのだとサンジが気付くまで少し時間が掛かった。
男はサンジの方を見るわけでもなく、アイマスクを外さず、本を開いたまま一方的に喋り続ける。
「退屈だなんて思わない。ここには面倒臭ぇことが何一つない。」
人も数える程しかいないから争いもない。
ばかばかしいいざこざがない。
抑制がない。
権力がない。
拘束もない。
しかし。
「希望がない。」
男は初めてサンジを見た。
アイマスクをしたままなので、何ともマヌケな空気が漂う。
「夢もない。」
言って初めてアイマスクを外す。
ずっとサンジを見つめていた、そんな目をしていた。
男は視線を外すことなく、瞬きもせず、サンジを見ている。
「面倒なことがないかわりに、それ以外もない。しかし俺はそれで満足している。」
時が来るまではここにいよう。そうだ、そうしよう。
そう言って再びアイマスクを着け、動かなくなった。
サンジは、暫くその場から動かなかったが、男がもう何も語らないと分かると、その場所から動き出した。










男の家を通り過ぎ、再びくねくねと落ち着かない道へと戻った。
暫くすると、また同じような家が見える。
ふわりと広がる香りはみかんだと気付く。家の周りに背丈ほどのみかんの木が同じように規則正しく並んでいた。
「おや、見かけない顔だね。」
煙草をくわえた女が、みかんの木の隙間から声を掛けてきた。
「はじめましてサンジと申します。」
「あーあー、いいんだよ。ここでは名前は意味の無いものだから。」
覚えている方が珍しいんだと、笑いながら女は、私は名前なんて忘れちまったよと言う。
みかんの木で守られた家から、優しい香りがする。食事の時間なのだろう。
「お食事の前でしたか?」
「ああ。」
女はサンジに言われ、初めて思い出したかのように家を振り返る。
「それは、お邪魔をしてしまったようで。」
「いやいや、いいんだよ。作っても食べないから。」
「え?」
「あれはまだ今は意味のないものだから。」
女はそういって煙草をくわえ直す。ふふふと優しく笑った。
「あれは今から意味のあるものになるのさ。」
そう言ってサンジの来た道のずっとずっと向こうを見ている。
「誰かを待っているんですか?」
「そうだよ。だから今は意味がない。まだ意味を持てない。」
それでも作り続ける。食事の時間になれば繰り返し、繰り返し。
待っている人がいつ来たって困らないように。
「私のと合わせて三人分だから、思ったよりも匂うのかねぇ。」
全然気が付かないよ私は、と言ってみかんの木を振り返り、少ししてまた道を振り返る。それの繰り返し。
サンジは暫く女の背中を見ていたが、何も変わらないと分かったら、そっと静かにその場を去った。
再び、続く道を歩いていった。










暫くするとまた家が建っている。
家の外は静かで、人がいるなら中にいるのだろうと思った。
通りかかったのだからと、サンジは訪ねてみることにする。
とんとんと、木の優しい音が自分の存在を知らせてくれた。
「ひ〜ひひひ。珍しいこともあるもんだ、どちらさんだい?」
扉を開かないまま、中から声がする。
「はじめまして、サンジと申します。」
「律儀だねぇ。そんなこと聞いたところで、何もならないのさ。目的は何だい?」
目的。そんなものは始めからない。
「・・・通りかかったもので。」
「そうかい。それじゃぁ、そのまま通りすぎな。」
そう言って扉の向こうからはもう声はしなかった。



サンジは歩き続けた。くねくね、くねくね。
どこまで続くか分からない道を、ただ続くままに歩き続ける。
間々に建っている家の住人は、大人から子どもまで、老若男女問わず暮らしている。
年齢が低ければ低いほど、もうすぐこの森から出なければならないのだなと、時計を見ながら思った。
何を思って自分は歩いているのか、そんなことを思い始めた。
そもそも、自分は何をしていたのか。
なぜ、こんな場所を、違和感を感じることなく歩いていたのか。
コニスの言っていた、後ろのできごととは過去のことだろう。
クリーニングとは、過去を忘れてしまっていること。または忘れさせるための過程。
真っ直ぐ続く道を、そのまま進むべき道を逸れる事を自分に選ばせたあの感情。
大事な、大事な事。忘れてはならないはずのこと。
「無くしてしまった今じゃ、意味のないものなのか?」
それを求めるべきなのか、あえて捨てるべきなのか。
大切な事があったはずと、たったそれだけの思いで選択できるわけでもなく。
サンジは立ち止まる。この先にも小さな家が見えている。
次はどんな人物がいるのか。
自分は見えている道を、ただ進むことしか出来ない。
今は、選ぶことも出来ない。










その家は、家と呼ぶには酷い有様だった。
今までの家と違い、廃屋と化していた。
そんな家の隣の、庭のような開いた場所。
そこにテーブルが一つ。椅子が向かい合って二つ。
一人の少年がお茶会の準備をしていた。
テーブルの椅子の前に並んだカップには紅茶が入っている。
色が濃い。カップの中に紅茶の葉も舞っている。
紅茶の入れ方を知らない人物が入れたのだ。
サンジは嫌な気持ちになった。
この紅茶を入れた人物に、一言文句を言ってやろうと思った。
よく見ればテーブルも椅子も汚れている。
お茶会などと洒落た事をするなと思ったが、全く不慣れな素人のままごとだ。
「これは誰が入れたの?」
「あんた・・・誰?」
今まで気にしてもいなかった様子の少年は、サンジが声を掛けるとその警戒心をあらわにした。
「俺はサンジ。でも、ここでは名前は意味がないんだろう?」
「名前がなきゃ何て呼べばいいんだ、不便だろうが。」
俺は忘れたけどねと、少年は言う。
この胡散臭い森と同じ、緑の髪の毛の少年。
目つきが鋭く、じっと見つめられるだけで全てを見透かされそうだと思った。
「これは俺が入れた。文句あるのか?」
「あるね。お前、紅茶の入れ方知ってるのか?」
「知るわけあるか。でも、俺にはもう時間がないんだ、こうする他ねぇんだ。黙ってろ。」
そんな物言いの少年に、サンジはかちんと来る。
「そんな紅茶不味くて飲めるか!」
「うるせぇ!ばかっ!!てめぇが飲むんじゃねぇだろ!!」
「そうだがな、誰を招くのか知らねぇが、客人に失礼だってんだ!」
少年はサンジに言い返しながらも、お茶会の準備を進めている。
ポケットから、クッキーを取り出し、テーブルの真ん中に置かれた皿にそれを入れる。
ボロボロの、湿気たようなクッキー。
「何だぁ?このクッキーは。不味そうだなぁ。」
「黙れっ!てめぇに関係ないだろうがっ!どっか行け!ばかっ!」
少年はそう言って黙り込み、一人黙々と準備に取り掛かった。
サンジはその様子を少し離れた場所から見ていた。
そこまでして待つ人物を一目見てやろうと思ったのかもしれない。
準備を終え、少年はテーブルを前に椅子に座る。
向かいの椅子は空。
葉の舞った濃い紅茶は、湯気をゆっくりと昇らせ、静かに静かに時が過ぎていく。
少年は、じっと、誰もいやしない向かいの椅子を眺めていた。

「おい。」
「・・・。」
「お〜い。」
「・・・。」
「紅茶、もう冷めてるぞ。」
「煩い。」
「クッキーもお前、いつのだよ。カビ生えてんじゃねぇの?」
「黙れっ!!」

少年は椅子の下の膝の上、ぐっと手を握り締めている。
「もう時間が無いんだ・・・もう時間がないんだ・・・。」
俯き、少年は黙り込んだ。
時間がないとは、コニスの居たあの道に戻らなければならないと言うことだろう。
少年の年齢は、10にも満たない程のものだ。
どのくらいの間、ここで誰かを待っていたのだろう。
「誰を・・・待ってるんだ?」
「忘れた。ここにいたら、そんなのは忘れちまう。」
でも、想いは残る。強いものなら、それは残る。
「俺はここで誰かを待ってる。約束したから。俺が先に来てしまったけど、あいつが来るまで待っていなくちゃいけない。約束したんだ・・・。」
約束・・・。そう呟き、ぐっと歯を食いしばっている。
もしかすると泣き出しそうなのかもしれないと思った。
「ずっと待ってるの?」
少年は頷く。
「ここに来てからずっと?」
頷く。
「本当にここを通るの?いつ通るの?」
「知らない。」
そんなことを言う。
どの位の時間を、こうして待っているだろう。
途方もない時間を思って、サンジは何も言えなくなった。
「あんただって、そんなもんだろ?はっきりした理由があってここに残ったんじゃないだろ?」
そうだね・・・そうだったと、サンジは苦笑を漏らす。
自分が残った理由など、ないにも等しい。何となく、そんなもの。
「あんた・・・名前なんだっけ?」
「サンジ。」
律儀にも、悪ぃと少年は謝り、サンジはいいよと返す。
そんなサンジに、少年は困ったように微笑みかけた。
出会って初めて見せる笑顔。
下手くそな笑顔。
「茶でも、飲んでかねぇか?」










廃屋と思わせた家は、少年の思うものはなんでも与えた。
サンジが、新しい紅茶の葉が欲しいと言うと、少年は分かったと言って家に入り戻ってきた。
なのに少年の準備した紅茶やクッキーは酷いもので。
今までそんな支度をしたことがなかったのだろうと呆れた。
キッチンを貸して欲しいと言うと、快く少年はサンジを案内する。
サンジは、古びたテーブルに真っ白なシーツを敷き、その上に花を飾った。
少年の家のキッチンでクッキーを焼き、湯を沸かし紅茶を入れる。
森の中だと言うのに、何の気配も感じないその場所で、二人は日に当たりながら向かい合い席に着く。
たった二人のお茶会だった。
「随分といい天気だ。」
「晴れてないと外で食えないだろう。」
今日は晴れにしたんだと、まるで自分がコントロールしているかのように少年は言い、目の前の皿に並べられたクッキーを口にした。
「美味い。」
サンジは、当然だと言う。
キッチンに立った時、意思なく体が動いたのだ。
まるで、それが自分の仕事だと言わんばかりに。
「紅茶も美味い。何で俺のは上手く行かなかったんだろう。」
チマチマと熱い紅茶を口にしながら、少年はカップの中を覗き込んでいる。
「腕だよ。腕。」
「いや、きっと俺にはこういうのは向いてないんだ。」
うんと、一人納得した後、少年は再びクッキーに手を伸ばしニコニコ笑いながらそれを頬張った。
もぐもぐと動く口が止まると、少年は静かに笑みを浮かべ、よかったと一言呟いた。
「ありがとう、サンジ。」
「ん?どういたしまして。」
何を突然と、サンジは不思議そうな顔をしたが、少年に答えた。
「これでちゃんとしたお茶会ができた気がする。」
「何言ってんだ。まだ目的のヤツは来てないだろ。」
「そうだけど。」
もう恐らく自分には時間がないのだ。
少年は何も語らない。
その顔に、曖昧に笑みを浮かべるだけだ。
よかったと、静かに笑みを。
サンジは怪訝に思い、自然と眉間に皺がよってしまう。
少年の言わんとしてることが全く読めないのだ。
「ゾロさん。そろそろお時間です。」
突然の声に振り向くと、サンジの歩いてきた道にコニスが立っている。
以前と変わらない、動かない笑顔でそこに立っていた。
「ぞろ?」
「あら、お忘れですか?いえいえ、結構ですよ、構いません。」
少年は首を傾げ、コニスを見ている。
「随分昔、あなたはそう呼ばれていたんです。でも、もう忘れてもいいです。」
必要ありませんから。
淡々と話をするコニスと、彼女を不思議そうに眺める少年。
そのかみ合わない二人をサンジは呆然と眺めていた。
「こちらでの時間は、現世でのものとは違います。罪の重さによってその速度を変えてます。」
あなたがこちらにいらしてからの時間と、あなたの罪による時間の経過速度。
「これ以上こちらに残られるようでしたら、あなたはここで消えます。次はありません。」
「・・・。」
「こちらにいらした時と随分年齢が若くなられました。ご自分でお気づきでしょう?」
「・・・ああ。」
少年は少年らしからぬ声で答える。
その表情は先ほどとは違い、全てを悟りきった様だった。
そのままそっと立ち上がり家へと歩いて行く。
「明日、ここを離れる。」
次が無くなっちまったら、あいつと二度と会えなくなる。
少年はそう言って静かに扉を閉じた。閉じられた扉とともに、晴れ渡っていた空が暗転する。
突然の夜の訪れに、サンジはただ驚き、空を見上げていた。










目を閉じると波の音がする。
遠くから近くへ。自分の足元にまで。
音とともに感じていた気配はやがて感触として伝わる。
顔を撫でる風が嫌に冷たいと思っていたら泣いている事に気付いた。
ゆっくりと目を開けると真っ青な空と海が見える。
そして、近付いてくる波とは逆に、遠ざかっていく波に浮かぶ箱が見えた。
大きな箱。自分と同じ位の大きさ。人一人分の箱。棺桶。
箱の植えには花が一輪、ぽつりと置かれていた。
ああ、彼が逝ってしまった。
やがて視界から消える小さなそれを見ながら思う。
今のこの悲しみと、彼の感じたろう思いはどちらが強いのだろう。
時間とともに形を変えるこの思いと、時間の止まってしまった彼の思い。
彼は、自分のことなど忘れて欲しいと思っただろうか。
でも、でもね。
あんたがいなくなろうとも、あんたを思うよ。
神様だってウンザリするくらい、あんたを思って泣くよ。
すぐに死んでやるつもりなんてないけれど。
後を追ってやるつもりなんてないけれど。
死ぬまであんたを思って、泣いて生きるよ。
だって。
大切なものがいなくなるっていうのは、そういうことだろ?










ぼんやり立ち尽くしていた。
ふと気付くと夜が明けている。時間はそれほど経っていなかったろうに。
そういえば経過時間は別だと、そんなことを言っていたなぁなんて暢気に思う。
この家周辺の時間が少年によるものならば、少年自身はそんなにこの場所にいなかったのかもしれない。
キィと、軋んだような音をたてながら少年の戻って行った扉が開いた。
目が合う。
「おは、よ。」
少年は答えない。よく見ればさっきよりも体が小さく見える。
顔の輪郭もふっくらとしていて、幼さが増していた。
時間が無いと、これ以上幼くなってしまったら、歩く事が出来ないほどに戻ってしまったらここから動く事が出来なくなる。
そういうことかと、サンジは目を細めた。
「お茶。」
突然、少年が口を開き、サンジはへぇ?とマヌケな声で返事をしてしまった。
「お茶、ありがとうな。」
クッキーも美味かったと、少年はその味を思い出すかのように微笑んだ。
紅茶だと、サンジは困ったように笑い答える。
少年はサンジの通ってきた道を引き返すように進みだす。
サンジは呆然と少年を見詰めるだけだ。
その背中に、何か胸につかえるものがある。しかし、その正体をサンジは思い出せない。
もう知らないのだ。
口を開いたり閉じたりと、サンジはそれを繰り返していた。
声を掛けたくて、でもその言葉を知らない。
そんなサンジに少年はもう一度振り返る。
「そうだ。」
真っ直ぐに、少年はサンジの揺れる瞳を見て言った。
「俺の名前はゾロだった。」
じゃぁな。バイバイ、サンジ。
サンジの目が大きく開かれる。



ゾロ。
誰だった?あの少年の名前だ。
いや、もっと別の。でももう自分は知らない。
ずっと何かを追っていた気がするのだ。何かとは?
どうしても思い出せない。ここには自分の作ってきたものは持ち込めない。
ならどうしてここへ来た?道は一本、迷う必要などなかったのに。
自分はただ真っ直ぐに進めばよかっただけだ。そうすれば次が待っている。
どうして?さぁ。
理由なんてあったのだろうか。



「ちょっと待った。」
しっかりと芯の込められた声で、サンジは遠ざかろうとする少年の、ゾロの背中を止めた。
「俺も行く。」
「え?」
「何だか分からねぇが、ここにいる必要がなくなった気がするから。」
はぁ?と、ゾロの顔が歪む。
その表情が間抜けに見え、サンジは笑った。
「お前は誰かを待つって目的があったみたいだけど、俺にはそんのないから。」
この森で幾人かの人と出会ったが、その人達もそれぞれにここへ留まる何かがあるのだろう。
自分にはそれがない。
「だから、だったら一緒に茶を飲んだお前と喋りながらでもあの道に戻りたい。」
知らない仲でもない。ならば、そっちの方が楽しいだろ?
サンジは楽しげにゾロの隣へ来る。ゾロはぽかんと口を開けていた。
「ここにいる奴らってさ、どうも会話にならないんだよ。」
一方的に話をしている様に感じる。
答えが返ってきても、自分の目的以外には全く興味がないと感じさせる。
自分も、相手も。
「お前とは普通に話しができるし。」
楽しげなサンジに、ゾロは困ったように笑う。しかし、拒絶ではない。
「ここでは自分に関係ねぇヤツとは会話どころか、出会うこともできやしねぇよ。」
「へぇ、流石。ここの暮らしが長いと、そういうのも分かるのか?」
だったら。
「俺らは、どっか関係があったのかもしれねぇな。」
「おや、興味深いこと言うね。」
二人は真っ直ぐに歩いていく。
途中、いくつかの家が見えたが、二人はずっと話をしていた。
真っ直ぐ。真っ直ぐ。
間違える事のできない道を歩き続けた。
するとその先に扉が見える。二つの扉。
扉の向こうには次が待っている。
次。それが何なのか二人は分からない。
しかし、自分たちはそこへ行かなければならないことは何故か知っていた。
それだけを二人は知っている。
それぞれの扉に手を伸ばす。ノブをくるりと回し、ゆっくりと扉を開いた。
真っ白で、その先に道があるのかすら分からない。
ゾロは、そっとサンジを見た。サンジも、同じくゾロを見る。
二人の視線が重なる。
「じゃぁ、また会えたらいいなぁ。」
「そうだなぁ、また会えたらいいなぁ。」
次に会えたら、また二人で茶でも飲むか。笑うゾロ。
なら、とっておきの菓子を作ってやろう。笑うサンジ。
二人はそうして扉を潜る。
それぞれの、次への扉を。










さよなら、サンジ。

さよなら、ゾロ。

またどこかで会おう。
きっと会おう。

約束だ。





























「世界の果てで、待ち合わせ」







これもまた一つの形。
読んでくださって、ありがとうございます。