青色ナミダ。





背中が見える。見慣れた背中。ゾロの背中だ。
キッチンに立っている。いつもの自分のポジション。
サンジ愛用のエプロンをつけて、手元はぎこちなく動く。

ばか。何でそんな切り方すんだよ。

ゾロの背中の隣には自分が立っている。
二人を後ろから見ている自分。自分が二人居た。

うるせぇなぁ。黙ってみてろよ。

悪態をつきながらも、二人の背中は楽しそうだ。
羨ましいと同時に、自分たちがそうであったのだろうかと嬉しくもあった。

あ!ばかっ!!ダシとってねぇじゃねぇか!!
ダシ?
うわぁぁ!お前っ!やめろっ!止まれっ!!入れるなぁぁぁ!!
ホントうるさいよ、お前。

ずっと。ずっと、こうしてられるなんて、それは願いでしかなかったのだろうか。
例えばゾロの記憶が真っ白になってしまっても、傍にさえいれば違うのだろうか。





主のいないキッチンは、ピンと張り詰めたような空気で満たされていた。
テーブルに向かい合って座ったままのナミとロビンは静かに静かに紅茶を飲む。
「ねぇ。」
「なぁに?」
互いに窺うように、遠慮がちな会話だった。
ナミはロビンの顔を見ることなく話す。
「船の揺れで落ちたの?それとも・・・自分で落ちたの?」
目を合わせようとしないナミの口ものを、その言葉を聞き漏らさないようロビンは見つめた。
「さぁ。」
「傍に居たのに分からなかったの?」
「コックさんは、後ろに居たから。」
「ロビンには便利な能力があるじゃない。背中に目とか。」
「使ってなかったわ。」
そう、と。溜息と一緒に答える。
一度にいろいろありすぎて自分は疲れているのだと、ナミは思った。
そう思うと、疲れは一層ずしりと重みを増す。
再び張り詰めた空気が部屋を満たしだした時、カチャリと音が鳴り入り口の扉が開いた。
ウソップだ。
海に沈んだサンジを引き上げ、それからずっとチョッパーとともにサンジに就いていた。
何もせずじっとサンジを見つめていたルフィと違い、てきぱきと。
時に混乱しているチョッパーに声を掛けながら。
「よぉ、お疲れ。」
自分が一番疲れているのだろう、いつもより覇気のない声だった。
お疲れ様と、ナミとロビンは答える。
ガシガシと首に巻いたタオルで濡れた頭を拭きながら、ウソップはいつもの自分の席に座った。
「お風呂、入ったのね。」
「ああ。」
落ち着いたらいきなり寒くなったんだと、笑いながら答える。
「サンジ君は?」
「今はチョッパーとルフィが見てるよ。何ともねぇ。」
疲れが溜まってたんだよ。
「じゃぁ、眩暈とかで落ちたのかしら。」
「随分と落ちた原因が気になるのね、航海士さん。」
ナミは黙る。ロビンは薄っすらと笑みを浮かべているだけだ。
ウソップは居た堪れなくなって立ち上がった。そのまま冷蔵庫を開ける。
「ちょっと、サンジ君に怒られるわよ。」
「海から拾い上げた事をネタに、暫くは好き勝手してやる。」
知らないんだからと、ナミはそっぽを向いてしまった。
冷蔵庫の中はどこに何があるのかを分かりやすくしているのだろう、几帳面に整理されている。
肉は肉。魚は魚。おやつはおやつ。
「あれ?」
冷蔵庫に頭を突っ込んだまま、ウソップは声を上げた。
その声に、ナミもロビンも、何だと顔を向ける。
「ラッキ〜!今日のおやつが残ってるじゃねぇか。」
ウソップの手にあるのはマンゴーのゼリーだ。
ゾロがいないのだと、みんなが騒ぎ出す前に出された今日のおやつ。
「誰のか知らねぇけど、いっただっきま〜す。」
美味い美味いと言いながら、ウソップは食べ始める。ナミもロビンも止めなかった。
ぺろりと食べてしまったウソップは、美味かったと言い、シンクへ容器とスプーンを放り込んだ。
「お前ら、止めなかったけど、食ったの?ゼリー。」
「私はあんた達と食べたじゃない。」
そうだっけ?とウソップは言うが、食後のデザートだとサンジが出した時にナミも食べていたなと思い出す。
「じゃぁ、ロビンのか〜。」
悪いなぁ、美味かったぞ〜と、ニコニコ笑いながらウソップは言った、が。
「恐らくそれは剣士さんのよ。」
その言葉に一瞬にして凍りついた。
「あれ・・・俺、すげぇ拙い立場じゃねぇ?」
引きつった笑顔でナミにフォローを求めるが、ナミは何も言わない。目も合わせない。
ウソップの顔はじわじわと青くなり、俯いてしまう。
「長鼻君は悪くないわ。」
私は、そのゼリーが誰のものだったか始めから知っていたのだから。
止めろよなぁと、ウソップは弱々しくロビンに抗議する。
「ごめんなさいね。でも。」
あの子は、そうやって剣士さんの不在に触れてしまうの。
ロビンは向かい合って座っているナミとウソップを、しっかりと見つめていた。
いつもと同じように用意したはずのおやつ。
「そんな些細なものにさえ、剣士さんの不在を感じてしまうの。私でさえ。」
なら、食事の支度をする彼は。その片づけをする彼は。おやつを運んでくれる彼は。
お風呂の順番を気にする彼は。洗濯をする彼は。
そのたびに不在を知る。
一番傍にいた彼は、一体どれだけ苦しいのかしら。
「私は、剣士さんがいなくて一番苦しいのは誰と言いたいわけではないのよ。」
誰もが、その形は違えど淋しさや苦しさを思っている。その思いに優劣などない。
「私たちは、少しコックさんに甘えていないかしら?」





静かに瞼を震わせ、サンジは目を開いた。
周囲を窺うように見渡すと、枕元でチョッパーが眠っている。
そこでようやくサンジは自分の現状を理解した。
「おはよう。」
声に目を向けると、ルフィが足元に置かれた椅子に座っている。
じっとこちらを見ていた。
「迷惑かけたみたいだな。」
「俺以外にな。」
にししと笑いながら、俺は見てただけだしと言う。
サンジも自然と笑顔が浮かんだ。
「なぁ。」
ルフィは笑顔のままサンジに話しかける。
「ん?」
「海ん中に、あいつがいたか?」
時が、ぎこちなく止まったような感覚。
その質問に、サンジはルフィが怒っているのだと分かった。
「・・・いや。」
そりゃそうだわなと、再びルフィは笑う。
「お前がさぁ、寝てる間な。」
ルフィが顔を少し俯かせ、表情が見えなくなった。
声はいつも通りのハキハキした口調なのに、どこか淋しさを感じる。
「凄ぇいい顔して寝てんだよ。起こしちゃ拙いよなってくらい。」
何て顔してんだよ。何だよ、アレ。俺、泣きそうになっちゃったよ。
前髪に隠れて目は見えない。ただ、口元が薄っすらと笑みを浮かべたままなのが見えた。
必死に自分の思いを隠そうとしていると、サンジはルフィを見てそう思った。
「すまねぇ、ルフィ。」
「いいよ、俺は。船長だし。そういうのも仕事なんだ。」
だから。
「ゾロみたいに何にも言わないのはなしだ。もっと俺に言え。」
泣きたきゃ泣け。
「そういう場所だろ?俺は。」
目の前の少年は、自分より年下の少年は、何て重いことを言うのだろう。
無力な自分に絶望し、それでもと、何を思ってここまで強くあろうとするのだろう。
その強さに、憧れを抱いてしまう。かつて自分が、世界一と対面したゾロに見た思いを。
「ありがとうよ、船長。」
力なくだが笑うと、答えるようにルフィも笑う。
「でも泣かねぇよ。」
男の子だもんと、言うとルフィはキョトンとした後、声を上げて笑い出した。
驚いたチョッパーが、何だ?と目を覚ます。
「それに、泣くんならあいつの目の前で大泣きしてやろうと思ってよ。」
チョッパーは不思議そうに何の話だ?とルフィとサンジのキョロキョロと交互に見た。
「だから今は溜めてんだよ。とっておきのをお見舞いしてやろうと思って。」
それいいなぁと、ルフィはいつもの笑顔だ。
サンジはその笑顔に安心して、一緒に笑う。
チョッパーも、何だか楽しそうだとつられて笑った。
冷たい海で感じた胸の痛みが、ちくちくと動いている。
ぎゅっと握りつぶされそうな痛みは、今はない。
サンジは笑顔のまま重くなった瞼を静かに下ろした。
「寝るのか?」
つまらなそうなルフィの声に答えることができないまま、すっと夢の中に入る。
再び背中が見えた。ゾロとサンジだ。
楽しそうに笑う二人と、それを離れた場所から眺める自分。
格納庫で見つけたゾロの秘密は、ゾロの姿とともに消えていた。
ゾロがいないと気付いた時、無意識に向かったのはその場所だったのだ。
捨てたのか、あるいは持って行ったのか。
目が覚めたらもう一度探してみよう。あの箱に書かれた言葉をもう一度見てみたいから。
そして、もしあの箱が本当にないのなら。
このまま、なかったことにしてやる気はないのだろうと。
自分はゾロを強く思うことができる。
だから、今はもう少しだけ、二人の背中を見ていよう。
淋しい思いは抱かない。ゾロがいないだなんて思い出さない。寂しくない、涙もでない。
そんな幸福を。
サンジは過去の日常に、夢を見た。





青色ナミダ。end