3.
作戦は3チームに分かれての行動。
チーム其の一。『お帰りなさいは消毒液の匂い』チーム。
メンバーはチョッパーとナミ。
ゴーイングメリー号を守ることがメインとなるが、他チームのゾロ捕獲後、万全の受け入れ態勢で待つことが仕事。
キッチンに簡易用のベッドを用意しておく。
誰かがケガをした時のためにとチョッパーは湯を沸かし、いつもは鼻を擽る香りの立ち込めるキッチンが消毒液の匂いでいっぱいだ。
「ねぇ、チョッパー。」
何?と、キビキビとした動きを止める事なく、チョッパーは答える。
「ゾロの病気のことで気になることがあるって言ってじゃない?」
ナミの言葉に一瞬、チョッパーが止まる。
返事をする時、ナミの方を振り向かなかったチョッパーが、今度はゆっくりと強い視線で、ナミを見た。
「気になってたから。」
もし悪い事でないのなら聞かせて欲しいのと、ナミは苦しげに話した。
チョッパーは少し眉を寄せ、目を反らしながら微笑む。
「まだ分からないよ。」
本当に分からないんだと、俯いてしまった。
「ただ。」
「ただ?」
二人、同じように唾を飲む。
「俺、前にゾロの脳の状態をコップと水で例えたと思うんだけど。」
ギリギリまで注がれたコップに再び水を注げば、水は溢れ出てしまう。
その溢れ出るものが、今注がれた水か、元からコップに入っていた水か分からないが、水は溢れ出てしまうことに変わりはない。
「ええ、聞いたわ。」
「それって。」
溢れ出る水。溢れ出る記憶たち。
「溢れ出るそれらは、どこへ行くんだろう。」
「え?」
溢れ出ることは、消えることではないはずだ。
受け皿から零れた水も、水に変わりないのだから。
「消えるってことが。無くなるってことが。」
とてもエネルギーの要る事だって知ってる?
「ちょっと待って・・・それって。」
チョッパーは静かに頷く。
「ゾロの記憶は消えてるわけじゃないかもしれない。」
チーム其の二。『持ち物はちゃんと持ち主にネ』チーム。
メンバーはサンジとウソップ。
海軍基地へ潜入し、没収されているだろうゾロの私物を奪い返すことがメイン。
そして、基地内部を混乱させもう一つの潜入チームの仕事をスムーズに遂行させるための、内部混乱と陽動が仕事。
「俺は、お前はルフィと行くと思ってたよ。」
薄暗い屋根裏を匍匐前進しながらウソップは言った。
同じように匍匐前進しながらウソップの前を進むサンジ。
サンジは何も答えない。
「なぁ、怒らずに答えてくれるか?・・・お前、」
本当にゾロのことが好きなんだよな?大切なんだよな?
サンジは何も答えない。
ただ、後ろから覗く肩が微かに揺れている。笑っているのだ。
「サンジ、お前・・・。」
「いや、誤解させたんなら悪い。変な意味はねぇよ。」
お前なぁと、ウソップは怒りのためか、安心のためか震えながら息を吐く。
「なぁ、ウソップ。」
「何だよ。」
サンジはウソップのいる後ろに振り向くが、前髪に隠れてその目は見ることができない。
「誰が一番、ゾロを大切に思ってるんだ?」
「は?」
「お前はゾロが大切か?」
「あ、当たり前だろっ!!」
仲間だろ!そう叫んで、ウソップは慌てて口を押さえた。
ここは屋根裏だ。
サンジは静かに続ける。
「俺もゾロが大切だ。」
そして。
「腹の立つことに、お前のことも大切だ。」
何で腹が立つんだと、ウソップは少しムッとする。
「大切だってんなら、まだある。」
ルフィも、ナミさんも、ロビンちゃんも、チョッパーも。
ビビちゃんも、アラバスタで会った人たちも、コニスちゃんも、空島の奴らも。
クソジジイだって、バラティエの連中だって。
たくさん、たくさんの人たち。
「俺たちゃ頭が悪いから、大切だとか好きとか、そんな言葉じゃねぇと伝えらんねぇんだな。」
お前、誰が誰の事をどれだけ、どんな風に思っているかなんて分からねぇだろ?
「違う。俺はお前がゾロをどう思ってるのかが聞きたいんだよ。お前は前もそうやって誤魔化したんだ。」
ああ、話が反れたか?と、サンジはまた少し笑ったようだ。
「お前にも、ルフィにも。みんなに悪いと思ってるよ。」
「は?お前なんでいつもそんな勿体ぶった言い方すんだよ。」
「最後まで聞けよ。はぐらかさねぇよ、もう。」
この気持ちを『想い』と呼ぶのなら。
「世界中の誰にも負けるつもりのない『想い』を、俺はゾロに向けてるよ。」
サンジはウソップへ、今度はしっかり振り返った。
その瞳がギラギラと、この薄暗い場所で何ものよりも光って見える。
「あいつは俺のだ。俺が一番ゾロを想ってる。」
何よりも。誰よりも。この世界一。
ウソップはゴクリと生唾を飲んだ。サンジの瞳に恐怖に似た感情を覚えたのだ。
それに気付いたのか、サンジがふと表情を緩め、愚問だろ?と問う。
「あ、ああ。すまねぇ。」
動揺した瞳を隠せず、ウソップはそう答えることに必死だった。
俺は勘違いをしていたと、はっきりと分かった。
常に冷静であろうと。少し離れた場所から物事を見ようと努めているように。
飄々と、誰にも心の底を捕らえられぬよう。身動きがとれるよう。
感情にいつも振り回される自分やルフィを子どもと呼ぶのなら、この男は大人と呼ばれる部類なのだろうと思っていた。
しかし今、垣間見た目の前の男は、恐ろしいまでの信念と、子どものような独占欲を。
まるで世界の王であるように。その想いを、たった一人の人間に向けている。
今の自分には、お前が一番なわけないとは冗談でも言えないと思った。
恐らくルフィでさえも。
チーム其の三。『逃げられませんので、そこんとこよろしく』チーム。
メンバーはルフィとロビン。
この作戦の中心核となるチーム。
他チームをサポートに、目的であるゾロへと辿り着くためのチーム。
どんなことをしてでも海軍のど真ん中を潜り抜け、ゾロを連れ、船へ戻ることが仕事。
二人は静かに立っていた。
海軍基地の大きな扉を真っ直ぐに見つめて。
動かず、機を待っていた。
「私が来てよかったのかしら?」
ぽつりとロビンが言う。
ルフィは不思議そうな目をして、ロビンを見た。
何を言っているのだと、問うように。
「コックさんよ。」
察してくれと困ったように言うが、ルフィの表情が変わることはない。
本当に分かっていないのか、それとも振りか。
この船長はどうも分からない。決して全てを掴ませない。
「あいつが行けって言ったんじゃねぇか。」
「そうなのだけど。」
「だったらいいんだ。」
そう言われてしまえば、ロビンはもう何も言えなくなる。
確かにここへ来るに至るまでに交わされたやりとりは、そんな流れだ。
自分はそれを分かっているのだけれど、どうにも納得できないでいるのだ。
「分かんねぇって顔してんな。」
ルフィは笑顔を崩すことなくロビンを見つめる。
晴れやかな。楽しくて仕方がないとでも言いたげな笑顔。
「あいつ、俺たちに気を使ってるつもりなんだろうぜ。」
ムカつくよなぁ。
崩れないルフィの笑顔が、そんなことを言う。
「え?どういうことなの?」
ルフィはまだ笑っている。
笑顔のまま。不自然なくらいの笑顔のままで。
「どうせ俺のもんだって言いてぇんだよ。」
俺たちの元へ戻ってくるんじゃなくて、俺の元へ戻ってくるのだと。
「そういうことだ。」
「・・・分からないわ。」
うーんと唸った後、ルフィは声を出して笑った。
「俺もだ。サンジがムカつくって事しか分かんねぇ。」
嘘だと思った。ルフィは分かっている。
ロビンは沈黙する。
今の内だと言うことだろうか。
もう、ゾロに触れることはさせないと。だから、今だけ許そうと。
「私、コックさんはそういう人じゃないと思ってるのだけれども。」
「そう思わせる。その辺がムカつくんだよ。」
慎重に慎重に。誰にも見せないように。誰も傷つけないように。
「臆病なのね。」
「可愛く言うなよ。ムカつくでいいんだ。」
ふふと、控えめにロビンは笑う。
「そんなムカつくコックさんが、とうとう見える動きを始めたのね。」
「俺は始めっから見てた。」
「そうね。」
ルフィとのこの会話がなければ、きっとロビンは気付かなかった。
気付かず、突然のサンジの変貌に混乱したかもしれない。
否、サンジが下手にバレるような変化を見せるとは思えない。
あの男は実に用意周到だ。
臆病で、慎重で、いつだって全てを見渡そうと目を凝らしている。
敵はもちろん、何の関わりもない者でも。仲間でさえも。
「嫌だ。何だか意地悪したくなってきたわ。」
サンジ自身が誰を信じていないとか、そういうことではないのだろう。
自分たちはサンジにとって唯一だと自信を持って言うことが出来る。
ただ、サンジがそう言う人間だと言うだけだ。
人を傷付けることも、自分が傷付くことも怖くて仕方が無い。
それは例え仲間でさえも同じ。自分自身でさえも同じ扱いなのだから。
下手くそな生き方と言うのだろうか。
少し、淋しいとも感じてしまう。
ルフィとロビンは再び静かに立ち尽くす。
真っ直ぐに、前だけを見て。
その先に一人の男の背中が見えた気がした。
タバコをふかし遠くを眺めながら、周りばかりを気にする、その背中。
二人は、男の上げる狼煙を。
機を待っている。
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