オモヘド、マテ。




同じページを繰り返して読んでも、何か手がかりが増えるわけではない。
チョッパーは、自分が逃げ出しかけていると気付いている。
だから、もう何もするなと。休んでもかまわないのだと、思うのだ。
ここまで来たなら、誰も自分を責めないと。
昼間だというのに、部屋は薄暗い。夜とは違う不気味さを感じた。窓も開けていない。
遠くから、ルフィの叫ぶ声が聞こえる。何を叫んでいるかまでは分からなかった。
眠っていないせいだろう。イライラが収まらない。
こんなにも俺は頑張っているのに。こんなにも仲間のために必死になっているのに。
そう思うのは、何も手がかりをくれない医学書達だけに向けられたものではない。
どうして、ルフィ遊んでばかりいるんだ。
どうして、ナミはいつも通りのんびりしている。
どうして、ウソップは手伝ってくれない。
どうして、ロビンは関係ない読書をするのだ。
どうして、サンジはやっぱり料理の事ばかり考えている。
どうして、ゾロは安静にしていてくれない。
俺ばっかり。俺ばっかり。
悔しいのだ。悔しいから、何かのせいにしたくて逃げようとしているのだ。
そうして誰かのせいにしようとしている自分が、愚かしく、これは裏切りではないかとも思った。
この船に乗っている仲間は、全く共通点のない場所で、それぞれの夢を叶えるためにルフィが集めた。
バラバラなのに、家族のように、無二の親友のように、一つになれるのを知っている。
自分はどうだろう。
本当に彼らと同じ場所に立てているのだろうか。
まだよかったのだ。自分は戦えたから。強くはないが、戦うことができたから。
そして、傷ついた仲間を癒す術を知っていたから。
今はどうだ。
ゾロの変調に気付いたのはロビンだ。同じく、それに気付き休ませたのはサンジだ。
本来、一番に気付くべきは、船医としてここにいる自分なのに。どうして気付かないのだ。
チョッパーは、医者としての自分の無力さを嘆いた。
いらないのかもしれない。
そう思うと、今こうして必死に調べているのは、ゾロのためではなく。
こんなにも自分は頑張っているのだからと、必要な仲間なのだと訴えているだけなのかもしれない。
何て汚いのだろう。
チョッパーは静かに泣いた。


一頻り泣いた後、外の空気を吸おうと甲板に出る。
空は晴れていた。
晴れすぎていた。太陽の光が、暗がりに慣れていた目を刺激して痛い。
爽やかな風が吹くのに、ジクジクと痛みは止まらず、これは胸が痛いのだと思った。
水の膜を張っている目に、風が吹いて視界が揺れた。
「休憩かい?ドクター。」
後ろにサンジが立っていた。全く気付かなかったことに、チョッパーは驚く。
「う、うん。もう戻るよ。また調べなきゃ。」
目を合わせられないのは、どこかで申し訳ないと思っているからだろうか。
戻って調べなおしたところで成果はないだろう。
あるのなら、もう出てもいいはずだ。それほど調べつくした。
「お前は頑張りすぎだ。もういいから、ウソップと釣りでもしてろ。」
色の付いたグラスを差し出される。
サンジをきちんと見ていなかったので、持っていることに又、驚いた。
「ゾロも、みんなもそれを望んでる。」
グラスを握るとサンジが、この差し入れはゾロが持ってけってよと、言った。
チョッパーは急に恥ずかしくなった。
何かのせいにして逃げようとしていた自分も、愚かにも大切な仲間を疑った自分を。
そして、嬉しかった。
「すまねぇ。俺・・・医者なのに・・・何もできねぇ・・・すまねぇ。」
「ばーか。こういう時は、『ありがとう』っつーんだよ。」
そういって頭を撫でられる。大きくて、温かい手だと思った。
ゾロに会いたいと思った。






一つの船の平穏を破る事は、広大な海にとっては簡単だ。
メリー号の目の前に一船のガリオン船が立ちふさがるのに、見つけてから時間はそんなに掛からなかった。
敵船から唸り声が響く。相手は戦闘を望んでいる。
ナミは面倒だと逃げる事を考えたが、大砲をいくつも備えている船を相手に、ルフィやゾロを防戦に回しながら逃げ切る事は難しいだろうと考えた。
戦いは避けられない。
「これ以上、敵船を接近させないで!ルフィ、ゾロ、準備はいい!?」
「おう!俺はいつでも元気だぞ!!」
「上等!!」
ルフィは準備体操をして身体をほぐしていた。
サンジはゾロを見る。ゾロはサンジを見ていた。
静かに、じっと見ていた。
戦闘になることをサンジは一番に恐れた。ゾロも同じだろう。
戦闘になれば、嫌でも戦いに関する膨大な情報が頭の中を駆け巡る。
見て、どう戦うか。
戦闘中は常に戦いについての情報が溢れているのだから、戦い方を失う事はないだろう。
しかし、新しい情報に対して、消えてしまうものは一体どれほどのものか想像も出来ない。
長引けば長引くほど、想像したくないものだ。
「いけるか?」
「・・・ああ。」
不安がないと言えば嘘になる。ゾロの中にも恐怖が渦巻いている事を、サンジは知ったのだ。
あの時の、小さな子どものように丸まったゾロを抱きしめた腕に、自然と力が篭る。
ゾロが握り拳をサンジに差し出した。
サンジは一瞬戸惑うが、ゾロの力強い目に打たれ、答えるように笑い、拳をぶつけ合った。


肩にゾロが掴まるのを確認したルフィは、その身体のゴムの力を利用して敵船に飛ぶ。
ゾロは振り落とされないようにしっかりと掴まった。
すると、ルフィが照れくさそうに笑う。どうしたと、問うと。
「いつも俺がゾロにくっ付くのに、こういう時は逆だよな。」
まるで子どもが珍しい宝ものを見つけた時のように嬉しそうに笑うルフィに、ゾロも自然と微笑んだ。
「そうだな。頼りにしてんだよ、キャプテン。」
「おお、俺はゾロに頼りにされて嬉しいんだ。ししし。」
どんどん頼れよ。
重力に逆らって、船を真横に飛び出す。
下は海。海はルフィを嫌っているが、ルフィは愛している。だから敵ではない。
敵船の連中が、ルフィとゾロを確認したころには、二人は敵船の上だ。
マストの上の見張り台に着地した二人は、狭いスペースに立っていた男を下に蹴り落とした。
ぐるりと船全体を見回す。戦闘員の数はおよそ20。多くはない。
「ゾロ。」
明らかに声色を変えたルフィは、ゾロに四六時中付きまとっていた時のものではない。
戦う者の目だ。
内に獅子を秘めし者の目。
「五分だ。」
「いや、三分でいけるだろ。」
ニヤリとゾロが答えると、ルフィも口の端を上げる。
獰猛な獣は二匹。
今、放たれたのだ。






オモヘド、マテ。end