別レノ香ニ、口ヲ噤ンデ。



風が出てきた。
グランドラインに、東から昇って西に落ちる太陽の法則が当て嵌まるのか怪しいが、今日の太陽は進路とは真逆に沈んでいた。
滲んで交じり合おうとしている色の境目を、サンジは煙草を銜えながら眺めていた。
鍋を火にかけたまま、キッチンの丸窓からボンヤリと外を見ていて、そのままフラフラと外に出てきてしまったのだ。
鍋の火が気になる。少しすれば戻らなければならない。
タイミングを逃せば、料理は形も中身も変わってしまうからだ。
思いながらもサンジは目を細め、夕日を見ていた。
ジッと見つめていると眩しさに目がチカチカする。
自然と、ゾロを思っていた。
ルフィとの件以来、ゾロは口を閉ざしている。
全く話さないわけではないが、極力避けているようだと、サンジは思っていた。
今までもペラペラと喋る男ではなかったが、その声を気付かないうちに消しているように思った。
まるでそれが当然だと言わんばかりに。
サンジはそれが嫌だった。それは、誰もが望まないであろう事を描かせるから。
鼻で大きく空気を吸い込んだ。一度止め、全てを吐き切る。同時に細めていた目を閉じた。


キッチンの鍋が気になる。
サンジは暗闇を見ていた目を開き、海に背を向けた。
すると、少し離れた場所にゾロが立っていた。
楽しげでもなく、淋しげでもなく、ただこちらを見ていた。
その姿は、サンジを不安にさせる。それを振り払うように、サンジは笑顔を作った。
「どうした?」
ゾロは何も答えない。更に不安は増す。
「ゾロ?」
出来得る限り優しく。サンジはなぜかそう思いながら、ゾロに一歩近付いた。
すると、ゾロがサンジと同じく一歩引く。後ろは階段だ。
もう一歩。同じく、一歩引く。近付く事が出来ない。
サンジは立ち止まり、近付くのを止めた。
「ゾロ。」
言葉が届くのならいい、十分だ。サンジはもう一度名前を呼んだ。
どうして返事をくれない。
何でそんな顔をしている。
何故、傍に行ってはいけないのか。
その思い、不安を全てを込めた。
呼ばれた名前。サンジの声を、ゾロは身体に染み渡らせるかのように黙って受け止める。
少し俯き、今度はサンジの目を見た。射抜くかのような視線だった。
「お前のことを忘れた。お前も俺の仲間なのか?」
サンジの時が止まった。



不安なんだ。でも、お互い様だろう。自分だけじゃない。分かってる。
それでも、やっぱり不安なんだ。だから言う。



「本当か?」
サンジは静かな目をしていた。
「冗談だったら、殴られる覚悟はあるんだろうな。」
わざと音を立てて一歩。サンジはゾロに近付く。
サンジの態度にゾロは驚き、眼を見開く。体中が力んで、固まってしまった。
後ろに一歩、引く事も忘れていた。
「もう一度聞くぞ、ゾロ。」
目を見て言えと。
「本当か?」
ゾロの目の前に立った。睨みつけるように目を見る。
それから逃げるように、ゾロは視線を落としてしまった。何も答えなかった。
「俺を舐めるな。それに、・・・お前は嘘が下手だ。」
そう言って、サンジはゾロの頭を抱きしめた。胸に押し付けるように、抱え込んだ。
潰れた声で、名前を呼ばれた気がする。
少し悲しくなって、乱暴な手付きで、ガシガシとゾロの頭を撫で回した。
「試さなくていいんだ、ゾロ。」
疑ったわけではないんだろう。そんな事は、サンジにだって分かっている。
でも、怖くて。不安で。
「俺は、お前から離れるつもりなんてねぇんだからな。」
きっとこの言葉がゾロを安らかにさせ、又、不安を呼ぶのだ。それでも。
「俺はお前が必要だ。お前も俺が必要だろう?」
だったら。そう、だったら。
俯いていた顔を上げ、ゾロはサンジを見た。言葉を待っていた。
その先の言葉は、そう言ってくれるはずだと望んでいるもの。
それを言って欲しいと、ゾロの全てが訴えていたから。
「だったら、傍にいれるさ。」
俺は、そう望んでいる。お前もだろう。
ゾロは包まれたまま、目を閉じた。
その言葉を、ゆっくりじっくり眺め、味わいながら飲み干そうとしているようだった。
頬を寄せ合わせる。手ではなく、その肌からサンジは直接ゾロを感じた。
そのまま額に口付ける。
自分の不安を、ゾロに知られないように。
ゾロに優しくする事で、サンジは強いふりをした。
話した時間。嘘の時間。
二人がただの仲間になった時間は、ほんの一瞬だったように感じていたが、実際随分と時間が経っていたようだった。
キッチンからは少し香ばしいような、焦げた匂いがし始めた。






キッチンの窓の隙間から嫌な煙が見えて、サンジは慌ててキッチンへと戻った。
ゾロはその背中を、笑いながら見送った。
サンジが見えなくなって、不安が蘇ってくる。振り切れないものかと、ゾロは海を眺めた。
交じり合い溶け合う太陽と海。
後ろを振り向けば、進行方向の水平線に浮かぶ島が見え、あれが明日に着くのだろう島かと思った。
「ゾロ。」
名前を呼ばれ振り向くと、小さな影。チョッパーだった。
不安げに見上げている目。ゾロは少しでも安心させたくて、微笑んで答えた。
「どうした?」
「あのね・・・あの・・・。」
モジモジと下を見たり、上を見たりしている。
ゾロは出来得る限り優しい空気を纏って、言葉を待った。
「あのな、ぎゅって。」
ぎゅ?と、聞き返す。
「ぎゅって、して欲しくないか?」
「?」
「あのなっ、あのなっ!」
チョッパーは自分の言葉が、きちんと伝わるようにと、必死に言葉を捜していた。
どうしても伝えたかったから。自分だけが分かっていても、意味なんかなかったから。
「ひとりぼっちの背中、してたから。」
「・・・。」
「俺っ、俺知ってるんだ!それって、それって凄く。」
泣きそうな瞳。まるで自分のことのように。
チョッパーは一度息止め、決意したかのようにゾロを見上げなおした。
「凄く、寒いんだ。」
凄く、寒いんだ・・・。もう一度呟く。
それが余りにも消えそうな声で、チョッパーは自分の言葉で不安を更に膨らませてしまった。
「寒い?」
そうなんだろう。ゾロはそう思った。
いくら大切にされていると知っていても、大切にしたいものに囲まれていても。
「うまいこと言うな、チョッパー。」
困ったように笑いながらゾロはチョッパーを見た。それをチョッパーは不思議そうに見上げる。
「でも大丈夫だ。皆居る。こうして心配してくれるヤツらがいるんだからな。」
それに、抱きしめてくれる腕は傍にある。とても優しい温もりだった。
チョッパーの頭にボスンと手を乗せる。温かい。お互いが、そう思えた。
「何でも言ってくれ!俺、医者としてだけじゃなくて、ゾロの手伝いがしたいんだ。だから。」
我慢しないで。一人で悲しまないで。傷付けないで。傷付かないで。
偽善だと言われてもかまわない。
ゾロのためだなんて言っておいて、自分のためでもあることも分かっている。それを知ってか、知らずか。
でもゾロは純粋に嬉しいと思った。
嬉しいんだ。本当に。嘘なんてつかない。
嬉しくって、不安で、少し怖くて、淋しくて、泣き出しそうになる。でも決して一人ぼっちじゃなくて。
この気持ちには、きっとまだ名前がない。
「チョッパー。」
「何だ?」
「頼みがある。すまねぇ、聞いてくれるか?」
「あ、当たり前だろ!」
ゾロは笑った。もう決めたからだ。もう揺れない。
今から言う事は、きっとチョッパーを傷付ける。チョッパーだけではない。大切だと想うもの達。
そして、愛しい人をも。
それでも。それでも、もう決めた。
いずれ知ったとき、このことを選んでしまった自分を憎んでもいい。
でも、どうか。どうか、今だけは許して欲しい。



ゾロはチョッパーの微かな音も漏らさないだろう、小さな耳に囁く。
チョッパーの顔を見ないように。傷付くその様に口を噤まないように、そっと。
そっと、囁いた。









別レノ香ニ、口ヲ噤ンデ。end