──サンジ。

静かに。優しく。
愛しいものを、守るように。出来得る安らぎを、与えるように。

──サンジ。

たった一人を想って、ゾロは名前を呼んだ。
答えて欲しいわけではない。
ただ、こうする事で、自分の想いが少しでも伝わればいいと思ったのだ。












グランドラインは本来、穏やかと言うものではないのかもしれない。
しかし、静かな海だったのだ。波の音さえ、耳を澄まさなければ聞こえないくらいに。
その穏やかな海を引き裂いたのは、一人の叫び声だった。
「煩いわねぇ・・・。」
いい歳した男が、何叫んでるのよ。
ナミの突き放すような言葉に、クールなナミさんも素敵だなどと返すが、いつもの元気がない。
みかん畑の真ん中でビニールシートを敷き、座るナミの膝枕。
サンジは、羨ましい思いと、また、悔しさに悶えている。
女性独特の柔らかさは、恋する相手に当てはまるものではないが、やはり求めてしまうものなのか。相手もまた然り。
いつも通りの短いのスカートから除く太股。
目が向かないというなら、そいつは男ではないだろう。それを枕に眠る男が、酷く愛しく、憎い。
「なななな・・・何でゾロが・・・何でっ!!」
「落ち着いたら?サンジ君。」
頭の上で騒いでいるというのに、ゾロは一向に目を覚まさない。いつものことだ。
スヤスヤと寝息を立てている姿は、サンジにとっては眠り姫も同然だ。
しかし、今は蹴り飛ばしてでも強制的に覚醒させたかった。






昼間と違って、夜はゾロとのんびり過ごせる貴重な時間だ。
それなのに。
どうして自分はこうなのだろうと、サンジはひたすら流し台に向かう。
タバコは随分と短いものを吸っている。いつも以上にペースが速い。
その後ろでゾロは酒を飲んでいる。サンジの仕事が終わるのを待っているのだ。
流しにあった皿を全て片付け、テーブルの、ゾロの向かい側に腰掛ける。
酷く疲れた様子に、ゾロも気付き、どうしたと声を掛けるが返事は溜息。
「何だよ。疲れたなら、この皿は片付けるからさっさと部屋で寝ちまえ。」
拗ねた様なゾロの口調に、サンジはクラリとくるのだが、そんな自分を叱咤する。
その場の想いに流されて、大切なことを後回しにしようとするのは悪い癖だ。
テーブルクロスを外しているテーブルの木目をじっと見つめながら、サンジはゆっくり深呼吸をした。
ぐっと目に力を込める。眉間に皺が寄るのが自分でも分かった。
「膝枕・・・。」
「あ?」
「今日、ナミさんに膝枕してもらってた!!」






ナミとゾロは仲がいい。
ルフィとの信頼関係ではなく、ウソップやチョッパーとの友情でもない、ロビンとの姉弟のような空気とも別の、何か特別な関係を思わせるのだ。
サンジはそれが、とても気になって仕方がない。
恋仲であるはずなのに、どうしてこんなに不安にならなければならないのか。
「私がみかん畑に来たときにはね、もうここで寝てたの。」
「はぁ・・・。」
「あんまりにも寝心地が悪そうだから、シートの上に行きなさいって言ったら、移動したのはしたんだけど・・・。こいつどうしたと思う?」
「・・・はぁ。」
「自分の靴を脱いで、シートの下に入れたのね。
その盛り上がったとこを枕にして、低いとか唸ってるの。高さを上げる為にハラマキも脱いで下に入れて、それでも足りなくてシャツまで脱ぎ出したのよ。
信じられないわ。あんなことする人、始めてみたもの。」
思い出してか、楽しそうにナミは笑いながら、膝上のゾロの頭を撫でて話す。
「私も日向ぼっこしたかったし、
調度いいかなと思って膝を貸してあげたら、すっかり寝込んじゃったみたいでね。
こうしてると、私まで眠くなっちゃうの。」
魔法みたいよね。
そういって優しく緑の髪に指を通すナミは、みかんの葉の隙間から微かに照らす太陽の光を浴び、とても美しかった。
そしてゾロも。
後世に名の残る芸術家が描いた、一枚の絵画のように。
恋人のあるべき姿を描いているのだと、サンジに思わせるには十分だった






サンジにはゾロを攻める権利はある。お互いが想いあう仲ならば、なおさらだ。
なのに、どうして目を合わせることができないのだろうか。
サンジは自分の情けなさに、タバコを噛み締めた。
「ああ。ナミが貸してくるっていったから。タダで。」
何でもないように答えるゾロ。
邪まな想いがないからこそ言えることであろうが、そうかと言えるほど、サンジは己の心が広いなど微塵も思っていない。
「お前な!!少しは俺の気持ちも考えろよ!!」
テーブルの木目を睨み付けていたサンジは、あまりの怒りにテーブルを叩いた。
そんなことでしか想いを伝えられないのかと、自らの幼さに憤りを覚える。
サンジの急変に、ゾロは目をパチクリさせていた。
「何だ?じゃあ、お前もナミにしてもらえば良いじゃないか。」
タダでは難しいかもしれないけど、タイミングを計れば何とかなるんじゃないか?
ゾロの答えにサンジは力が抜ける。
この男は、何にも分かっていない。そう思うと、なぜだか哀しくなった。
自分は、本当にこの男を知っているのだろうかと、不安さえ過ぎる。
「違うよ・・・。違う。」
どうして分かってくれないのだろう。
ゾロには回りくどい言葉や行動ではなく、ストレートなものでなければ伝わらないことは知っている。
でも、ほんの少しでも、ゾロがサンジを知ろうとしてくれたならどうだろう。
暗闇の中でさえ、目を凝らせば何か見えるんじゃないか?
がっかりしている自分がまた、情けなかった。
「何でナミさんのなんだよ。・・・俺に言えばいいじゃねぇか。」
再びテーブルを睨み付け、サンジはゾロの目から逃げた。
言ってしまえばいいのだ。ナミさんに嫉妬したのだと。俺だって、お前に膝枕くらいしてやるのにと。
「俺だって、お前に・・・膝枕してやれるのに・・・。」
ボソリと呟いたサンジの声を逃すほど、ゾロも呆けてはいなかった。
今、目の前の男は何と言った?ゾロは一気に顔が熱くなった。
自分もナミに膝枕して欲しかったわけではなく、自分もゾロに膝枕したかったと言っているのだ。
火が吹き出すのではないかというほど熱を持った顔を、咄嗟に隠そうとしてゾロは後ろに跳んだ。
ガタンと大きな音を立てて、椅子ごと引っ繰り返る。
「お、おい。ゾロ、大丈夫か??」
心配してテーブル越しに覗き込んでくるサンジに、顔を見られまいとゾロは必死に腕で顔を覆った。
「あ!アホじゃねぇのか?!いや、アホだ!!!」
「あぁ?」
「お、お前になんてなぁ。膝枕してもらったって、足の筋肉のせいで硬くて寝てらんねぇよ!ボケ!!」
何を動揺しているのか、サンジはゾロの豹変に付いて行けていない。
「な、ナミはなぁ。あれでも女だから、だからいいんだよ!!」
その一言は、サンジにとっては痛い。
「てめぇ、本音が出やがったな!!大体何だよ、硬いってよ!!」
「言葉分かんねぇのかよ、ぐる眉!そのまんまだよ!!」
「カッチーン。このサンジ様のしなやかな足を、硬いと!?てめぇのモリモリ筋肉と一緒にすんじゃねぇよ!!」
「てめぇ、一度自分の足触ってみろよ!!てめぇの足が硬くなけりゃ、今までの敵さんは何にのされてきたってんだよ!ヒヨコ!!!」
「お前!!さっきから暴言吐きすぎだぞ!マリモ!!!」

静かにしなさいっ!!!!

どこからともなく響き渡った声。この船の女王、ナミだ。
今日はまだ拳が飛んでこないだけマシなのかもしれない。
散々言い争っていたゾロとサンジは、時が止まったかのように静まり返った部屋の中、睨み合う。
はぁと一つ。サンジは溜息を吐いた。
「お前・・・もう少し甘えるとか出来んのか・・・。」
「俺にそんなもん求めるお前を疑うぞ。俺は。」
再度、溜息。
「何か、俺だけ好きみたい・・・。」
そう言ったサンジの表情が、切なそうで、寂しそうで、ゾロは何も答えられなかった






どうしてこんなにも離れているのだろう。遠いと感じさせるのだろう。
いつだって想っているのに。いつだって想っていたいと思うのに。
ありったけの想いを込めて、これ以上ないくらいに込めて。
でも伝わらないのなら、一体どうしろと言うのか。
ゾロには分からなかった。そんなこと知るとも思わなかった。全部が予想外のことだった。
でも、知らないじゃ済まされない。
ゾロは分かっていて、サンジを想うことを選んだのだ。






夜の船室はランプを付けなければ、ただの闇。
微かに入る月の光も、もはや遠くなってきている深い夜。ゾロは眠るサンジの目の前に立った。
「サンジ。」
いつもならハンモックで眠るサンジは、床に毛布を敷いて横になっている。疲れたというのも、強ち嘘ではないのだろう。
「寝たのか?」
ゾロはそっと、サンジの隣にしゃがみ込み、サラサラした髪を撫でた。
言わなければ伝わらない。心の中なんて、どうやったって覗けない。
自分の不甲斐無さが酷くもどかしい。
頭を撫でても、目を覚まさないサンジ。
二人キッチンで騒いでから、あまり時間は経っていないが、もう眠っているのだろう。反応がない。
「サンジ。」
愛しさを込めて、その名を呼ぶが、人はこれだけでは伝わらないらしい。
どんなに想いを込めても、どんなに強く願っても。
そんなの嘘だと、ゾロは思った。
撫でるのを止め、自分のハンモックへ行く。ハンモックに掛かっている毛布を取り、再びサンジの元へ戻った。
サンジにグッタリと被さっている毛布を、ゾロは自分の持ってきたものと交換した。
毛布でサンジを包んだ後、自分のハンモックへ行く。
ぶら下がる不安定な寝床に身を任せ、サンジのタオルケットをフワリと纏った。
そうすると、サンジの匂いで一杯になる。
こうしていれば、こんなにも安らかなのにと。サンジもそうであればいいと思うのに。
月明かりが照らす微かな闇は、簡単にゾロを眠りへと誘った。
そうして夜に生まれる静かな呼吸。
その生まれた呼吸を横目に、もぞもぞと床の毛布が蠢く。サンジだ。
寝返りを打ち、ゾロの眠るハンモックを下から見つめていた。
何でこんなに素直じゃないんだろうと、ゾロの匂いの染み付いた毛布を引き寄せ、サンジは思った。
ゾロが名前を呼びながら、髪を撫でていたのも気付いていた。お互いの毛布を交換したのも知っている。
だから。ならば。
何で、こんなに素直じゃないんだろう。
想い合っていると思って、きっと間違いじゃないのに。
スンと匂いを吸い込む。
ゾロの匂いだ。愛しい人の匂い。
耳を澄まさなければ、目を凝らさなければ、気付かずに通り過ぎてしまうようなサインをずっと送っている。
そうやってでしか、想いを伝えられない。
なんて可愛い。なんて愛しい。
本当に好きなんだよと、伝えたくて堪らなかった。
でもまだ、どうすれば全部伝わるのか分からないんだよと、サンジは思った。


サンジは、やんわりと目を閉じた。
今眠れば、きっと陽だまりの夢を見ることができるだろう。
見慣れたみかん畑に空と同じ色のシートを敷いて、眠ろうとするゾロに言う。
『暫くここにいるよ。』
隣に座れば、ゾロは安心したようにその身を寄せる。
そして、まるで元ある場所へ戻るかのように、サンジの膝上に乗せられるゾロの頭をふわりと撫でて。
昔聞いた歌でも歌ってやろうか。それとも、子供のころ、眠る前に聞いた物語を語ろうか。
ゾロはきっと優しい夢を見る。
今だって、きっとそうなんだと、サンジは静かに目を閉じた。













『可愛い人、愛しい人』end






尊敬する、千翠さんへ捧げます。
ごめんなさい。『膝枕』って、ナミがしとるやんけ・・・(遠い目)