ポインセチア






風が出てきた。
冷たい風だ。
身体も思考も鈍くしてしまう、そんな冷たい風。
サンジはマフラーを口元まで引き上げた。
自分のはく白い息が見えなくなる。
これで少しは温かくならないだろうかと。
そんなことを思いながら、始発さえまだ走らない駅のホームに一人立っていた。






「俺たちはずっとは一緒にいれないんだ。」
そう言ったのは大好きな人だった。
なぜそんなことを言うのかと問うと、彼は泣き出してしまった。
それはもう豪快な男泣きだった。
「泣かないで。泣かないでくれよ。」
手袋をはずして、柔らかい彼の頬に触れる。
しかし、それがまた彼の涙を触発してしまったようで。
彼が泣き止んでくれることはなかった。






駅の改札に明かりがつく。
赤い髪をした無精髭の駅員が眠そうな足取りでフラフラとやってきた。
サンジがそれをじっと見ていると、視線に気付いたのか、駅員がこちらを振り返る。
「やあ、おはよう。」
「おはようございます。」

駅員は白い息を吐き出しながら、深い笑みで言った。

「早いねぇ。」
「ええ、始発に乗るつもりなんです。」

それはそれはと、駅員は笑みを一層深いものにした。
手袋のない冷たそうな手を摺り合わせ、はぁと息を吐きかける。
寒い寒い、まだ暗い冬の空の下。

「一人旅か何かかい?」

駅から漏れる微かな明かりで線路のチェックをしながら駅員が聞く。

「そんな明かりじゃあ、線路なんて見えませんよ。」

駅員の問いに答えず、サンジはしっかりとした声で言った。
そんなサンジに驚いたのか、きょとんとした顔でサンジに目をやり。
そしてまた、笑みを深くする。
サンジは見えないふりをして、一つ大きく息を吐いた。
長く白い息。
それは生まれてもすぐに見えなくなる。
駅員は笑みを作ったまま何も言わず。
そこにきちんとサンジの存在を意識したまま線路のチェックを続けていた。
サンジは何だかいたたまれなくなった。
哀しくなった。
淋しくない。
ただ、哀しいと思った。

「一人じゃありません。」
「え?」
「一人旅じゃ、ないんです。」

言うと駅員は今までと違う優しい笑みを浮かべながら、そうと答えた。
そして再び訪れた沈黙にサンジが口を開こうとすると。

「見えますよ。」
「え?」

駅員はニッコリ微笑みながら。

「毎日毎日、こうして暗い中線路を見てると、」
「え?あ、あぁ。」
「見えるもんなんですよ。」

少し自慢げに答え。
赤い髪の駅員は、素敵な旅をとフラフラ駅長室にだろうか戻って行った。
再び。
誰もいないホームにサンジはぽつんと佇む。
線路と正反対、サンジの住む街を振り返ると朝靄で霞んでうまく見えない。
街で一番背の高い鉄塔。
箱に規則正しく並んだお菓子のような濁ったネオン。
辛うじて、ここが自分の住む街なのだと教えてくれる。
でも、いつまでたっても。この街の空気に馴染むことはできなかった。
サンジは目を閉じた。
そこにはぼんやりとした灯りがあって、その真ん中には彼が立っている。
今にも泣き出しそうなのに強がって。
何だかよく分からない顔で、それでも真っ直ぐに立っている。
抱きしめてやりたくて。守ってやりたくて。
でもいつだって、抱きしめてくれるのも、守ってくれるのも彼だった気がする。






「ゼミの合宿なんじゃねぇの?」

その聞きなれた声に、サンジはゆっくりと首を動かした。
耳の付いたニット帽を被り、ふわふわのマフラーをこれでもかというくらい巻きつけて。
そこには大好きな彼がいる。

「そうだっけ?」

視線を反らせ答える。
彼は何も言わなかった。そして静かに歩いてくる。

「本当に寒がりだよな、もこもこじゃねぇか。」
「熱くなりゃ脱ぐからいいんだよ。」

お前は相変わらず寒そうだよなと、
少し薄めのコート一枚とマフラー姿のサンジに手袋を差し出す。
お前がこうやって優しくしてくれるからだと、サンジは笑いながらそれを受取った。

「切符は?」

真っ暗な線路を覗き込みながら彼がポツリと言ったので、
サンジはコートの内ポケットを二度叩く。
その姿が司会に入ったのか、彼はそうかと一言答えた。
もうすぐ始発電車がやってくる。

「何で駅ん中で待ってなかったんだ?」

寒いだろ?と、鼻を真っ赤にさせながら、彼は他愛もない会話を続ける。

「ねぇ、」

彼の他愛もない会話には答えず、サンジは彼の姿を見た。
そこに映るいつも通りの疑うことすらしない目の彼。
自分の何を、彼はこんなにも盲目的に信じているのだろうか。

「何で嘘付いて呼び出したんだとか、聞かないの?」

彼は何も答えない。
いや、彼が答える前にサンジは次々に問いかける。

「何でお前はいつもそうなの?」
「俺がいつだって正しいと思ってんの?」
「だいたいこんな時間に呼び出すなんて変だろ?疑うだろ?」
「何を考えてるんだとか、普通聞くでしょ?」

そこまで言ってサンジは黙る。
目の前の彼は、変わらず静かに、やはり真っ直ぐにサンジを見ている。
そして。

「なぁ。」
「何?」

彼はまだ霞んでいる街を眩しいものを見るかのように目を細めて見る。

「お前さ。今日ここに来るまで何考えてた?」
「え?」
「言えよ。多分俺、知ってるけど。」

彼を彩る静けさにサンジは泣き出しそうだと思った。
冷たくて、でも彼が渡してくれた手袋はただ温かい。




お前、

ああ。

お前が昔言ってたこととか、

ああ。

雨が、

雨?

お前は雨が好きじゃないから、雨が降ったら違う日にしようかとか、

ああ。

この日の為に金貯めてたけど、お前が嫌な思いしないくらいあるかなとか、

ああ。

ホントはすぐ見つかって連れ戻されるんじゃねぇかとか、

ああ。

お前が、



お前がホントは俺のことどうでもよくて、付いて来てくれねぇんじゃねぇかとか、

・・・ああ。

寒いの苦手だし、まだ布団の中なんじゃねぇかとか、

ん。




もういいやと彼は言い。
いつの間にか俯いていたサンジが顔を上げると、ふわりと笑っている彼の姿が見えた。

「お前さ、」

彼は笑いながら言う。

「お前、俺のことばっかな。」

幸せそうに笑いながら。

「ホントばか、な。」

愛おしそうに笑いながら泣くのだ。






神様、神様
どうして僕らは恋してしまったのでしょうか
神様、神様
どうして僕らをこんなに歪な恋人になさったのですか






「泣くなよ。」

「泣かないでよ、ゾロ。」

サンジはそっと寄り添う。
抱きしめることは簡単だけど、簡単だからしたくなかった。
ただ傍にいたかった。
ずっとずっと。
離れてしまうことが怖くて仕方がなかった。






神様、神様
僕は、僕らは、あなたのことなんか大嫌いだ






始発電車の到着を知らせるベルが鳴る。
トンネルを抜けてやってくる。
発車とともに再びトンネルを潜って、二人はどこまでいけるだろうか。
どこまで、いつまで手を繋いでいられるだろうか。






神様、神様
それでも僕らはあなたに願ってしまうのです
どうか僕らを



・・・神様、神様














「ポインセチア」end

ポインセチア(聖なる願い)07,12,25