散歩道
雪が降ってもおかしくない寒さの中、刺す様な風を感じながら二人は歩いていた。
しっかりした足取りで歩いている男は、こげ茶色のダッフルコートを着て水色のマフラーを巻いている。
その男の丁度後ろを、黒いエアジャケットを着た男がやや落ち着かない足取りで追う。
後ろの男はコートが厚めの生地のためとても暖かそうに見えるが、ズボンがジーンズでそこだけ寒そうに見えていた。
道は大通りを外れ、細い小道を通っている。
人通りの多い大通りを通った方が近道なのだが、後ろの彼が心配で前を歩く男が遠回りする事を選んだ。
振り向く事はしないが、男が自分の後ろに着いて来ているのを気配で確認しながら歩いている。それは慣れたものだった。
「サンジ・・・。」
名前を呼ばれ、ん?と優しく振り向き答えてやる。
「・・・寒い。まだ着かない?」
手を擦り、はーっと息をかけるが、男の視線は前を歩く彼、サンジしか映っていない。
「そうだね。もう少し歩くな。我慢できる?」
まるで幼い子どもに語りかけるように優しく聞くと、男は口を結び、うんと頷いた。
擦り合せていた手は、ジャケットの裾を強く握り締めている。
手袋をしていないその手は、寒さのために指先が赤くなっていた。ちっとも温まらなかったのだろう。
「ゾロ・・・。」
呼ばれ、頷いたまま握り締めたそこを見ていた男が顔を上げる。
「手、繋ぐ??」
男、ゾロは待ってましたと言わんばかりにフワッと嬉しそうな笑みを浮かべたかと思えば、急に真っ赤な顔になり、バカじゃねえの!とサンジを置いて歩いていってしまった。
サンジはその後姿を見ていたが、自分が今どんな表情をしているのだろうと思い、目を閉じた。
蛇口から落ちる一粒の水の気配。どこかでポタリと、その音だけが酷く響き波紋が広がっていくように感じる。
いつものように、いいだろと言ってふざけて手を繋げばいい。ゾロは嫌がらないし、むしろそれを待っているのだから。
いつものようにすればいいのだ。それを求められてもいる。
しかし、なぜか身体が動かなかった。波紋は広がり続けている。
サンジはただ静かに、ズンズンと歩いていくゾロの後姿を眺めていた。
ゾロは振り向く事はしない。
ゾロは試しているのだ。サンジが自分を追ってきてくれることを。サンジはそのことを知っている。
だから追えなかった。
求められている事は知っている。彼は無意識に、それこそ子どものように思いを示しているから。
でも、それでも一言でも、ほんの少しの態度ででも。そして自分はそれを求めてもいいのではないかと思う。
だから追わなかった。
やがてゾロの後姿が視界から消えた。
はぁ。
大きな白い塊がモワッとマフラーの隙間から溢れた。空気が冷たい。
マフラーの内側が生暖かく湿っているのを感じる。サンジはそれを気持ち悪いと思った。
先ほどと同じ足取りでゾロの歩いていった道を進む。
曲がり角を曲がったために姿は見えなくなったが、すぐに追いつくだろう。
少しだけ期待してか、曲がり角手前で止まり覗こうとしている自分を、ばかだなぁなどと思う。
しかし、そこには誰も居なかった。
道の先にも誰も居ない。道端に自転車や車が止めてあるが、隠れるようなところはどこにもない。
「ゾロ?」
呼んでも答える声はなかった。
それからはよく覚えていない。
走って、走って、しかしどこを走ったのかはさっぱりだった。
見慣れた緑色の頭を見つけたのは、そう遠くない広場だ。
その広場にはベンチしかなく、暖かい日だと散歩途中の老人やボール遊びに来た子ども達がいるだろうが、今日は誰も居ない。
広場は、ベンチにも座らず佇む男の後姿を、人とは異なるものではないかと思わせる雰囲気を出させていた。
彼は今、不安定だろう。自分がそうさせてしまったことを、よく知っている。あの時、いつも通りにしてやればよかったのだ。
「ゾロ。走ったのか?急に居なくなってビックリした。捜したんだよ。」
ゆっくり近づきながら、優しく言う。サンジがゾロの真後ろに立った時、俯いた頭のままゾロが振り向いた。
そして、サンジの手を握る。
「ゾロ?」
「温かい。サンジ走ったから、手、温かいな。」
顔を上げず呟く。
「ゾロ?」
「って、して欲しかったんでしょ?」
そう言って顔を上げたのはゾロではない。ゾロの身体でも、ゾロではない。
彼は、否、彼女は、
「ナミさん?」
「はぁい。サンジくん。」
ふわりと微笑んだ彼女は、ゾロの中に居る、もう一人のゾロだ。
幼い頃受けた虐待による心の傷が原因で、人格に障害を持つゾロの中には、『ゾロ』と呼ばれる主人格と彼から分離した人格『ナミ』が存在する。
二人以外にも以前は別の人格が存在していたのだが、何度か融合と分離を繰り返し、今はこの二人で落ち着いているのだ。
しかし、主人格であるはずの『ゾロ』はひどく精神的に不安定であり、分離した人格である『ナミ』の方が安定している人格である。
それでも『ナミ』は、主人格である『ゾロ』を消すことなく、あくまでこの身体は『ゾロ』のものだと言い、いつでも『ゾロ』を内から守っている。
彼女はゾロにとって、実体の無い母親のような存在だった。
「ゾロは・・・?」
「うん。」
酷く曖昧な笑みを浮かべ、『ナミ』は再び顔を伏せた。
「泣いてる?」
「・・・今日は大丈夫みたい。」
「そう・・・。」
何が見えるというわけでもなく、サンジも顔を伏せる。
自分の我侭で、安定していたゾロを乱してしまった。
今日は泣かせる事はなかった。それでもゾロを追い詰めてしまった自分が、自分自身でありながら酷く憎かった。
「サンジくん。」
はい、と声を出したつもりが酷く掠れてしまい、音にならなかった。顔だけ勢いよく振り上げた状態になる。
『ナミ』の手が力強く、優しく包むようにサンジの手を握った。
「ゾロにこうして欲しかったのよね。」
「ゾロから手を繋ごうって言って、ゾロとこうしたかったのよね。」
思わず涙が零れそうなほど、温かさを感じさせる口調。
大の大人がと思い、その気恥ずかしさからか笑って誤魔化そうとしたつもりが、酷い表情になっただろう。
困ったような、そんな。泣きたくなった。
ごめんなさい。こんなでごめんなさいと、誰にでもいいから謝らなければならないような思いに駆られた。
そんなサンジを見て、『ナミ』もまた泣きそうな顔になる。
「謝らないでね。」
「・・・。」
「あのね。ちゃんと今もゾロは見てるから。今のサンジ君のこと。ちゃんとゾロも見てるよ。」
だから。ちゃんと伝わってるんだよ。
「私たちの方こそ、こんなでごめんね。」
サンジは思わず『ナミ』を、抱きしめた。
『ナミ』の身体がゾロではなく、女のそれなら潰れてしまうであろう程の力を込めて。強く。強く。
その身体のずっと奥に居るゾロに少しでも伝わればいいと。
声を殺しながら泣き出してしまったサンジの背に『ナミ』は静かに手を沿え、幼子を宥めるように出来るだけ優しく撫でる。
まるで自分は、思いを伝える術を知らないこの子達の母親のようだと、小さく笑みを浮かべ、慈しむ様にそっと寄り添っていた。
冷たく痛い風は、寄り添う三人を未だに刺す。
陽は遠い、寒空の下の散歩道。
「散歩道」 end
ちょいと昔に書いた文です。本来の設定季節は2,3月でした。書き直した。
冬の冷たい風、張り詰めた空気。
彼らに少しでも何か感じるものがあったなら、幸せです。