お前は誰だ。


俺はお前。


お前は何だ。


さぁ。なら、お前こそ何なわけ?












さよなら、ともだち











妖怪、異次元ゴム胃袋船長がキッチンへ入ってこない。
今日は実に平和だ。空も晴れやか、窓から注ぐ光は美しい。
しかし、サンジにとってはどうでもよい。
耳元で囁く声が途切れない。
声は名前を呼ぶわけでもなく、はっきり言って聞き取れない。でも確かに聞こえる。
その声には覚えがある。
食器棚の扉、中が見えるようにガラスになっているそれに視線を向ける。
当然のように、ガラスはサンジを映していた。
じっと見つめている。その瞳の色が、少し影を濃くした。
動いていないはずなのにガラスの向こうのサンジは、覚えの無い表情を浮かべてこちらを見ている。
『そんな面すんなよ。』
ガラスの向こうのサンジの声だ。それは頭に響き渡るように聞こえる。
サンジはガラスから体ごと目を反らし、棚から離れてテーブルに座った。
『また無視か?いい加減止めた方がいいぜ、他人だったら嫌われる。』
離れたはずなのに声は聞こえる。
はっと手元のコーヒーカップを覗き込むと、中の液体にしっかりとサンジが映っている。
自分の顔のだからか、余計に気に触る。気分が悪い。
「安心しろよ。お前限定だ。」
コーヒーに映し出されたサンジは薄っすらと笑い、そうかよと答えた。

自分はおかしくなったのだろうか。
いつからか、どこからか。声が聞こえることに気付いた。
それが何者か知ったのは、朝起きて顔を洗っていた時のことだ。
鏡に映った自分。
そいつは、タオルで顔を拭く自分と同じ動きをしなければならないはずなのに。
顔を拭くサンジを見て、薄っすらと笑っていた。

『淋しいねぇ。お話しようぜ、サンちゃん。』
「クソ気持ち悪ぃ、止めろ。自分と喋って楽しいわけあるか。」
コーヒーを一気に飲み干し、流しへ持っていく。
流しの銀色に自分が映っていた。
『そんなこと言うなよ、泣いちゃうぜ俺。』
意地の悪そうな物言いにサンジは腹が立つ。
いつもならカップを洗ってしまうが、そのまま置いてキッチンを出た。
何なんだアレは。何であんなものが見えるようになったのだ。
混乱したまま、サンジはズカズカと船尾へ歩いていった。誰もいない場所へ行きたかったのだ。
思ったとおり誰もいないことに安堵し、しかしどこかでガッカリしていた。
誰にでもいいから気に掛けて欲しかったのだろうか。
薄っすらと期待している自分が酷く滑稽だった。
そんなことを思ってしまう自分が惨めで、壁に凭れズルズルと座り込んだ。
膝の間に頭を埋めて、ぎゅっと挟み込む。耳を塞いだのだ。
船員の声も、鳥の声も、風の音も、波の音も入ってこないはずだった。
「頭、痛いのか?」
突然頭の上から降ってきた声に驚いて、サンジは勢いよく空を見上げた。
驚くほどの太陽の光が飛び込んできて、急いで目を閉じる。
サンジの凭れていた壁は丁度上がみかん畑になっている。
ゆっくりと後ろを振り向きながら見上げると、ゾロが足をぶらつかせながら座っていた。
不覚にも全く気が付かなかった。
「いや・・・ちょっと耳が、おかしかったから。」
ボソボソと答えると、上からゾロがサンジの横に飛び降りてきた。
フワリと音を立てずに立つ。
「顔色、悪ぃ。」
そう言って額に手を当ててくる。
急に触れてきたので、サンジは驚きと照れで逃げてしまった。
ゾロは不思議そうにサンジを見て、大丈夫かと問う。
「大丈夫だ。気分悪くなったらチョッパーにちゃんと言うから。」
ガキじゃねぇんだし。
「それもそうだな。」
安心したのかゾロは笑って、再びみかん畑に上って行った。
みかん畑は最近のゾロのお気に入りお昼寝スポットだ。
ゾロが見えなくなって、ほっと息を吐く。少し顔が熱かった。
『うぶいねぇ、サンちゃん。』
赤くなった顔が、一気に真っ青になる。
『サンちゃんはゾロが大好きだもんな。嬉しいなぁ、心配してもらえたんだもんなぁ。』
声は止まない。
『でも、ゾロはそんなの知らない。お前がどれだけ好きなのか知らない。』
『今のだって、仲間だから心配してくれてたわけで、お前のとは違う。』
「黙れっ!」
みかん畑のゾロに聞こえたかもしれない。それどころか、船中に響いたかもしれない。
サンジは洗面所へ走った。
鏡を見る。そこには確かにサンジがいるが、自分ではない。
はぁはぁと息を切らしている自分を、嘲笑いながら眺めているモノがいる。
同じ姿をした、しかし絶対的に自分と異なる自分。
『おや、ちゃんと話してくれる気になったわけ?』
「黙れ。」
『それじゃぁ、お話出来ないぜ。サ〜ンちゃん♪』
「黙れっ!」
おぉ怖いと、肩をすくめている。
「お前、一体何なんだ。」
『その質問には始めに答えたはずだ。』
「分かんねぇから聞いてんだよ。」
『お前が分からねぇことが、俺に分かるかよ。』
お前は俺なんだから。
サンジは黙る。鏡に両手をつき、そこに映る自分らしきモノを睨みつけたままだ。
余裕を微塵も感じさせないサンジを前に、鏡の中のサンジはニヤニヤと笑っている。
『お前のことなら、何だって知ってるよ。』
そっと、鏡のサンジが近付いてくる。
『可哀相なサンちゃんは、叶わぬ恋に枕を濡らす日々を過ごしています。』
サンジは動揺し、目を大きく開いた。
『昨夜も右手がお友だち。淋しい夜には慣れてしまいました。』
「う、煩いっ!」
『しかし、相変わらず想い描くのはゾロのことばかり。ああ、ゾロ、好きだ。愛している。』
「黙れ・・・たのむ・・・。」
『お前を想わない日はない。お前の全てを愛してる、その心も身体も全てを。』
静止の声は、力なく掠れてしまう。
サンジはズルリと壁を頼りに膝をつく。足から力が抜けきってしまった。
「何がしたいんだ・・・。俺を、潰したいのか。」
完全に俯き、サンジは震える声を無理矢理抑えようとする。
『違うよ。』
鏡のサンジの声が一層、近い場所で響いた。
『俺はサンちゃんの味方だよ。』
ゆったりと顔を起こし、鏡を見る。
鏡の向こうは真っ直ぐこちらを見て、またあの厭な笑みを浮かべたまま。
『ゾロが欲しいんだろう?サンちゃん。』
欲しい、ゾロが。そうだ、俺はゾロが好きなんだから。
『動けないサンちゃんの変わりに俺が動いてやるよ。優しいだろ?』
なぁ、と囁いた声が遠い。
目の前で、暗いカーテンが閉じる。












気が付けば真っ暗な場所だった。
目の前には窓のような四角があって、そこが光っていた。
ここはどこだと、混乱した頭で光を覗き込むと、四角の外側は見慣れたキッチンだった。
「何だ?」
テーブルには皆が座っていて、食事の真っ最中だ。
『おかわりー!』
サンジのいる暗闇の中、響くようにルフィの声が聞こえる。
他の皆の声も、同じように響いていた。
『ったく、てめぇは本当によく食うなぁ。』
サンジの声だ。
なぜ、自分がそこにいる。
窓のような四角は、ガラスのようなもので向こうには届かない。そしてそれは開く事が出来なかった。
「おいっ!てめぇ、誰だ!!」
開かない四角を乱暴に叩くが、ビクともしない。
「皆気付けよっ!俺はここだっ!!そいつは偽モノ。」
偽モノ?その言葉に迷いを覚えたと同時に、四角の向こう側のサンジがこちらを見た。
偶然ではない、見えている。こちらを見ているのだ。
ニヤリと笑った。厭な笑いだ。あの、鏡の向こう側の。
「てめぇ・・・まさか。」
どういう仕掛けかは分からないが、そういうことだ。
鏡の向こうにいた自分と入れ替わった。
その目が、黙って見ていろと言った様に感じサンジは黙る。
本当は頭の中が混乱しすぎて、言葉が思い浮かばなかった。
一体何が起きているのか。
『うめぇ!やっぱサンジの飯が一番だな!』
ルフィは相変わらずで、サンジが別の何かと入れ替わっていると気付いていない。思い浮かびさえしないだろう。
『そんなこと言っても、もう何も出ねぇぞ。』
『ちぇ、ケチ。』
いつもの自分だ。全く同じものがそこに居るのだ、誰も気付かなくて当たり前なのかもしれない。
そうして食事が済んだ者はキッチンを後にする、残ったのは片づけをしているサンジと酒を飲んでいるゾロだ。
「おい、まさか・・・。」
厭な予感がする。とても厭な予感だ。
向こうのサンジが片付けを終え、ゾロの隣に座った。それにゾロが怪訝そうな顔をする。
『おい、何で隣に座る。』
サンジは答えない。そのまま、ゆっくりと近付く。
『熱い、寄るな。ってか、何だてめぇ。』
飲んでもいいって言ったじゃねぇかと、ゾロがサンジに顔を向けた瞬間。
目の前いっぱいにサンジが映った。サンジの唇が、ゾロの唇に食いついたのだ。
そのまま、歯を割って口内を掻き混ぜる。
幾度も角度を変え、深く深く潜り込もうとするかのように行為は続いた。
ヌルヌルに口を濡らし、サンジはゆっくりとゾロから離れる。
息をすることが出来なかったゾロは、はっはっと必死に空気を吸い込んだ。
『好きだよ、ゾロ。』
サンジは甘く囁く。
『何言ってんっ!』
続ける前にゾロの言葉を飲み込むように、ぱくりと口を塞ぐ。
そして、再びゆっくりと離れ。
『好きだ。』
そう言ってシャツの下へ、水仕事で冷たくなった手を潜らせた。
『うぁっ・・・あ・・・。』
『愛してる。』
サンジの手が静かにゾロの腰へ下りていく。
『い、いやだ・・おいっ止めろっ!!』
時間を掛けて愛撫してやれば、ゾロは小さく鳴きながら確かな反応を返す。
ねっとりとサンジはゾロの身体を舐める。そして、笑いながら向こうのサンジを見るのだ。
四角の窓いっぱいに広がる、目を覆いたくなる行為。
でも、それは自分が求めていたものではなかっただろうか。
『あっ・・あ・・・。』
ゾロの喘ぎが響く度に歯を食いしばる。目の前が赤く染まりそうだった。
「止めろ・・・。」
そんなサンジを嘲笑う、もう一人のサンジ。
ゾロをその手で乱し、しかし視線はサンジへと向いたまま。
「・・・触るな、ゾロに・・触るな。」
『ふぅっう・・・あ・・・。』
サンジはゾロの身体の奥へと潜り込もうとする。そこには愛しさと言う感情を感じさせない。
よく見ろと、サンジに見せ付けるためだけの行為。
「止めろっ!!止めろぉっ!!!」
叫び、力の限り四角い窓を蹴りつける。しかし、音さえなることなく何も変わらない。
「ゾロっ!ゾロォォ!!」
呼んでも届かない。拳に血が滲む。
『ぅあっ・・あっ・・やめっ、サン・・・ジ。』
「うわぁあああああ!!!」
泣き叫んだ。それしか出来なかった。
気絶したのかゾロはそれ以上何も言わなかった。窓からでもよく分かる、酷い出血だった。
力をなくし、ぐったりしているゾロの頭を持ち上げ頬をベロリと舐める。
サンジはサンジを見た。
『よかったな、サンちゃん。ゾロはサンちゃんのものだ。』
満足だろう?
カーテンが再び視界を遮る。
赤黒い暗闇は、ゾロの血を吸ったからだと思った。












次に気が付いた時、目の前にはゾロが倒れていた。
窓から眺めていたままの、下が血まみれの酷い有様だった。
サンジは泣いた。
悲しくてか、悔しくてか、また別の何かか。ちっとも分からなかったが、涙が止まらなかった。
ゾロの身体を抱きしめて、泣きじゃくった。
それでもゾロは目を覚まさなかった。
一頻り泣いた後、サンジはゾロの身体を温かいお湯で絞ったタオルで出来る限り優しく清めてやった。
服も調え、自分用にキッチンに置いていた毛布で包む。
辛そうに眉を寄せている表情にまた泣きそうになり、誤魔化そうとゾロの頭を撫でていた。
「ごめん。ごめんな。」
そう言って撫で続けた。
『どうしたのさ、サンちゃん。今がチャンスだぜ。』
あいつは、あのサンジは。自分がそうしていたように、窓のような四角から今を眺めているのだろうか。
『ほら、今なら思うままだよ。折角、俺が望む通りにしてあげたんだから。』
サンジはそっとゾロから手を離し、食器棚の前に立った。
ガラスを覗き込むと、そこにはいつもの厭な笑みを浮かべたサンジが立っている。
「俺はこんなこと望んじゃいなかった。」
『嘘だぁ。ゾロのことずっと抱きたかったんだろう?メチャクチャにしてやりたかったんだろう?』
「あんなの、違う。俺は、ちゃんとゾロに好きだって伝えて、答えて欲しかった。」
ガラスの中のサンジは、じっと睨みつけるサンジにキョトンとした顔で。
『俺、ちゃんと好きって言ったげたよ。愛してるとまで言ったのに。』
「違う!あんなのっ!!」
だって、こいつはちっともゾロを思ってなんていなかった。
『そうだよ。』
おどけていた向こうのサンジが、急に静かに言った。笑みを浮かべることなく、感情を感じさせないまま。
『俺にとってゾロはどうでもいいの。俺はね、サンちゃんが大好きなの。』
サンちゃんは俺が嫌いだけどね。
『愛してるよ、サンちゃん。』
「失せろ。」
『サンちゃんのためなら、何だってしてやるよ。ゾロだって、何ならもう一度やろうか?』
「消えろっ!!」
がしゃんっ。
食器棚のガラスをぶち破った。鋭いガラスの欠片で傷付いた拳は真っ赤な血を滴らせたが、あまりの怒りで痛覚が麻痺していた。
自分は、どうしてしまったと言うのだ。
「何なんだ・・・。」
「そりゃ、こっちのセリフだ。」
背中からの声に、びくりと肩が跳ねた。振り向くと、ゾロが毛布に包まったまま座っている。
「ゾロ・・・。」
「言い訳くらいなら聞いてやるぞ。ま、半殺しは変わらねぇけど。」
「・・・。」
「言い訳もなしか。」
へっとゾロが笑った。いちちちと言いながら、立ち上がる。
「てめぇのせいでケツが痛ぇよ。変態マユゲ。」
「ゾロ、俺は・・・。」
「俺はな、てめぇのそのはっきりしねぇ態度がいつも気にいらねぇんだ。」
ゾロの敵を睨むような鋭い視線に、サンジは何も言う事が出来ない。
「何考えてるかさっぱり分からねぇ。それでもいいと思ってたがな、挙句この様だ。」
言って、ぎりりと音が鳴る位、歯を噛み締めている。
「お前は何なんだ。何がしてぇんだ。」
そんなの俺が聞きたいよと、しかしサンジは言葉に出来ない。
「お前、もう俺の前に出てくるんじゃねぇ。消えろ。」
ゾロの言葉に呆然としていると、ガツンという音とともに衝撃がサンジの右頬に入った。
サンジは受身も取れないまま後ろに飛ぶ。
殴られたのだと理解したとき、ばたんと扉が閉じる音がした。ゾロが出て行った。
「ゾロ。」
呼んだわけじゃなく、声に出ていた。
殴られたせいだろうか、頭が働かない。
「あは・・ははは。」
とりあえず笑ってみるが、感情がついていかない。
ああ、そっか。今はそういう気持ちじゃなくて。じゃあ、あれ?何だっけ。
『可哀相なサンちゃん。こっちへおいで、俺が慰めてやろう。』
散らばった食器棚のガラスの欠片に映る自分が、愛しげに見上げている。
「煩い。てめぇがやったくせに。」
『そうだ、俺のせいだ。だから、サンちゃんは悪くないんだよ。』
「そうだ、俺は悪くねぇ。」
しかし、ゾロは行ってしまった。消えろとまで言われてしまった。
もう、ゾロの傍に行けない。許されない。
「ゾロ。」
もう一度名前を呼ぶ。今度は涙が出てきた。
右頬が腫れているのか、涙が当たってむず痒かった。口の端に傷があるのだろう、少し沁みる。
『泣くなよ、サンちゃん。』
「誰のせいだ。」
『ゾロのせいだ。』
ちげぇよ、お前だ。お前。
言葉にせず、ガラスを踏みつけてやった。
もうダメだ。何でこんな事になったのか、いまいち理解できないけれど。
俺はもうゾロの傍にいられない。ゾロがそれを許さないだろう。それだけは確か。
涙は暫く止まないだろうが、もういい。
サンジは拳の出血も忘れて、両手で顔を覆った。血生臭くて、ゾロを思い出した。
ゾロが眠っていた場所を見る。床に血の跡が残っていた。行為の時、流れたゾロの血だ。
そっと近付いて床に残ったそれに口付ける。
そんな自分に涙が止まらなかった。
惨めだ。愚かだ。俺は何て・・・。
『可哀相なサンちゃん。許せねぇなぁ。許せねぇよ、ゾロ。』
静かに視界をカーテンが遮ってゆく。
『そうだな、そうしよう。殺しちまおう。』
真っ暗で、何も見えない。












暗い場所で座っていた。何もする気は起きない。
また入れ替わったらしいが、四角い窓の外も、もう気にならなかった。
声だけはそこら中に響いているので、よく聞こえる。外の自分が、仲間と他愛も無い話をしているだけだ。
俺の変わりに、そうしててくれと思う。
『ゾロは?』
『あいつは後から食うって。』
ウソップが答える。
『俺、運んでくれって言われてるけど、お前ら喧嘩してんのか?』
今度の声はチョッパーだ。
『ああ、でもいいよ。俺が持ってく。仲直り、しなくちゃな。』
意味ありげな外のサンジの言葉に、サンジは微かに反応した。
これ以上何をする気だ、と。
フラフラと四角を覗き込む。いつもの食事の様子だ。ただ、ゾロがいないだけ。
そして外のサンジは、お盆に食事を乗せキッチンを出る。
ゾロの元に行くのだと分かった。
「おいっ!止めろ。聞こえてるんだろ!お前が行くな!!」
外のサンジは足を止めることなく、歩いていく。
ゾロはおそらくみかん畑で寝ている。いつもその姿を追っていたから、サンジはよく知っている。
「止めろ。これ以上ゾロに嫌われなくねぇんだ。何もするな。おいっ!」
みかん畑の中、ゾロは静かに眠っている。気付いているだろうに、ゾロは目を閉じたまま動かない。
「そのままお盆を置いて戻れ。何もするなっ!」
『安心しろよ、サンちゃん。』
外のサンジはやっと答える。
『サンちゃんが泣かないように、サンちゃんを傷つけるモノなんてぶっ壊してやる。』
何をする気だと、叫んだだろうか。
お盆をそっと足元に置いたサンジは、寝ているゾロに馬乗りになる。
ゾロは目を開け、消えろと言ったはずだと言った。
『そうだな。だから消しに来た。』
答えてサンジはゾロの首に手をかける。全体重をかけて、ゾロの首を押さえ込んだ。
ぐぅっと、ゾロの喉が鳴った。
「止めろっ!!おい!!!」
ゾロも必死に抵抗し、サンジの腕を外そうとしている。
「ゾロ、切っちまえ!!何で切らねぇ!!!でなきゃ腕を引きちぎれ!!!!」
サンジの腕を必死に剥がそうとし、時にサンジの顔を殴りつけるが、その腕を決して傷つけようとしないゾロ。
「コックだからって遠慮するなっ!てめぇの命が掛かってるんだぞ!!!」
必死に息をしようと口を開けても、吸うことも吐くこともできないゾロの口。
開いたままの口から唾液が零れる。
『・・っぁ・・んじ・・・。』
途切れ途切れの声と、光を失いかけた目に、サンジは堪らず叫び続けた。
「止めろ!止めろ!!殺すなら俺を殺せ!!!ゾロ!!!!」
ゾロの首を笑いながら抑え付けたサンジは、窓から覗くサンジを見た。
『ね、サンちゃん。これで悲しくないだろ?大好きなゾロは何も言わずにサンちゃんの腕の中で思うがままだ。』




違う。そんなこと望んじゃいない。

お前は何だ。俺だというお前は何なんだ。俺は何だ。






「止めろ、頼むから!!止めてくれ!!!ヤメロォォォォォ!!!!」






目の前のカーテンが突然開いた。
ゾロに絡んでいた自分の腕を引く。そのまま後ろに尻餅をついた。
ゲホゲホとゾロが必死に呼吸をしようとしている。
「違う。俺は、こんなことしたいんじゃないはずだ。違うのに。」
サンジはゾロの首を絞めていた自分の手を見つめた。ガタガタと小刻みに震えている。
「違う。嫌だ。何で、何が・・・。こんな・・・これじゃあ。」
呼吸を整え、ゾロは混乱から抜け出せないサンジを見た。
「どうして。何でそうなる。何なんだ、俺は。」
「お前・・・。」
ゾロの声に怯えたようにサンジが反応し、震えは一向に止まりそうになかった。
「お前は、自分が嫌いなのか?」
無言でゾロの目を見る。責めるわけでもなく、じっと。ただじっと静かに見ている。
自分が、嫌い。
「お前さ、いきなり性格変わったりして意味分かんねぇ。」
「鏡の・・・俺が。」
「は?」
もう一人のサンジ。サンジのことを何より愛しているサンジ。
「いきなり好きだとか言うし、エロいことしてくるし。寄るなって脅しにビビったと思ってたら、殺すとか言うし。」
でも。
「何かやっと見たかったお前が見れた気がする。」
「は?」
「いつも何かと遠慮してるように見えてたんだがな。」
遠慮?
「お前、自分が嫌いなのか?」
「・・・好きじゃ、ないとは思うけど。」
とりあえず、愛もなくゾロに手を出した向こうのサンジは嫌いだ。
「ふーん。」
それだけ言って、ゾロは何事もなかったかのようにお盆に乗った料理を食べ始めた。
殺されそうになって、しかも自分を殺していたかもしれない人物を目の前に、この男は何だろうと思う。
「俺は、結構お前のこと好きなのにな。」
残念だと、サンドウィッチに噛り付きながらゾロが言う。
「へ?今、何と?」
「残念だ。」
その前だっつーの。
お盆に乗っているグラスに、歪んだサンジが映っている。
いつものようにニヤニヤと厭な笑いを浮かべたまま、こちらを窺っていた。
てめぇの思い通りにさせてたまるか。
「ゾロ。仕切り直しだ。」
「は?」
「毎日美味い飯食わせてやってんだ。さっきのことは水に流せ。」
「首絞めか?」
「あれは、俺だが俺じゃねぇ。」
はぁ?と、ゾロは大きく顔を歪める。
「でも、あのことは、なしにしねぇ。」
あのことと言われ、サンジと同じものを思っただろうゾロは思い出してムッと眉間に皺を寄せる。
そのまま黙って残りのサンドウィッチを口に放り込んだ。
「好きだ、ゾロ。本当に好きなんだ。」
サンジのセリフを聞いた途端、眉間の皺は消え、キョトンとする。
へ?ともう一度聞きなおしてくる。
「だから・・・その、愛しちゃってるのよ。ロロノアさん。」
「あれ、嘘じゃなかったのか。」
ゾロ曰く、嫌がらせであんなことしたと思っていたらしい。
鏡の向こうのサンジがどう思っていたのか分からないが、サンジは本気でゾロが好きなのだ。
そういう意味でも。
「そうだなぁ。こういう時は何て言うんだ?責任取って下さい?」
「お前・・・いや、はい。責任取らせて下さい。」
ゾロは、ん、と頷いてレモン水の入ったグラスを一気に傾けた。
グラスの底にはサンジが映っている。サンジを見て、ニヤニヤと笑いながら言う。
『愛してるよ、サンちゃん。』
一気に飲み干して、グラスはお盆に戻された。
「ごちそうさま。」
再び横になり、ゾロはグーグーと鼾をかき始める。
早すぎだろ、おい。
サンジはお盆を持って、キッチンへ戻るため立ち上がった。
もうグラスには、あの厭な笑みを浮かべるサンジは映ってはいない。いつもの、何も無い自分だ。
あれは何だったのか。もう出てこないのか、なりを潜めただけか。
ニヤニヤと自分を嘲笑う自分。お前を一番愛して止まないと言った自分。
グランドラインの影響か、はたまた本当に自分がおかしくなったのか。しかし。
何となく、ほんの少しだけだけど。
サンジは自分の事が好きになれそうな気がした。


















「さよなら、ともだち」end