世界で一番孤独な人
夜に飲まれる。
真っ暗闇の海は、音さえも遠退かせるように。遠く、遠く。
気配を殺して歩く、もう誰もいない甲板。
皆、それぞれの部屋へ戻ったのだろう。
見張りに付くはずの誰かも、きっと眠ってしまっている。
見張りの意味ねぇな。
サンジは笑う事もせず、闇に身を潜ませていた。
きっとこのままここにいても、朝が来るまで誰も気付かないだろう。
今、自分はこの世界で一人きりだ。
そんなことを思い、サンジは始めて口の端を上げる。
誰も起こさないように、そっと歩き。そっと扉を開く。
衣擦れの音も生まず、空気さえも動かさないように。
明かりのない男部屋は、穏やかな夢の住人たちの吐息で満たされている。
確かに彼らがここにいるという証だ。
「ルフィ・・・。」
呼んでみる。否、ただ名前を読んだのだ。
答えるはずはない。そんなものを求めていたわけでもないし、眠っているのだ、当然だろう。
「ウソップ?」
妙なシルエットを見つけ、名前を呼んでみる。呼ぶというより、聞いている。
勿論、答えるはずはない。同じくサンジは求めていないし、ウソップは眠っている。当然だ。
「ああ、チョッパーだ。」
また一人仲間を呼ぶ。ウソップの後ろに見えた影の正体を見つけただけだ。
妙な鼾をかきながら、モゾモゾと三つの影が動く。動くだけ。
生きているのだから。そこにいるのだから。
ふと。
三つの影。一人、足りない。
サンジは真っ暗な部屋を目だけで見回す。
人数分のハンモック。不恰好なソファ。波で静かに揺れる足元と、ぶら下がった電気。
一人きり。
足音さえも殺してしまった自分は、本当にここにいるのだろうか。
こんなことをしなくても、実は自分という人間はここにいないのではないのだろうか。
「ゾロ。」
不安になって名前を呼ぶ。呼んだ。間違いなく、サンジはゾロを呼んだのだ。
「ゾロ、どこ?」
寒いわけでもなく、身体の芯が震える。
月明かりも届かない部屋の奥。暗闇の暗闇へ向かって、サンジは足を進める。
冷たいソファ。カラッポのハンモックが二つ。
ゾロが、いない。
不安で揺れていた瞳は、さっと静かになった。
暗闇で確かな輪郭を失っているもの達が鮮明になっていく様だ。
音を殺したまま、サンジは部屋を飛び出す。
先ほど見上げただけの見張り場へと向かった。
うろたえているのか?
無様だな。
サンジは口の端が引き攣っているのを感じた。
真っ直ぐ、目の前しか見えない。
マストを這い蹲って登る。
耳鳴りがキンとした。空気が張り詰めている。
この船で一番空に近い場所。捜し人はそこにいた。
部屋のハンモックから消えていた毛布をグルグルに巻いて。
スウスウと寝息を立てている。
サンジは再び瞳が揺れるのを感じた。はぁと、溜息をついたが音は生まれない。
月明かりに柔らかく照らされたゾロの頬を眺める。
果たしてここに自分がいるのだろうかと思わせるほどの、その健やかな眠りを。
ここは暗く、静かだ。
「ゾロ。」
ほら、名前を呼んだって答えるわけないんだ。
自分はそこにいないんだから。
この船の中で今、こうして息を潜ませているのは自分だけだ。
それはどういうことだろうと、サンジは思う。
それは一人きりということ。
裏返して、自分一人が眠っているとしよう。
それはどういうことだろうと、サンジは思う。
それは一人きりということ。
仲間の朝食の下準備のために遅くまで起きていても。また、一番に目を覚ましても。
「ゾロ。」
もう一度名前を呼ぶ。自分にあるいっぱいの不安を込めて。
「ゾロ。」
どうしてだろう。泣きたいわけではないのに。とても優しい気持ちであるはずなのに。
穏やかな夜。静かな海。真っ暗闇。ただ一人。
ここは夢の中の様に。目を覚ませば、やっぱり一人きりなんじゃないだろうか。
音を殺す自分は、本当は音を生み出すことができないのではないか。
ここにいるなんて。ほら、夢の中。
誰も、サンジなんて人間を知らない。そんな世界。
それはとても淋しいことなんじゃないか?
何かを確かめたくて、サンジはそっと手を伸ばした。
一番長い指の先が、夜風に晒されて冷たいゾロの頬に触れる。
その感触に一度指を引いて、再び、今度は頬全体を触れるように撫でる。
まだ朝の遠い、冷たい夜空の下。それは真夜中の灯火の様に。
サンジは、ゾロと再び名前を呼ぼうと口を開く。
「うるせぇ。」
突然の自分ではない声で、へ?と、ゾロの顔を覗き込むが、ゾロは目を閉じたままだ。
何か口をモゴモゴと動かしている。
途切れながらも声を漏らしているなと思い、サンジはフワリとゾロの目の前にしゃがみ込み、その顔を覗いた。
すると気配に気付いたのか、薄っすらと開き始めるゾロと目が合う。
「あ、すまねぇ。起こすつもりは、」
ひそひそとサンジがゾロに話すが、ゾロは半分ほど開かれた目を、動かすことなくじっとしている。
そして、何を思ったか大きく二度頷いた。
「ん。」
「へ?」
「そうか、そうか。」
「は?」
わかった、わかったと、いつものぶっきら棒な表情のまま頷き、着ていた毛布をぶわっと開き、毛布に二人が包まる様、サンジに抱きついた。
「へぇ?」
サンジは何が何だか分からず、間抜けな声を出し、誰も見ていないのにキョロキョロと周囲に気を配る。
見張り場には、丸い大きな影が一つ。
ひょこひょこと辛うじて覗く二つの頭が、それが人間だと教える。
「ゾロ?」
密着して動かせない身体の代わりに首を捻り、ゾロの顔を覗き込む。
先ほどと同じ、健やかな寝顔が見えた。
「動けないんですけど・・・。」
眠りを妨げる以外に。
ゴロンと二人、狭い場所に丸まったまま寝転んでしまう。
サンジはゾロに抱きつかれているので、ゾロにつられて横になった。
「寝ぼけてんかな。」
起きているゾロならありえないと、空を見上げる。丸く切り取られた空が見えた。
「なぁ、朝起きても俺が悪いんじゃないからな。お前がくっついたんだからな。」
ゾロは答えない。眠っているのだ、当たり前だ。
耳にはゾロの寝息を聞こえる。それに誘われる様に、サンジは瞳を閉じた。
「見張りの意味ねぇな。」
そう言って、ゾロの体温が連れて来る眠りに身を任せ始めると。
よしよしと。また寝ぼけているのか、抱きついているゾロが優しく背中を擦った。
ちっとも淋しくないじゃないかと、サンジは自分と夜を笑った。
end
夜って何でいろいろ喋りたくなるんだろう。(私だけ?)
淋しいからなんでしょうか?淋しいなんて、これぽっちも思ってないって思っても、ゼロじゃないんだろうな。
ゼロじゃないそいつが擽るんかいなと、思ってみたり。
夜かー夜なー。ゾロがサンジに抱きついたらいいのに。
そんなことを思いつつ。やっぱりサンゾロ好きだな。うん。