疾走深夜
男は血まみれのまま、目の前に倒れる鼻っ面の折れた男を睨んでいる。
その様子を遠目に、男が二人。
血まみれの男は、静かに銃口を起こした。
「お前が、あの探偵に垂らしこんだのか・・・?」
「す、すまねぇ。」
「・・・。」
銃口はそのまま、血まみれの男は目を細める。何かを考えているようだ。
「し、し知らなかったんだ!!あいつがお前の言ってた探偵だなんて!!」
殺されまいと必死の男。仲間の一人だ。
残りの仲間と自分を合わせても4人。たったの4人だ。
殺してしまうのは勿体無いように思った。
「まぁ、いい。」
もう興味ないと言わんばかりの返事に、倒れた男はほっとした様子で言う。
「あいつ、殺すんだろ?俺も手伝うよ。あいつにこの鼻を折られたんだ。」
血まみれの男はその言葉にニヤリと笑った。
「いいだろう。いいか?ここに金がある。探偵を殺したヤツに一千万くれてやる。」
言葉なく、様子を遠目に見ていた男達は驚いた。
一千万。子どもを誘拐して、その身代金として奪った金の一部だ。
「そして、もし探偵を生け捕りにして連れてきた奴には・・・・もう一千万。くれてやる。」
仲間の男達が何も言わなくても、血まみれの男は分かっていた。
仲間の動きの全て。何を考えているのか。
どう、探偵を始末するか。
男は再び、ニヤリと笑った。
探偵。
人からそう呼ばれる男は左手の傷に包帯の代わりにと、薄汚れた布きれを巻いた。
布きれは右手と口で固く結んだ。
傷は深く血はとめどなく流れ、布きれはあっという間に赤く染まる。
自分の背丈よりも少し大きめのジャンパーを着直すと、探偵は大きく息を吸い、また大きく吐き出し、歩き出す。
約束を果たすために。
「待てっ!」
追いかけてきたのか、黒い車から金髪の男が駆け寄る。
見て確認はするが脚は止めない。
そんな探偵に腹を立てたのか金髪の男は、探偵の腕を強く握り、進行を無理やり止めた。
「お前はもう死ななくてもいいんだ!!」
何を言っているのだろうと、探偵は思った。
この男は、今まで自分を狙っていた組の一員だ。
殺すチャンスならいくらでもあったというのに、いつまで経っても手を出さなかった男だ。
死ななくていい??
もともと自分は死ななければならないなどと思った事は無い。
組やら何やら。周りが好き勝手に騒いでいただけだ。
面倒だからか、探偵は男に何も言わずに去ろうとする。
「おい!聞けって!!ゾロ!!」
金髪の男は、一層強く腕を掴んだ。
「約束したんだ、サンジ。」
「え?」
探偵・・・ゾロは、やっと金髪と、サンジと目を合わせて言った。
「あのガキと約束した。絶対に助けてやるって。」
約束。それは、ゾロにとって特別な言葉だ。
サンジはそれを知っている。
俺も、と言いかけたところを、振り向いたゾロの強い視線で止められる。
出掛かっていた言葉をぐっと飲み込んだ。
「お前は、属するところがあるだろ。」
組に属する自分は、迂闊に動けない。それはサンジ自身が一番知っている事だ。
自分ひとりの失態が仲間全てに降りかかる。あってはならないことだ。
「それでも、俺は!お前が!!」
お前が・・・。先の言葉を言ってはならない。
大切だと思うものは特別であろうとも、それは一つだとは限らない。
たった一つだと言える人は、この世界で一体何人いるのだろうか。
ゾロが好きだ。
みすみす殺されるかもしれない場所へなんて行かせたくない。守りたい。
でも、組の仲間も大切だ。
自分の失敗で、大切な仲間を傷付けしまいたくない。守りたい。
これは欲張りなのだろうか。
どちらも選ぶことは出来ないのだろうか。
サンジは歯を食いしばった。
何処にぶつけることも出来ない思いを、胸に無理矢理押し込めていた。
「サンジ。」
名前を呼ばれ、ふっと力が抜ける。答えが出たわけでもないのに、そんな自分にまた嫌気がさすのだ。
情けない顔だったろうか。ゾロが淋しそうに、でも優しく笑った。
そして、そのままそっと口付ける。
「お前を泣かせるようなことには、絶対にしない。」
約束だ。
ゾロはそう言って足音を立てず、去って行った。
その後姿は暗い道の中に飲まれることなく、視界から消えるまで見失わなかった。
サンジは再び歯を食いしばる。
泣かせることはしないと言った。ゾロはサンジの涙を一番恐れているからだ。
サンジは涙脆く、いつだってゾロの前で泣いてみせたが、本当に苦しい涙はきっと数える程で。
自分は大切なものを守りたいと思っているだけなのに、それはそんなに難しい事なのかと思う。
そんなことないだろうと、誰だか分からないモノに問う。
ゾロを守れば、組は守れない。組を守れば、ゾロは守れない。
そんなのおかしい。そうだろう?
何かを得るために、何かを犠牲にしなければならないなんて。
それが何者にも変える事の出来ない世界の決まり事だとしても。はい、そうですか、なんて言えない。
皆がどこかで諦めなくてはならないとしても、今の自分には納得出来ない。
断固、受け入れることは出来ない。
サンジは歯を食いしばったまま、強く拳を握り締める。
そのまま、ゾロの消えた方向とは逆へ走り出す。
掌から滑り落ちようとしている大切な人。
それをカウントダウンしながら、ああ落ちてしまうのだと、眺めているだけなんて。
そんな事出来ない。させてはならない。
息を止めて走った。
止めた息とともに時間も止まればいいと思った。
まだだ。まだ間に合うと。
諦めてしまうには。
泣き出してしまうには、まだ早いのだと。
「疾走深夜」end