電車に長時間揺られ、バスに乗り換え、また長時間揺られる。
やっと外へ出ることができ、ゾロは大きく背伸びをした。
腕を広げ、思いっきり息を吸い込んだ。そして、吐き出す。
目の前には、少し擽ったいような、懐かしいような、そんな風景が広がった。
夏の山は青々と茂り、絨毯のように敷き詰められた田は、その瑞々しさを誇るかのように風になびく。
帰ってきた。自分は戻ってきたのだ。
あの人の下へ。大切な、彼の元へ。
夏の始まり
田んぼ道をゆっくりと歩く。
幼いころは、この道をこんな気持ちで歩くことは想像できなかっただろう。
道端の草木、転がる石の一つ一つでさえ、見逃すのが勿体無いのだと言わんばかりに、ゾロはじっくりと見て歩いた。
ふと、前方に人影を見る。下や上ばかりを見ていて、進行方向は全く見ていなかった。
人の気配を感じない、そんな場所に立つ黒い人影。
歩くことなく、ポツンと、それはあった。ずっと立っていたのだと思わせる影。
足取りを変えることなく、ゾロはゆっくりと歩き続けた。
ゾロは知っている。その影が、何なのか。誰なのか。
影は一人の男だ。
真夏だというのに、黒いスーツを着ている。手には花束。
その花束も、花屋で買ったものではないのだろう。
幼いころ駆け回った山々に生えていた、見慣れた花だ。昔、ゾロが好きだと言った花だ。
どこか擽ったくて、恥ずかしいのを誤魔化そうとしているのか、ゾロは困ったように笑っていた。
スーツの男は、そんなゾロが見えたのだろう。
満面の笑みで花束を差し出し、パーティーでダンスを誘う貴族のように、ゆったりと礼をした。
起こされた顔は、まだ笑っている。
「お帰り、ゾロ。」
「ただいま。」
長い夏休み。
大学に通うために地元を離れ、なかなか帰省できずにいた。
この夏こそはと、切符を手に、長い道のりを眠ることなく旅したこと。
でも、疲れなんて一欠片も感じないのだ。それほど待ち望んだ、この時を。
育ての親の店を継ぐと、地元に残った大切な人は、手紙もメールも、電話でさえ億劫に感じる自分を、こんなにも待ち望んでくれる人。
人一倍の我侭で、欲しがりなのに、こんな自分を待ち望んでくれる。
この夏こそはと、彼のために。
夏はこうして始まった。
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