ひとつ うっては ねがいごと
ふたつ たたいて きみをよぶ
みっつ はらって おもてをきよめ
よっつ そろえば うらがえす
紡ぎ人と、うた謡いの唄
「姉さん、その道は進まない方がいい。」
ロビンの背中に声を掛けたのは、泥だらけの着物を着た鼻の長い男だった。
声に足を止め、ロビンは静かに振り返る。
残暑。まだ暑さが引くことのない日々が続いているが、ロビンの額には一粒の汗もなかった。
「何故かしら?」
少し首を傾げたその姿は、大人の女性らしからぬ仕草で可愛らしく見える。
「その先は戦の跡地だ。」
何もないよと、男は少し疲れた声で言った。
しかし、ロビンは軽く笑うだけだ。
「ええ、知っているわ。いいのよ、そこが目的地だから。」
そう、目的地は戦の跡地である、今は無き村。
そして、その村をも越えた丘にある家なのだ。
「なおさら止めておけ。」
「あら、何故かしら?」
ロビンは再び男に尋ねる。
「バケモノが出るぞ。」
そう言った男の瞳は真剣だ。
しかし、その答えを聞いたロビンの瞳も、真剣そのものだった。
「ええ、私は貴方の言うバケモノに会いに行くのよ。」
男はぎょっとする。
「姉さん、あんた・・・興味本位なら止めておけよ。」
あれは本物だ。
言って男は、ぶるりと身体を振るわせた。
じりじりと差す日差しの中、一気に男の汗が引く。
ロビンは静かに男を見つめていた。
暑さを感じさせない白い肌が、黒い髪に良く映える。
「見たことがあるの?」
「ああ、・・・俺はあんなに暗いものを見たことがない。」
ずるずると、恐ろしい何かが渦巻く場所へ引きずりこまれそうな。そんな。
男は思い出し、怯えた目をしていた。そんな男へ、ロビンは言う。
「あなたには、そう見えたのね。」
へ?と、男は戸惑う。ロビンはじっと静かに、感情を露わにしない瞳で見つめ続ける。
世界は、呆れる程に、面白い程に。
時に、泣き出しそうな程に、擦れ違いで出来ている。
「この世界は、私にとって哀しいものなのか。」
ぽつりと、ロビンは誰にでもなく問う。
男は聞こえなかったのか、眉を寄せ左右非対称な不可解な表情をした。
ロビンは己の向かおうとしている道の先を見つめる。
木々が天然のトンネルを作っていて、少し薄暗いその道。
先の見えない、後どのくらいで目的地へ着くかも知れない道。
この世界は、私にとって哀しいものなのか。
私は。
「私は、それが知りたい。」
ロビンは自分に聞かせるように言い。
再び男に振り返ると、まるで少女のような幼い笑みを浮かべ、初めて男に笑いかけた。
***
鼻の長い男が止めるのも聞かず、ロビンはその道を進んだ。
迷うはずの無い一本道だが、森の中を通るそれは獣道と呼ぶべきだろうと思う。
太陽が空の真上に昇った頃に男と別れ、それからひたすら歩き続けた。
そして、太陽が沈もうとしてる今し方。
ロビンの目の前に、焼け果てたその廃村は姿を現した。
昔、戦に巻き込まれたこの村の住民たちは、戦禍から逃れるために村を捨てたのだと聞く。
そんな廃村に住むと言うバケモノの話も、元はこの村の住民であった者から聞いたのだ。
村を抜けると、更に森深くへ向かう道が現れる。そしてその先に、ロビンの目的地はあった。
道の果ては小さな丘になっている。その丘に立つ家だ。
茅葺屋根の、少し可愛らしい印象の家だった。
通ってきた道で見た、焼け果て捨てられた村の家々とは全く違う。生活感を感じる家。
家に誰か住んでいる。人目でそう分かる家だった。
この家に、バケモノはいると言う。
ロビンは煤のためか、そこだけ異様に黒い跡の残る扉を軽く叩いた。
中からは人の気配がする。
ごそりと、何かが動いている音がするのだ。
もう一度、扉を叩く。
・・な、・・たろ。
中から誰かの声が聞こえる。
男だ。若い、20歳前後だろうか。少し語尾が乱暴な、大人とは言いきれない声。
ロビンは再び扉を叩く、すると。
「五月蝿ぇっ!!ここは絶対に開けねぇって言ってるだろうがっ!!」
扉越しに怒鳴り声が聞こえた。随分と扉に近い場所から叫んでいるのだろう、少し耳が痛い。
ロビンは静かに目を閉じた。真っ暗の世界に、無言で佇む。そっと耳を済ませるのだ。
扉の向こうで怒鳴った男が、ぶつぶつと何かを呟いている音が聞こえる。
何を言っているのかまでは分からない。
ただ、楽しいものではないなと分かった。それだけだった。
すんと、鼻で空気を吸えば、微かに何かが燃えた匂いがする。
溶け込むように瞼を起こし、真っ直ぐに扉を見詰めたロビンは、最後にもう一度扉を叩いた。
先ほどと同じように、男の怒鳴り声が響く。
「騙されねぇ、このバケモノめっ!絶対に俺はここから動かねぇぞ!!」
「バケモノとやらは、いつも貴方の家を訪ねてくるのかしら?」
ロビンが口を開くと、しんと数秒の間があく。
「どちら様ですか?」
今まで怒鳴っていた男だとは思えない、穏やかな声が聞こえた。
少し疲れたような、疲れ果てたような。憂いさえ感じさせる声。
「ロビン、と名乗っているわ。」
「ロビンさん。」
ええと、ロビンは答える。
「何の御用ですか?」
「旅を。ある目的のために旅をしているの。」
「旅の方なんですか。」
そう言った後、少しの間があり、扉が開く。
ぎりぎりと音を立てながら開く扉は重く、長い間開かれることはなかったのだろうと思わせた。
「はじめまして、ロビンです。」
「はじめまして。」
答える男は、くすんだ黄色の髪をしていた。
目の下には濃い隈があり、瞳がどこを見ているのか分からなくなるくらい濁って見えた。
もうすぐ死んでしまうと、全身で表しているような男だった。
「旅人の貴方が、こんなところへ何の御用ですか?」
「バケモノについて、お聞きしたいの。」
バケモノと言う言葉に、男はビクンと反応し、不安げに何かを探すようにキョロキョロと辺りを見回す。
「ダメです。その名前を呼んではダメです。」
「なぜ?」
「あいつはこの家を奪おうと、俺を追い出そうとしているんです。」
こうして扉を開いているのも危うい。
男はオロオロと目を泳がせている。辺りを落ち着かない様子で見回しているのだ。
追い詰められて、もはや自分の言動もコントロールできていないのだろうかと、ロビンは静かな瞳で見つめていた。
「そうだ、どうぞ中に入ってください。あいつが来る前に早く扉を閉じなくちゃ。」
あなたは、あいつではないですよね?
「どうかしら。もしかするとバケモノかもしれないわよ。」
「やめて下さい。あいつは、あのバケモノはもっと恐ろしい、もっと憎しみの溢れるものなのです。」
さ、早く。さぁ。
ロビンは静かに足を踏み入れた。
微かに何かの燃える匂いと、踏み入れた瞬間の空間を移動したような感覚に、少しばかりの確信と、まだ正体の見えないバケモノと呼ばれるものを思う。
男はロビンが敷居を越えた瞬間に、扉を閉じ、つっかえ棒で鍵を掛けていた。
これでは、入ることも、出ることも難しそうだと、ロビンは男の動きを目だけで追い、静かに息を付いた。
***
男は名をサンジと名乗った。
火を点けお湯を沸かしているその背中を眺めた後、ロビンはぐるりと家の中を見た。
何も無い家だった。それが一層、その場所を広く見せるのだろうか。
「一人で住むには、随分と大きな家ね。」
サンジは湯のみ片手に、ゆっくりとロビンを振り返る。寂しげな笑みを浮かべて。
「同居人がいたんですよ。」
今はもういないのだけれど。
「少し前、この辺りで戦が起きたと聞いたわ。」
「いえ、その前です。徴兵されたんです。腕っ節の強い奴だったから。」
「男の人なの?」
「ええ。」
手に持った湯のみをロビンに差し出し、薄いですが茶ですと言った。
そっとロビンは口にし、ああこれはただのお湯でしかないと思う。
同じ茶葉を何度も使っているのだろう。
「戻ってくるって、言っていたんですけどね。」
サンジの言葉に、ロビンは頷くだけだった。
ここでは何かを言うべきではないと、掛ける言葉すら知らずに、ただ耳を傾けた。
「戦で死んだのだと、聞きました。」
同じく、徴兵された村の者に。
「そして、その後です。この村に戦が来たのは。」
彼の死を伝えたその人は、村に戦が来ることを伝えに戻ったのだ。
村の皆に、逃げろと伝える為に。
「それも、あいつの指示らしいんです。」
出来得る限りの足止めをしようと、その間に村へ戻り、皆を避難させろと。
彼がそう言ったのだと、聞いた。
「格好付けなんですよ。それでてめぇが死んで、どうすんだって。」
空笑いとともに、サンジは再び火元へ戻り、大きな鍋を火に掛けた。
「貴方は、本当にその人が死んだと思っているの。」
「ええ。もうアイツは死んでますよ。じゃなきゃ、いい加減戻ってくるだろう。」
ロビンは一旦口を閉じる。
「なら、貴方は何の為にここにいるの?」
村は戦で焼け果て、以前住んでいた村人は少し離れた場所に集落を作ったと聞く。
恐らく、それはロビンが鼻の長い男と出会った、あの村だろう。
この村跡には何もない。この家以外、サンジ以外、何モノも存在しない。
「ここを守っているんです、この家を。ここは、俺たち二人の家だから。」
例え戻って来なくとも、誰もが彼をもういないと言っても。
ここにいたのだと。二人の居場所はここだったのだと、誰にでもなく伝えるために。
「約束なんですよ。アイツ、初めて嘘付いたから。」
戻って来ると。戻って来ることが、どれほど難しいか知っていて。
それが悔しくて、何だかとても悔しくて。
「意地でも俺は、この家を守る約束、破らねぇって思って。」
言って笑うサンジの顔が、その瞳の下の隈からは想像できないくらいに晴れやかで、しかしとても哀しげで。
ロビンはただ苦しげにサンジを見つめることしかできないでいた。
そこへ。
どんどん。
扉を叩く音が響く。
二人は同時に扉を見た。
再び。
どんどん。
音は止まない。
「誰か来たのかしら?」
家の外はもう暗い。
「・・・来た。」
サンジの蚊の鳴くような声に、ロビンは、え?と聞き直す。
動かないサンジ。
何かあると思いながらも、ロビンは立ち上がり扉へと近付いた。
「ダメです!開いちゃいけない!!!」
いつの間にかロビンの後ろに来ていたサンジが、その腕を強く握り、止める。
扉を叩く音は止まることを知らない。
どんどん。
「五月蝿ぇ!!何度言やぁいいんだっ!」
どんどん。
「俺は絶対ここから出ねぇ!お前なんかに、この家を渡さねぇ!!」
さぁ、ロビンちゃん、奥へ行こう。掴んだ腕をそのままにサンジは奥へ戻ろうとする。
「誰なの?」
「知りません。」
「知らないのに?話も聞かないの?」
「聞く必要はありません。」
バケモノの話なんて。
ロビンは足を止める。そのため、腕を掴んでいたサンジも急に動きを止められてしまった。
「彼が、バケモノなの?」
「彼?・・・ああ、あの扉の向こうのですね。そうです。」
「扉を叩くだけの彼が、あなたの言うバケモノなの?」
叩くだけ?
サンジは、はははと何かを誤魔化すように笑った。怯えの混じった笑いだ。
「あいつの声を聞いてはいけない。あれは俺を騙そうとしてるんだ。」
頑なにサンジは耳を閉ざしている。
ロビンのことは諦めたのか、一人奥へと戻ってしまった。
ロビンは未だ止むことのない扉にそっと触れた。
どんどん。
「あなたは誰?」
呟いた言葉に反応したのか、音が止む。
ロビンは再び質問する。
「あなたは誰?」
それすら分からない者なのなら、本当にサンジの言うバケモノなのかもしれない。
『・・・お前は誰だ。何故そこにいる。』
男の声だ。落ち着いた声色だが、心地よく響く、しかし若い。
恐らく青年と呼ぶに相応しい。サンジと同じくらいの歳だろうか。
どこか苦い感情を含んだ、そんな声だった。
「私はロビン。旅をしているの。あなたは誰?」
『そんなことはどうでもいい。ここを開けろ。』
「それはできないわ。」
なぜならサンジが拒んでいるから。
「ここは私の家ではないもの。」
『サンジを連れて来い。ここを開けさせろ。』
「連れて来ることはできるけど、開けるかどうかは知らないわ。」
『開けさせろ。』
「私にそんなことできないわ。」
突き放すように言うと、男は黙ってしまった。
そして再び扉を叩く。先ほどよりも大きな音で。
『サンジ!開けろっ!!ここを開けろ!!!』
酷く苦しげな叫びが響く。
この胸の苦しさは何だろう。
これが、サンジの言ったバケモノなのか。この苦さが。
「五月蝿ぇ!五月蝿ぇ!五月蝿ぇ!!」
どんなことをしても開けない。
サンジの言葉も、態度も。すべてがそう言っている。
しかし、声は止むことがないのだ。
このやり取りが毎夜続けられているのだろうか。
サンジの目の下に刻まれている疲れの跡は、これが原因だろうか。
『もうそこまで来てるんだっ!ここにいたら死んじまうっ!!』
来ている?死ぬ?
「何?どういうこと?何の話?」
ロビンは奥へと戻ったサンジを探そうと、振り向く。
しかし探すまでもなく、サンジはロビンの真後ろに立っていた。
まるで憎しみしかない目で、じっと扉を睨んでいる。
その口が、騙されないと呟いた。
「そうやってあいつの真似をして、俺を騙そうとしてるんだろうが、そうはいかない。」
俺が一番あいつのことを知っているんだ。
『頼む・・・サンジ。』
何なのだろうか、このやり取りは。
全く見えない。しかし、とても。
ロビンはサンジと、扉の向こうにいるもう一人の男を想う。
向かい合っているはずなのに、二人の間には壁がある。
二人が開くと選択しなければ決して開くことのない壁。
バケモノ。
「ねぇ、あなたは・・・誰なの?」
届かない声ほど、哀しいものはない。
***
陽が沈んだ頃に訪れた扉を叩く彼は、陽が昇る頃にはいなくなっていた。
その間、ずっと扉を叩き、この家の主の名を叫び続けていた。
サンジは気にしないふりをしているが、一晩中叫び続けられて眠ることもできないでいたようだ。
ロビンも眠ることはないまま、朝を迎えた。
「陽があるうちは来ないんだ。」
奴がバケモノである証明は、それだけで充分なのだと。
サンジはそう言う。
しかし、ロビンには分からない。
「ねぇ。」
あなたはなぜ、彼がバケモノだと?
「彼?」
その言葉を聞き、サンジは酷く不機嫌な顔になる。
「やめてください。あいつを人間扱いするのは。」
「そう。でも私は、彼があなたの言うような対象には思えなかったの。」
「君は知らないから。」
そう、ロビンは何も知らない。
でも、知ろうとしているのを拒んでいるのはサンジだ。
ならばサンジにロビンを責めることはできないのに、それを言わないロビンは静かにサンジを見つめるだけだった。
サンジは気付いている。
余裕を失くしているのは自分なのだと思い、だからこそサンジは重い口を開いた。
言葉にすることによって整理されるものか、それとも再確認してしまうだけなのか。
「あれが。」
あのバケモノが。
「ゾロであるはずはないんだ。」
ゾロとは、サンジと暮らしていたという男。
腕っ節が強く、そのために徴兵され、今はもういないという。
「あれはゾロのふりをして、俺をここから追い出そうとしているバケモノだ。」
「だから、あなたは扉を開かないのね。」
言葉を出すことなく、サンジは頷く。
「ゾロは、あんなことしない。」
あんな無様に、ひたすら扉を叩き、叫んだりしない。
「あの声で、あんな声で俺を呼べば、俺が何でもすると思ってやがる。」
俺は騙されない。
俺はこの家を守る。ゾロとの、思い出はもうここしかないのだから。
ロビンは何も言わず、サンジの話に耳を傾ける。
昨晩、じっとゾロの叫びを聞いていた時のように。
サンジの話を聞き、ようやく口を開いた。
「あなたは、信じたくないだけではないの?」
扉の向こうにいる彼が、あなたの想い人ではないと。
「ただそれだけではないの?」
この家がとか、約束だとか。それこそ、自分をそこに留めるための言い訳で。
何も答えなくとも、サンジの目はロビンの言葉を否定している。
自分の信じる絶対によって支えているが為に、他人の言葉は全て浅いものだと軽蔑している。
「君は知らないから。」
二度目の言葉は、もはや何も聞きたくないと、そう言っているようだった。
ロビンは、サンジと言う男がとても淋しい人だと思った。
「そうね、私は知らない。」
あなたのことも、扉の向こうの彼のことも、あなたの想い人も。
チイチイと、外から鳥の鳴き声がする。
のどかな印象を与えるその音が、今の想いとは全くの逆にあるもので。
こんな想いをしているのは、世界でたった一人だと知らされているように思う。
サンジがロビンの言葉を拒むよう、ロビンもサンジの言葉を拒むことを選んだ。
その口調が、少し厳しいものになる。
「でも、あなたも知らないわ。」
もし、扉の向こうにいるものが、バケモノと呼ばれる類のものならば、夜しか現れないことも納得できる。
彼らは陽の光の中で存在することができないから。
「私はね、旅の資金を呪い事をして稼いでいるの。信じる信じないは、あなた次第だけれど。」
だから、バケモノの類には、そこらにいるものより詳しい。
ここへ来たのも、話を聞いたから。そして、知りたいと思ったから。
「太陽の光は、彼らには眩し過ぎる。」
まるで熱した鉄を身体に押し付けられるような。火の海にその身を置くような。
「あのバケモノが、いつまで扉を叩いていたか。あなたは覚えているわよね?」
毎晩。毎晩。同じように繰り返される出来事を。
「朝、陽が上れば、彼はその身を焼かれて消えてしまう。生きている人には想像もできないだろう苦痛とともに。」
それまで、その身が焼け消えてしまう瞬間まで。
「彼は、あなたの名前を叫び続けているのよ。」
サンジの反応は、ロビンと出会ってから始めて見せる顔だった。
苦しみと、しかしそれだけでなく、微かに笑っているような、涙のない泣き顔だった。
「どうして、そんなことはしないだなんて、あなたは知っているの?」
目の前にあるものを、誰が感じるの?
「あなたは、あなたの想い人が望んで死んだと思っているの?」
死んでしまうことを。
「あなたは、あなたの想い人を美化しているのではない?」
潔い男だ。だからあんな無様な真似はしないんだ。
でも。
本当にそんな人だったろうか。
「足止めしていた彼は、本当は生きていたのではない?」
彼は止めることのできない戦の進行に村が潰されることは分かっていた。
「そして、人に託したといえ、不安に思ったのではない?」
村人は上手く逃げただろうか、サンジは怪我をしていないだろうか。
「案の定、あなたはここにいた。」
『サンジっ!ここを開けろ!!逃げるんだ、一緒に逃げよう!!!』
そこにあったのは、燃え盛る炎と、何かが焼ける匂い。嫌な、匂い。
サンジは目を見開き、じっと足元を見ている。
今にも叫び出しそうな、そんな空気を纏っていた。
「逃げようなんて、言う奴じゃないんだ。」
ぽつりと、サンジが漏らす。
「逃げるなんて言葉、絶対に使う奴じゃなかったんだ。」
だから、戦だって喜んで行ったんだと思ったんだ。
自分を置いて行くことに、一欠けらの想いもないのだと。
「この村を、あなたを守ろうとしていたのではないの?」
「そんなの。」
そんなの、ちゃんと言ってくれなきゃ分からないじゃないか。
膝を突き、縮こまるようにサンジは身体を丸める。
顔を覆う手の間から、ボロボロと涙が落ちていた。
「ひとつ うっては ねがいごと」
ロビンは謡う。
「ふたつ たたいて きみをよぶ」
サンジは涙でぐちゃぐちゃの顔を、のろのろと上げ、ロビンを見つめる。
「みっつ はらって おもてをきよめ」
ロビンの白い手が、優しく、昨晩音の止むことのなかった扉を撫でる。
「よっつ そろえば うらがえす」
どこからともなく風が吹いた。
包み込むような、安らぎの風でなく。しかし、突き刺すような、痛い風でもない。
あるからこそ、その場所に存在する。そんな、自分と同等のもの。
「彼はあなたを呼んでる。あなたもそれに気付いた。さぁ。」
あなたの願いは、何?
「願い・・・?」
俺の、・・・願い。
***
「姉さん、あんた無事だったのかい!!」
一日ぶりに戻った村で、また鼻の長い男に声を掛けられた。
随分と、人のいい男なのだなと思う。
「あれから本当にあの道に行っちまって、心配してたんだ。」
「そうだったの、ありがとう。」
初対面の人物でさえ心配だったと言うのだ、この男はきっと苦労する。
だが、悪い気分ではないなと、ロビンは微笑んで答えた。
「それで、バケモノには会ったのかい?」
バケモノ。
その言葉にロビンは口を閉ざす。
「恐ろしかったろう?二度とあんな場所に行っちゃいけない。」
言い聞かせる男は、一体あそこで何を見たのだろう。
「いいえ、バケモノなんていなかったわ。」
「え?」
「私の出会ったのは人間。二人とも、人間だったわ。」
人間?と、首を傾げ、あそこには今、人は住んでいないぞと、男は言う。
「初めから聞きたかったのだけれど。住んでいないと、あなたはなぜ知っているの?」
山賊だっている時代だ。探せばまだ使える家だった残ってるかもしれない。
ロビンの質問に、男は初めて苦い顔をする。
そして、観念したと両手を挙げた。
「俺は月に一度はあの場所へ行ってる。」
花を添える為に。
「花?」
「村を潰した戦。村の奴らを避難させたのは俺だ。」
腕っ節のいい昔馴染みとともに、村を守るのだと勇んでいたものの。
「俺は結局、あいつに言われた通り戦のことを話し、皆を連れて逃げただけだ。」
俺はあいつを見殺しにした。
「その上・・・。」
「その上?」
「あいつの一番守りたかった奴を、連れて行くことができなかったんだ。」
そう言った男は、悲しそうに笑い。ロビンの辿った道、あの戦跡の残る廃村への道を見据える。
「あなたにお願いがあるの。」
「何だい?」
「その二人の家。もう焼けてしまって、ほとんど形すらないけれど。」
そのままにしてあげて欲しいの。
「お花は、あなたの気持ちが晴れるようにしてくれたらいい。」
二人はあなたを責めてはいないから。
「姉さん、あんた・・・。」
何かを言おうとして、口を閉じた。
男は何かを聞きたそうな顔をしていたが。
それじゃぁ、さようならと。
ロビンは男に背を向けた。
この世界は、何て哀しいのだろう。
そしてそれは、人の数だけ存在するもの。
心を硬く閉ざしてしまわなければと思うそんな出来事が。
そんな擦れ違いが。
どうしてこんなに沢山あるんだろう。
ロビンは呟く。
「この世界は、私にとって哀しいものなのか。」
哀しい。とても哀しい。
言葉で言う度に。
この想いはきっと見ようとしたものにしか知ることはないのだと思う。
だから。
サンジの願いを聞いた瞬間。四つ目の謡いを終えた瞬間。
彼らの長い擦れ違いに、終わりを渡し、あの焼け果てた二人の家に立ち尽くしていた自分は、幸せではなくとも、不幸ではないのだと知っている。
二人を隔てていた扉を軸に。
表にはその身に夥しいほどの数の矢を受けた人骨が。
裏には焼け果て、炭と化した人骨が。
二人は隔てられながらも、扉に縋るようにその身を預けていた。
そして今、二人を隔てるものはない。
うた謡いの数え歌。
願い事と、想い人、そして認知。それらを繋ぐ唄を紡ぐ、うた謡い。
「よっつ そろえば うらがえす」
抱き合うように、絡み合うように重なった二人の身体は、想いは。
今はどこにあるのだろう。
あるからこそ、その場所に存在していた風のように。
あるべく場所に存在しているだろうか。
世界は哀しい。
自分にとってはそうなのだと、ロビンは消えることのない言葉を呟く。
世界は哀しい。
でもきっと、そんなたった一つの言葉では紡ぐことのできないものなのだ。
それが、哀しみであろうと。喜びであろうと。それは、人の数だけ存在するもの。
だから、世界は哀しいだけじゃない。
ロビンは歩みを止め、振り向いた。
まだ道の先には村が見えたが、先ほどの鼻の長い男の姿は見えない。
男と話した村の、そのまた向こうにあった丘にある二人の家。
目を閉じ、見えないその場所を思い浮かべ、ロビンは言葉を紡いだ。
小さな小さな、音として生まれることのない。
受け取る人のいない、だからきっと意味なんてない、別れの言葉。
そっと、吐息を吐くように。
優しく、愛しく。
擦れ違うことをやめた、重なり合う二人を想い。
うたを紡いだ。
「紡ぎ人と、うた謡いの唄」end
おかしいな・・・怖い話じゃなくなっていました。
怖い話をと言い出したのは私なのに。そして、宿題(笑)提出が遅れたのも全て私が原因です。
ミナトさん、ご迷惑お掛けしました。いつもですね・・・ガッカリ。
そんなこんなな妄想ですが、少しでも何か感じて頂けたら嬉しいです。
阿吽云々はミナトさんと私しか分かりませんが、楽しければいいと思いませんか?
それ、私の基本です。(笑)
お祭り万歳!
帽子屋(06.09.03)