ガラス越しの恋
営業から戻ったサンジの机の上に、丁寧にクリップで止められた紙の束が見えた。
一番上の紙に綺麗に真横に付箋が貼られ、これまた几帳面な文字で、『経費とは認められません』と一言書いてあった。
サンジはその言葉を認めると、ぎゅっとその束を右手でぐしゃっと丸めると傍のゴミ箱に投げ入れた。
(くそ〜あの堅物。これっくらい、いいじゃねぇか。)
丸められた紙は、営業の途中で時間に間に合わそうと使ったタクシーの領収証。昼に食べた店の領収証。
あれこれ、掛かった経費の領収証を、今朝経理へ提出していたのに、ざっと見れば、半分以上は戻って来てる。
そりゃ、昼飯代とかはあれだが、このタクシーとか相手先に持ってったこの饅頭とか認めてくれたっていいじゃねぇか。
ぼんと目の前に経理の石頭の眼鏡野郎の顔が浮かんで、サンジは乱暴に椅子に座って盛大に溜息を吐いた。
最近、人事異動で経理にきた眼鏡野郎は、以前いたお局様の後釜で、仕事は正確で早いが如何せん頭が固い。
お局様の時代には、サンジの上へも置かぬ扱いで、融通を利かせてもらっていたものが、悉く返される。それが、痛い。痛い。財布に直撃だし、頭も痛い。
経理にゃお似合いかも知れないが、男があんなんで女になんかモテねぇよ、毒づいてみたが、目の前の状況が変わるわけでもない。サンジはレシートと領収証の束をべらべら捲って、2枚抜き出すと、それだけはどうやっても認めさすぞとの決意の元、立ち上がって経理のあるフロアへと歩いていった。
部屋の端の衝立の向こうに並ぶ書類の入ったキャビネットと机が見える。その一つに元凶の頭が見えた。
ねずみ色(断じてグレイではない)のスーツを着て、髪を撫で付けて、今時売ってるのかと思うほどのベタな黒ぶちの眼鏡を掛けた男が、電卓を叩きながら計算しては、何かを書いている。
その男のカウンターの前に肘を付いて、おいと呼びかけた。
首だけ回して、サンジを見た男がふっと立って、カウンターを挟んでサンジと向かうと、
「何か御用ですか、営業三課のサンジさん。」
とえらく事務的な口調で言うので、サンジも負けずに
「何か御用だから来たのですよ、経理課のロロノア・ゾロさん。」
と全く同じ口調で言い返すと、手にした紙をカウンターの上を滑らせて、ゾロの目に置いた。
「これは、ちゃんとした必要経費だ。これは認めて貰うぜ。」
ゾロは、その紙を手にとって目の前で見るとそのままサンジの前に置いた。
「認められませんね。サンジさん。ここにはこのタクシーで行く必要性はなく。この手土産と称する饅頭も必要とは思われません。」
そう言うとサンジの方へ領収書の紙を付き返して、席に戻った。
「おい。これは不可抗力だ。前の仕事がトラブルで長引いて、でも約束に遅れる訳にはいかないだろ?そうしたら信用が無くなっちまうじゃねぇか。それに比べたらこのタクシー代は立派な経費だぜ?会社の信用のためじゃねぇか。なぁ・・・・」
食い下がるサンジにちらりと一瞥して、黙々と自分の作業に戻るゾロに、サンジは、いらいらが最高潮に高まって、
「ちぇっ、お堅い野郎だぜ。世の中そんな四角くちゃ渡って行けねぇんだぜ。せいぜい、数字と戯れてな。」
そう言うとサンジは、ばんとカウンターを叩いて歩き去った。
メガネの縁を持ってその背を見送ったゾロは、そっと溜息を吐いた。
なんて不器用なんだと思う。今のだって、別に認めてもいい範囲にあるものだ。でも、ルールというか規則で決まったものを己の力量で融通することが出来ない性格だった。
こんな性格では、社内で親しいものなど出来る筈もなく、ゾロは毎日帳面と格闘し、ただ書類の山を減らすだけの日々を送っていた。そのゾロが営業のサンジの存在を知ったのは、今のように怒鳴り込んでくるからだけではない。ほんとはそれより少し前に、サンジにゾロは会っていた。
少し残業して仕事を終えるときには同じ部署には誰も残っていず、ゾロは最後の書類を仕上げるとメガネを外して眉頭を揉んだ。やはり長時間メガネをしているのは疲れる。手を離して机の上に転がってるメガネを見つめた。普通の黒のフレームのメガネがゾロの友達でゾロの味方だった。
メガネのレンズに薄く色が付いているのは、よく見なければ分からない。でもその色がゾロの目を上手く隠しているのは事実だった。昔からゾロの目付きが悪いと言われていた。睨んでるとか不機嫌そうだとか言われて、噂され中傷された。だから、少しでもそれを和らげようと薄いガラスを間に挟むことにした。たかがガラス一枚でも、他人の目を逸らすには十分だった。そして、ゾロは思った。人は、見かけで変わってしまうものだと。
誰も居ないと思ってメガネを外して少し強張った体を動かして解し、そのまま立って廊下の自販機へと移動した。メガネが必要なほど視力が悪いわけではない。ただの目晦ましに過ぎないのだから、支障など何もなかった。
コインを入れてカフェオレを押す。ブラックは苦手だけども、ここの部署はブラックを頼むものが多くゾロは自分だけ違うものを言うのが苦手で、同じでいいとついいってしまうのだった。
カフェオレの甘い香りは、ゾロの神経を少し緩やかにする。そのまま自販機の前で一口含めば、甘い味が舌に広がって、肩の力が抜ける気がした。正直今の仕事が楽しいとは言わない。帳面とにらめっこで、交わす言葉は事務的なことばかり。味気ないといえばそうだが、気楽だといえばまたそうだった。
誰も居ない気配に、それを飲む間つかの間の開放感を味わった。無防備に顔を晒して座り込んでゆったりとその味を楽しんだ。ガラス越しでない景色は少し新鮮で、甘い味は、脳の中で回って何か重いものとか固まってしまったものを溶かすような気がした。
味わうように飲んでるとその前にふっと人影が横切って、驚いて見上げればそれがサンジだった。
ゾロに気づかないのか、手にしたコインを入れて、コーヒーのブラックのボタンを押した。ゾロは、自分がメガネをしてないのを思い出して思わず顔を俯けて顔を隠した。その頭にサンジの声が響いた。
「あんたも残業?おつかれさん。」
そう言うとコップを片手にゾロに笑って、ぽいっとチロルチョコを投げてよこした。反射で受け取ったゾロが手の中のそれを見ていると、
「残業仲間へのおすそ分けさ。」
そう言って、コップ片手に廊下を歩いて奥の部屋に消えた。奥は小さな部屋が2つ。会議などに使われる部屋だ。そこで今度の企画のミーティングでもしていたのだろうか。いつもの部屋に誰もいないと思って油断したとゾロは思ったが、さっきの口調からサンジがゾロに気づいてるとは思えなかった。
メガネ一つで俺の存在はなくなっちまうんだなと思うとゾロは少し寂しい気持ちになって、一気にコップの中身を飲み干すと、机に戻ってメガネをかけた。これが俺だ。このメガネをかけて愛想のないこれが俺なんだと言い聞かせて、ゾロは書類の紙を手にとった。早く片付けて帰ろう。ここは、ゾロには心地よいけれども、それでもゾロの居場所ではない。
メガネを掛けなおすと電卓を手にとって、領収書の束と取り組んだ。数字は裏切らない。正しく叩けば正しい数字に。間違えれば間違った答えを出してくれる、嘘はつかない存在だ。
昔ずっと昔。
ゾロも普通の子供だった頃は、こんな殻に篭った子供ではなかった。好きなら好きと自分の感情に素直になれたと思う。それが、自分の思いとはいつも違うことを相手に受け取られて、ゾロは説明することにも疲れて、最初から期待しない子になってしまった。干渉しない干渉されない。そんな世界に身を置いて、ゾロは同じこと繰り返して日々を過ごした。
そんなゾロの世界に唯一気になる存在としてあったのが、サンジだった。夜の自販機の前でチロルチョコを貰っただけの出会いで、何がそんなに気になるのか分からないけれでも、あれから、気が付くとサンジの姿を追ってる自分がいた。
同じフロアに居るサンジを目にするのは難しい。営業という職の関係か、外回りをしてることも多く、社内にいない率の方が高かった。それでも、必ず会えるのが、経費や交通費の清算に訪れるときだった。だからといって、サンジに請求を無碍に却下してるわけではないのだけれど、サンジは小さな領収書でも、自分が経費と思うものがあれば、絶対に認めさせようと窓口を訪れた。
その姿を見る度に、ゾロの胸に灯る感情の温度を何だろうといつも疑問に思っていた。それが、ホンの些細なことから氷解した。
それは、いつもの姿だった。
他の課の女性とサンジが喋ってる姿を見て、ゾロは、女性に柔らかい笑みを振りまくサンジでなく、その笑みを受ける女性の姿に自分を重ねてしまった。あの隣でサンジに話し掛けられてるのが自分だったら?そう、思った時にゾロは、息が止まるかと思うほどの衝撃を受けた。二人肩を並べて、にこやかに会話し、時には笑い肩に触れ、そして・・・・そして・・・・
そう思った途端、ゾロは思考を停止した。そんな馬鹿げたことを思ってどうする。同じ男にまるで女が持つような気持ちを持つなどと、そんなこと、あってはならないし、あるべきではないと押し込もうとした。
窓口にサンジが来て、この経費認めて欲しいと言う度に、その笑顔にくらくらしながらも、規則を破れない自分に歯痒く思いながらも、サンジの言い分を却下するのは胸が痛むことだった。そんな態度はちらりとも出してはいないけれでも、ゾロは確かにサンジに惹かれていた。
一人の部屋に帰って、机にメガネを置くとほぅと肩の力が抜ける。
仕事も兼ねる机の上は綺麗に整頓され、その端っこにちょこんと置かれた小さな存在。ゾロはそれを確かめるように指で突付いた。毎晩確認する事項。ただそれがそこにあるだけで安心する、今やゾロのお守りに近い存在。ゾロはもう一度それに指で触れると着替えに離れた。
机の隅に小さな四角いチョコが一つ。
営業の仕事から戻って、自分の席に戻ったサンジがどさりと椅子に座ると、下げていた鞄から資料を取り出して机に置こうとして、それに気づいた。
四角いメモ用紙に几帳面な文字。
『営業課 サンジ様。
立替清算の準備が出来ました。手続きのため、判子を持って窓口までお出でください。経理課。』
清算ってこの間のあれか?あれって通らなかったんじゃねぇのか。ま、くれるってんなら貰うまでだ。
サンジは引き出しから判子を取り出すと、いそいそと経理課のカウンターまで歩いていった。
「あーメモ見たんだけど。清算してもらえる?」
「あ、サンジさん。お金出来てますよ〜ちょっと待ってください。」
答えたのは、あの男でなく、同じ経理課のビビだった。
「こことここに判子お願いします。」
「うん、ありがと。ビビちゃん。これ、通ると思わなかったから嬉しいよ。感謝だね。」
「あ、違いますよ。これ、通したのゾロさんですもの。」
「へぇ。あの堅物が?」
「こないだのちょっと利いたんじゃないですか?数字と遊んでろって。」
くすくすと笑うビビの顔をみて、まさかぁと答えたサンジに、
「でも、一回駄目だっていって通ったことないし。その点厳しいから、ゾロさん。珍しいですよ。」
「そんなもんかい?」
「そうそう、そんなもの。真っ直ぐだから、あの人。普通はいろいろ言われても絶対曲げないのに、サンジさんに言われた後、電話掛けたりしてなんか聞いてたから、気にしてるのかなぁって思って、おかしかったですよ。」
小さな声で教えてくれるビビの言葉が、えらく意外で思わずビビの後ろの方でその姿を探したが、いつもの席にはその姿はなかった。
「今日はね、支社へ出張してるんですよ。朝一番でその用紙を私に廻してきて、処理しとけって。」
「へぇ。」
金額を確かめて判子を押して、ビビに笑顔で手を振って、カウンターを後にすると戻る道でサンジは、あのメガネのゾロの顔を思い浮かべ、もしかして言いすぎたのかと思いながら、あの能面のような厳つい顔の下は案外と話せる奴なんだろうかと思った。
席に戻れば、隣の席でこの間一緒に取引先に行ったエースが分厚い資料の束を抱えて出かけるとこだった。
「お、今から?お疲れ〜。そういや、この間のタクシー代と手土産代経理からゲット出来ましたよ。」
現金の入った茶封筒を振って見せれば、
「おう、出たか?良かった良かった。確認の電話あったから出るとは思ったけどな。」
「電話?」
「そうそう、ほれ、経理課にいんだろ。メガネ掛けた堅物が。アレが俺んとこ電話掛けてきて、タクシーを使うようになった経緯とか取引先の重要性とか色々聞いてったからな。」
「それって、いつもじゃねぇの?」
「ないない。アレに限って。駄目なものは窓口で駄目だもん。厳しいんだぜ?だから珍しいって思ってさ。」
「やーこの間、駄目って言われて、ちっと暴言吐いたかも・・・・」
「お前、口悪いもんなぁ。」
「やーあんたに言われたくないけど。」
「おっと、遅れる。じゃ、俺は直帰だから、またな。」
「おーお疲れ。」
椅子に座って、ガチャリと封筒を机に投げ出した。灰皿を引き寄せて、火をつけて煙を吐き出した。なんだかすっきりしねぇな。髪をがしがしと掻きまわした。
定時まで、報告書を作ったり取引先への資料作成と時間をつぶして、ささっとあがった。珍しく夜に予定もない。さてどうするかとこれからの自由な時間を思って足取りも軽かった。
エレベーターで1階まで降りてロビーを横切り、受付の女の子に手を振ってドアを出れば、ようやく暮れ始めた街並みと忙しく行き交う人々。それを見ながら、気ままな時間のある自分が少しうれしくて、どっか飲みに行くかなと腕時計を見た。仲間や接待などで飲みに行くことは多いが、一人で行くことは少ない。
たまにはいいかなと久々に思い描いた静かなバー。接待に向かない狭い佇まいで、行くなら多くても二人だ。騒ぐような店じゃなく、ゆったりと時間を楽しむための空間として、サンジは大切にしていた。
そこへ行こうと思えば、少し時間が早い。どうしようかと悩む先に、真っ直ぐ前を見てかつかつと歩いてくる姿が見えた。きっちりと止めたボタンと撫で付けた髪。四角いメガネをかけて、真面目を絵に描いたようなスタイルをして脇目も振らずに歩いている。
真面目にはみ出さず、規則ばっか守って生きてきたといわんばかりの男が歩いているのを見て、サンジは思わず目の前にたって声をかけていた。
「よぉ。今帰りか?」
目の前のサンジを見て、一瞬驚いたように眉毛を動かして、
「支店からは帰りましたが、これからまだ仕事があります。」
そう言って、行き過ぎようとするのを阻んで、
「今日、メモ見て清算してもらった。あ・・・・悪かったな。こないだは言い過ぎた。」
そう言えば、サンジの見間違いでなければ、微かに目元が赤らんではにかんだ。少なくともサンジにはそう見えた。
「俺は、俺の仕事をしただけですから。別に気にしてないです。」
そういいながらも視線がサンジの靴辺りをうろついているのを見て、こいつって、もしかして、えらく不器用な奴なんじゃ・・・そう思うと、サンジはそれを確かめたくなって、
「仕事、終りだろ?メシ食いに行こうぜ。」
そう、思うわず誘っていた。
驚いた顔でサンジを見て、次いで視線を逸らした。
「まだ、報告をしなければ・・・・」
「そんなん、時間かかんねぇだろ、待ってるからよ。早く済ませて来い。こないだのお礼に奢るし。」
そう言って、肩を叩けば、サンジの方を見ながらも歩き出した。
ゾロと分かれた場所でタバコを二本灰にする時間でゾロは戻ってきた。自動ドアを出て、サンジを見つけると少し決まり悪げに視線をずらしながらもサンジのとこまでやってきた。
「お前、好き嫌いは?」
「別に特には。」
簡単にでもちゃんと答えを返す態度に、見方が変われば受けかたも変わるなと思いながら、ゾロを見た。今まで、堅物で融通が利かなくて何を言っても分からない奴だと思っていたのに、少し自分の意識を変えれば、不器用で言葉を知らず、他人と上手く付き合えないそんな風に見えてくるから不思議だ。
サンジは、自分の考えが正しいと証明するかのように、ゾロに話かける。
「あ、なんだ。あれ、通して貰って助かったよ。」
「いや、仕事だから。」
そういいながら、目が泳いでる。
「でさ、お前何食いたい?」
「別に、なんでも・・・・・」
声が小さくなる。それすらサンジには楽しくてたまらない。
小さな居酒屋について、ビールを頼む時でさえも、
「俺、生中で。お前は?」
「同じでいい。」
そう答えてお絞りをきっちりたたむ姿にさえも楽しいのだから困ったものだ。
サンジが勝手に頼むものを綺麗な箸使いで平らげて、その間にきっちり飲む。それもいいのみっぷりだ。
「あんた、結構、イけるね。酒。」
そう言うと、サンジを見上げて、
「酒は好きなんだ。」
といいながら微かに唇の端が上がるのを見た。
笑った、確かに笑ったよ。こいつ。
そう思うとサンジは、まるで悪戯が成功したような気になって、もっと違う顔を見たくなった。まだまだ、サンジの知らない顔を隠してるとそう思えて、サンジはゾロに煩いくらいに話かけ、少しずつゾロのことを聞き出した。
一人暮らしなこと。
趣味もなく、休日は家に居ること。
彼女はいないこと。
そして、それを引き出すために同じくらいサンジも喋った。
喋って喋って、飲んでしまって、結果結構出来上がってしまった。
「おまぇー飲んでる・・・かぁ?」
「飲んでますよ。サンジさんこそ、大丈夫ですか?」
しれっとした顔で飲んでるゾロを見て、なんだかえらく悔しいじゃないか?営業で鍛えた俺よりも強いってどういうこった?
「お前ーザルか?水飲んでんのか?」
「まさか、酒ですよ。ちゃんと。」
「酒飲んでて平気なわけねぇだろ。おい貸してみろ。」
そう言うと、ゾロの持つコップを引っ手繰って、ごくりと飲み干した。
「うわーこれ、日本酒冷じゃねぇかぁ・・・」
「だから、ちゃんと酒だって・・・・おい、大丈夫か?おい!」
ぐわんぐわんとゾロの声がくぐもって聞こえる。俺は大丈夫だって言ってんだろ。これしきの酒で俺が・・・・・
コップを確かにテーブルに置いたような気がしたが、確かでなく、サンジはそのままずるずるとテーブルに突っ伏してしまった。
がちゃがちゃと皿やコップを押しのけて、テーブルに突っ伏したサンジを見て、ゾロはまたふざけてるのかと思って横で様子を窺っていたが、本気で潰れて動かないサンジを見て、困惑した。
これを俺にどうしろと?
とりあえず、自分の酒がなくなるまでの間に考えることにして、ゾロは残った瓶に手を伸ばした。
結局、酔いつぶれたサンジを抱えて、店の前でタクシーを拾った。サンジが目覚める気配はなく、近くのビジネスホテルに部屋をとった。一人で放り出そうかと思ったけれども、もし急に具合が悪くなってらと思うと一人にも出来ず、ツインの部屋を取るとベッドに放り出した。
ぐだぐだになったサンジの上着を脱がしネクタイをとって布団を掛けて寝かせた。
静かなホテルの部屋で、ゾロは冷蔵庫からビールを取り出すと一口飲んだ。結局はサンジの介抱で酔いも覚めてしまった。
枕に埋もれるようにして、髪で更に顔を隠したサンジの表情は窺えず、ゾロはその存在を持て余した。
自分一人なら、いくらでも過ごす方法はある。でも同じ空間に人がいるのは初めてのことだ。
ふうと溜息を吐くと、メガネを外して立ち上がり、カーテンを少し開けて外を見た。遥か下に人々が動いて生活してる証の光が無数に光、宝石のように煌いていた。
小さな光でも集まれば、綺麗な宝石のような輝きを持つ。今ゾロの中で芽生えつつある小さな感情の一つ一つが集まれば、一体何になるんだろう。
サンジの上着から見つけたタバコを一本失敬すると、火を点けて煙を吸い込んだ。サンジの香りのタバコがゾロの口内で悪戯に存在して消えた。触れればソコにある気になる存在に、手も触れられず、その存在だけを一方的に主張されてもゾロに為す術がない。サンジがゾロと同じ空間にいる。それだけでゾロは神経が高ぶって、思わず腹の奥底に熱が篭るような気がして、窓の外の光を凝視した。
俺は、サンジをどう思ってるんだろう。
好きなのか。
それは、同僚として?
恋愛の対象として?
ただ、気になるだけ?
チョコ一つで何が変わったんだろう。
メガネのない素顔を晒したからとこっちでは意識しても、あっちは全然覚えてもないのに。
ゾロはビールの缶をテーブルに置くと服を脱いでシャワーに入り残ったベッドにもぐりこんだ。同じ空間で夜を過ごすだけで、ゾロには意味のある夜になった気がした。
喉が渇いて目が覚めた。
がばっと起きて周りを見回せば見慣れぬ部屋で、鈍い脳みそを手で叩いて、ここはどこかと問うた。調度品からホテルと知れた。それも如何わしいとこでなく、真っ当なビジネスホテルだ。
心当たりもなく、あれっと思うがその前に喉の渇きを癒しに立ち上がり備え付けの冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出した。半分くらい一気に飲み干すと、やっと一息吐いて辺りを見渡した。
俺が自分でチェックインしたのか?確か、ゾロと飲んでたんじゃないのか、俺は。
と思って、ツインの部屋に気づいて取り消した。じゃ、これは。
そろりと歩いて近づけば、シーツに包まって寝ている人物は、確かに自分が記憶を消す直前まで飲んでいた相手、ゾロだった。
いや、ゾロだと思う。というのも、眼の前で寝ているその人物は、ゾロの特徴であるメガネをしておらず、その顔がいつものゾロのものと思えず、サンジは恐々とその人物に近寄った。
シャープなラインで綺麗な顔をした男が眠っていた。
半ば布団に隠れてるけれど、木目の細かいつるりとした肌をして、睫の長い目を閉じて、その目が開けばどんな目が待ってるか思わず期待してしまうようなそんなラインをしていた。
誰だ?
俺、一体ここにどうして。
そう思って、気づいた。明かりを落した部屋で見落としたけれども、その男の髪は、黒でなかった。茶色でもなく傍に寄れば、それは緑色をしていると気づいた。昨夜一緒に飲んだ男も、同じ髪をしてなかったか?
サンジは近づいて、マジマジと見つめた。
頬の形とか髪とかそれはなんとなく見覚えのあるものだったが、いつものメガネがない所為で自信がもてない。綺麗なつるりとした肌を晒して、長い睫を伏せて、それが目をより印象付けている。
ゾロの普段とのギャップを随分見た気がしたが、これが一番衝撃的だった。誰があのメガネの下にこの顔があると思うよ。
サンジは手にした水をぐっと飲み干すとそのまま椅子に座ってゾロを見続けた。
早く目が開けばいい。
メガネなしで俺を見て、驚く素顔のゾロが見たい。
朝日とともに部屋が明るくなり、益々ゾロの髪は濃くなった。
眉毛とか頬とか見知ったゾロなのに、メガネがないだけでまるで違う様相をする。
眩しくなったのか、閉じられた睫がふるふると震える。すっと閉じた目に線が入って、上下に別れはじめる。
ゆっくりと目が開く様をちょっと離れた椅子から見ながら、サンジは目が離せなかった。ぱちぱちと完全に覚醒しないために、繰り返される瞬きでどんどん大きく開く目が、すっきりとした切れ長の二重だと確認できると同時に、その目はサンジを確認した。
一瞬で全開になった目と慌てて体を起こしてサンジに向くゾロの姿が可笑しくて、サンジはくすくすと笑った。案外視力いいじゃねぇか。そこから見えんのか。
「・・・・サンジさん。大丈夫ですか?昨日、結構お酒を過ごされたようで。」
動揺しながらもそう言うゾロに、
「大丈夫、世話になったな。」
と言えば、いいえと言って俯く。完全にメガネをしてないことなんか忘れてる風だ。
そんなゾロを見て、笑いながらサンジが聞いた。
「お前、なんでメガネなんかしてんの?」
そういえば、はっとして、顔の手をやって枕元のメガネをかけた。
「なんだ、掛けちまうのかよ。ほんとは目、そんなに悪くねぇんだろ?なんで掛けてるんだよ。」
メガネの定位置を探すように何度も動かして、ゾロは目線をサンジの靴あたりにしたまま、もごもごと口を動かした。
「別にいいでしょう。掛けようが掛けまいが・・・」
「構わないけどさ、ない方がいいと思うけどな。俺は。」
「・・・・」
黙って俯いたゾロを見て、
「朝飯食いに行こうぜ。」
と言って、サンジが服を着替え始めた。
ホテルのロビーで朝食を取ることになり、ゾロは向かいに座ってるサンジを伺いながら、トーストを齧った。
素顔を晒したのは、失敗だったかもしれない。あれは、ゾロを回りと隔てる防御壁のようなものだった。皆、見た目に騙されてゾロに気づきもしなかったのに。それを愚かにも自分から暴露するような真似などして。そう、後悔ばかりが頭をぐるぐるして、正直何を食べたのかすらよく覚えていない。
やはり、あのまま一人サンジをホテルに置いて帰ればよかったと、ゾロは後悔した。
コーヒーを飲み干して席を立とうとしたゾロの手を握ったのは、サンジだった。
いつものメガネ越しに見るサンジの顔が、いつものふざけた様な表情など欠片も見せずにゾロを見ていた。
数秒。いやもっと短い時間だったかもしれない。二人の視線が合って、絡んで、動けない。
そのゾロの呪縛を解いたのは、ふっと表情を和らげたサンジの笑顔だった。
「そんな急ぐなよ。会社が始まるまでまだ時間があるだろ?」
「私は、一度戻って着替えますから。」
そう言ってサンジの手を振り払って出た。これ以上ここに居たら、また何かやらかすかもしれない。
自分じゃない自分を他人に晒すのはもうゴメンだ。
足早に歩道を歩けば、見慣れた景色が見えた。思ったよりも会社に近い。まだ時間も早いし、着替えても十分間に合う。
そう思って足を速めると直ぐ隣に並ぶ影。
「サンジさん。」
「お前んち、近いの?」
「ええ。」
「じゃぁ。俺も。」
「俺もって仰いますと?」
「俺も寄らしてよ。ネクタイくらいは変えたいじゃない。俺んちこっからじゃ間に合わないんだよ。いいだろ?」
そういわれると、何も言えなくなる。
「私のじゃ、貴方の気にいるものがあるとは思えませんけど。」
「同じじゃなきゃいいからさ。」
ゾロは口を噤んで歩いた。サンジは当然というようにゾロの隣を歩いた。
路地を曲がって、更に狭い路地に入り、静かな住宅街の中をしばらくいくと小さなコーポが姿を表した。その1階の真ん中の部屋の前で立ち止まり、鍵を開けてサンジを見た。
「狭いとこですが、どうぞ。」
「お邪魔しますー」
遠慮するでもなく靴を脱いで入るサンジに続き、ゾロは部屋に入った。
先に入ったサンジが珍しそうに見回して、座った。
ゾロは箪笥を開けて、ネクタイを取り出すと、
「どれにします?」
と差し出した。
同じようなグレイや紺の色合いのネクタイを悩んだ末、紺に格子の模様のネクタイを手に取ると、
「これにするわ。」
といって、今している自分のネクタイをとった。
ぐっと結び目に指を入れて、引っ張りながら首を動かす仕草が、嫌に似合うと思ってゾロはそっと視線を外して、自分もネクタイを外した。
床のローテーブルの傍にサンジがいるので、抜いたネクタイは机に置いた。そのときに視線に入った、四角いもの。置いた手でそのままそれを突付いて、少しほっとした。
いつもの儀式が昨日は飛んでしまった。でもそれを齎した人物と一緒にいたのはまた何か繋がりがあるんだろうか。
そんなことを思いながら、ネクタイを締めているといつの間にか傍にきたサンジが、珍しいもん持ってんなといって、肩越しに見ていた。
その思いのほか近い位置に、落ち着かなくてゾロは
「貰い物です。」
とそう言うと、キッチンに行き、冷蔵庫から冷えた麦茶のボトルを出して飲んだ。そして、新しくコップに注ぐとそれを持ってサンジの方へと戻れば、さっきの包みの中身をサンジが口に入れたとこだった。
麦茶のコップを持ったまま、
「あっ」
と口が思わず発しそうになって、慌てて閉じた。
何事も無かったように包み紙をくしゃりと丸めるとゴミ箱に入れると、懐かしい味がするよと笑った。
無くなった存在を惜しむとかそんな感傷的な気分になった訳でもないのに、ゾロはテーブルにコップを置くと、
「人のものを勝手に・・・・」
そう言いかけて、まるで子供のような言い草だと思うと最後までは言えずに、上着を手に取って部屋を出た。玄関で靴を穿きながら、鍵掛けて出てくださいとキーフォルダから予備の鍵を抜いて床に置いた。
自分でもどうしてそんな態度に出たのか理解できぬままに来た道をまた戻った。
くれた本人がまた持ってっただけじゃいか。
それが、どうしてこんなに腹立たしいんだと、小さく舌打ちをした。
昔から、自分を出すのが苦手だった。
自分の気持ちを上手く言い表す言葉を紡げなくて、いろいろやってみてもそれはゾロの意志とは程遠い伝わり方をしたので、結局は理解して貰わなくてもいいとそう思うようになり、必要最低限の言葉しか口にしなくなった。
やることさえちゃんとしてれば、何も言われない。人相手よりも数字相手の方が気が楽だった。計算すれば、すぱっと答えが出てくれる。余計なことなど考えなくてもよかったのに。
こんなに自分の傍に人を近づけたのは初めてで、いくら気になるサンジだとしても部屋に入れるべきでなかったと後悔した。あの消えたチョコが無性に惜しかった。らしくない、らしくない。俺らしくない。こんな感情的になぞ。
ゾロはメガネに触って位置を調整すると大きく息を吐いて歩き出した。
変わらない、いつもと変わらない日の始まりだ。
ゾロが出て行って、静まり返った部屋で暫しサンジは固まった。
俺なにかしたっけ?
えっと、もしかして、あいつチョコ好き?
勝手に食って怒っちまった?そんな奴なのか?
まだ、会社に行くには早い時間でサンジはネクタイを締めると、座ってタバコに火を点けた。煙を上に向かって吐きながら、部屋を見回した。仕事をするらしい机と椅子。ベッドに箪笥。そして、今サンジのいるローテーブル。
シンプルすぎる部屋。まるで仕事をしているゾロそのもののようだ。
人に見せない仰々しさ。それが部屋にまで溢れている。
きちんと置かれたリモコン。背の高さの揃った本。整えられた布団。何も落ちてない床。
部屋の語る人格さえここには欠片も落ちてない。
ゾロって一体どんな奴なんだ。
この部屋を見て、改めて思った。
メガネの奥に隠されたあの目のように、この部屋に隠されたゾロの心があるんだろうか。
そういえば、さっき・・・・
(人のものを勝手に・・・・)
ゾロが言った言葉が蘇る。あの言葉には、少なくともゾロの感情があった。
あのチョコが何か特別なものだったのか。悪いことしたかもしれない。ここに来る途中の道を思い出してサンジは立ち上がると、玄関の床に置かれた鍵を取って部屋を出た。
「おはようございます。」
朝の挨拶で席に着く。
随分と早く着いてしまったゾロは、席について今日やりべき仕事にとりかかった。何かしていないと余計なことを考えてしまう。
書類の束を片付けて、計算して、書き込んで、ただ没頭した。
だから、隣の席のやつが、
「ゾロさん、帰らないんですか?」
というので、初めて終業時間だと気づいた。残業するほどのことでもなく、ゾロは仕事を片付けると席を立った。
昨日は、飲んだし自分のベッドではなかったので、酷く疲れていた。
今日は、外回りなのかサンジの姿は一度も見なかった。それが今日のゾロにはありがたかった。あんなアホみたいな態度をとったことを今更に後悔した。もう、話すこともないだろうとそう思うとそれは少し寂しいような気もしたけれども、自分の生活に戻るようでほっとした。
コンビニの袋を下げて、部屋に戻ったゾロはローテーブルの上にそれを置いて、取り出すと食べ始めた。温めてもらった弁当は、温かいというだけで、その味の素っ気無さを上手く誤魔化していて、黙々を平らげたゾロは、一緒に買ってきたビールを開けた。
冷えた液体と炭酸が喉を刺激して、回るアルコールが体の疲れを心地よく感じさせる。
そのまま床に横になったゾロの目に仕事机の上に置いてあるものが目に入った。
昨日までは確かに無かったものだ。
手に取れば、小さな袋の中に数個の小さなチロルチョコ。そして、小さな紙。
それはサンジの名刺だった。
会社名と所属、携帯の番号とメールアドレス。空いたスペースに文字が書いてあった。
−−−昨夜は、世話になった。
−−−これは食っちまったチョコのお詫びだ。数を増やしてみた。
−−−ネクタイと鍵はこの次会ったときに返す。
−−−連絡してくれ。
−−−サンジ
そうやって、連絡ってとこから線が出て、サンジの携帯番号へと繋がっていた。
世話になったといいながら、鍵とネクタイを返して欲しければ、連絡してこいだと。なんて自分勝手なやつなんだ。
一瞬、それを握りつぶしそうになって、止めた。
ネクタイは別に構わないけれど、鍵は困る。
はぁと溜息を吐いてゾロは携帯を取り上げた。
「ねぇ。なんかいいことあったの?」
そう言ったのは、受付のナミだった。
「え?俺そんな浮かれてる?」
「うーん、浮かれてるってか。わくわくしてる?遠足前の子供みたいよ。」
わーやっぱ鋭いよ、ナミさん。
「ちょっとね、楽しみなことがあるんだ。可能性は五分五分なんだけどね。これが。」
「へぇ。デートの返事でも待ってるの?」
「似たようなもんかな。」
「まぁ。頑張んなさいよ。サンジくんマメなのに、なんで彼女いないのかな〜」
「ナミさん、俺の彼女になってよ。」
「んー止めとく。」
「厳しいなぁ。」
笑いながら、手を振って外へ出かける。今日も日差しが暑いぜ。
それでも、さり気なくポケットの携帯を触って存在を確かめる。着信すればすぐ分かるマナーモードで密着させている。鳴る確率は、言った五分五分よりは低いかなと思う。仕事を終えて、戻ったゾロがテーブルの上で見つけて、読んで、そしてすぐ連絡をくれたとしても、鳴るのは夕方。それでもなりそうな気がして、気になって仕方なかった。ほんと遠足前のガキみたい。
弾みで手に入れた鍵で、来る途中にあるコンビニで買ったチョコを持って帰ってテーブルに置いた。本当は、そのまま鍵も玄関のポストにでも入れて返すつもりだった。それが名刺にメッセージを書いてて気が変わった。
ありきたりな謝罪の文句を書いてて、これをゾロが見たらどうするかなと思った。チョコと言葉。ふっと笑ってなんだこいつってそう思って、それで終わるような気がした。次からは、また同じフロアで働くただの同僚になって、話す機会もなくなりそうだった。そしてそれは絶対そうなのだ。でも、サンジは、このままゾロとの繋がりが切れてしまうのが惜しかった。鍵を返してしまえば、繋がるものはない。折角知ったゾロの多分自分しか知らないだろう顔をもう見ることが出来ないことが、惜しいと思った。
書きかけた名刺を破って、もう一枚取り出して、少し強気で押し付け気味な文句を書いて置いてきた。
ゾロのことだから、ゴミ箱にでも投げ捨てるかもしれない。でも、酔ったサンジを放り投げもせずに最後まで面倒を見てくれた、そんな面に期待したい。
一日落ち着かなく過ごした。いつなるかと意識がずっと胸の携帯に行っていて、仕事にも集中しきれなかったが、長年の経験でなんとかこなし、帰社すればとっくに終業時刻は過ぎていて、残ってる社員は数人で皆営業の連中だった。当然経理が残ってるはずもなく、照明の落とされた一角が無人を知らせる。
今日、鳴らなかった携帯の入ったポケットを軽く抑えて、こりゃ、無理かなと思った。
別に親しい知り合いでもなかったのに、一度飲んだだけで部屋に押しかけて、まぁ気に食わない奴だと思ったろうよ。挙句、無人の部屋に入って、勝手に荷物置いて勝手に鍵を持ってって、連絡しろって、そりゃ怒るよな。
サンジは、自分の行動を少し後悔して、帰路についた。
そして、三日。
サンジの携帯にゾロの番号が出ることはなかった。
流石に、サンジも悟った。
賭けに負けたなと。
ちょっとは気にしてもらえたかと思ったけど、これじゃ惨敗だ。連絡くれたらまた飲んで、話をしてもっとゾロのことを知っていきたいと思ったりしてたんだ・・・・・・けどな。
サンジは、期待しないと言いながらも期待する気持ちが完全に無かった訳じゃなかったので、肩を落とした。連絡があったらと真面目に部屋に帰ったこの数日の自分の行動が笑える。
もっと笑えるのが、自分からでなくゾロから来ることに拘ってるとこだった。
同じフロアーで話をしなくても姿を見ない訳ではない。
几帳面に紙切れを睨んで仕事をしてる姿なら何度も見た。敢えて視線は合わせなかったし、その間領収書とかも廻さなかった。
変なとこで意地になって、何かゾロが言ってくるまで、ゾロが行動を起こすまで待とうと思ったのだった。でも、もしかしたらゾロは黙殺という行動を取ったのかもしれない。
そう思うとがっくりときて、鍵のついた束を眺めた。自分の鍵に混ざったゾロの鍵。返さなきゃな。
その肩をぽんと叩くやつがいるので、見上げればエースが笑って、
「よぉー元気ねぇな。」
「そう見えっか?」
「見えるな。景気付けに今日飲みに行くっか?」
「お、いいね。」
「決まり。じゃ、終わったら下で待ってろよ。」
「おう。」
今日は飲んで発散するか。ぐっと伸びをして、活をいれると仕事に戻った。
そんな姿を通りかかったゾロが見ていたことには気づかなかった。
仕事を終えて、引き出しを開けた。そこには紙袋に収まったゾロのネクタイがあった。これとここにある鍵を返せば、なんだか本当に終りなんだなと思って、それがまた、分かれたくない恋人に対する気持ちのようだと思えて、可笑しくなった。
そもそも、友人でもない関係なのに、何を期待してんだろうか。俺は。でも、一緒に飲んだの空間が楽しかったので、鍵返したらそれもなかったことになってしまったら、それが少し悔しい。
ゾロから何か返事があれば、もっと会って話して友人にでもなれたかもしれない。いや、なりたかったかな。ま。仕方ないか。
意を決してそれを掴んでゾロの元へと歩いた。いつもの経理のカウンターにいくとゾロの姿が見えない。
「ビビちゃん、ゾロは?」
「あ、サンジさん。ゾロさん?今ね、資料取りに行ってるんですよ。」
「あ、そう。じゃ。これ渡してくれる?渡せば分かるから。」
「これですか?分かりました。あ、でもすぐ戻ってきますよ。」
「ん、でもたいしたことじゃないから。頼んで悪いね。」
「じゃぁ。預かります。あっ、ゾロさん。」
ビビが、声を上げるので見れば向こうからゾロが青いファイルを持って歩いてくるのが見えた。
「戻ってこられましたね。じゃ、これ、サンジさん、自分で渡してくださいね。」
そう言うと席に戻ってしまったので、サンジは仕方なくゾロが近づいてくるのをまった。
ファイルを両手に下を向いて歩く姿は、いつものは覇気がないように見える。カウンタに近づいて初めて目線を上げたゾロが、サンジを認めて足を止める。
「よ。元気そうだな。」
「お陰さまで。」
取りあえず、場を繋ぐための挨拶に素っ気無く答えるゾロに、それ以上の会話も出来ず、サンジは手にもった袋を差し出した。
「これ、返すわ。借りてたもん。」
眼の前に差し出されたそれをゾロはじっと見つめたまま動かない。
ぐっと差し出したら、その体が一歩下がった。
「おい、手出せよ。お前んだろ?」
訝しげにサンジがそう言うと、ゾロは手にもったファイルをばさばさと落として、そのままサンジに背を向けて走り去った。
「ちょっ・・・おい!」
取り残されたサンジは、何がどうなったのか訳もわからず、手にした袋とゾロの落としたファイルを見て、どうなんてんだと呟いた。
鈍く痛む頭を極力動かさないようにして、ゾロはファイルを持って歩いていた。頭痛の原因はここのとこ、よく眠れずにいることに他ならず。ゾロもいい加減答えを出さねばと思ってるとこだった。でも、それが簡単に出来ればこんなに悩まない。
ふうと息を吐くと自分の席の方を見れば、不眠の原因がそこに立っていた。
サンジの姿を認めると足が止まって、それ以上進めなくてそのまま立ってみていたら、サンジが近づいてきて、返すと言われた。差し出された袋には、ネクタイと鍵が入ってることは嫌でも分かった。
この数日、連絡を取って返してもらおうとしたものが、眼の前にあるのに、ゾロの手はどうしてもそれを受け取ることが出来なかった。受け取ろうと動かそうとしても動かなかった。
これを返してもらって、解決だ。
今晩からは寝れるじゃないか。
もう、サンジに電話しようと勇気を振り絞るような真似もしなくていい。
何時間も携帯を睨まなくてもいい。
空で覚えたサンジの番号も、もう思い出さなくていいんだ。
そう思ったら、体はそれを受け取るよりも、全部放棄して逃げ出してしまった。サンジの前から。
あの名刺を見たときから、ゾロはその番号を見つめすぎて覚えてしまった。実際に押して、後は通話ボタン押すだけってとこまでは何度もいった。この11桁の番号に電話して、話して、鍵を返してもらう段取りをつければいいだけなのに、電話をする勇気が出なかった。なんで、あいつからしないんだ。俺の鍵だろうがと腹立たしくなって、余計に掛けられなくなった。電話越しにサンジの声を想像するだけで、言葉が出てこなくて、結局は押せなかった。返してもらうことを口実に会うのはうれしい。サンジの途切れない話を聞いてるのは楽しい。でも、次に会う約束など出来様筈もない。そこで会って、話して、渡されて、それで繋ぐものがなくなってしまうような気がした。
そうしてると日々だけ過ぎて、サンジの顔を見かけても何も言えずにいた。
結局もたもたしているからサンジから行動を起こしてきた。
ゾロが居ないときに経理課に来て、ゾロを待ってたらしい。サンジの手にした物をみて、ゾロは瞬時に悟っった。
返しに来たんだ。
ゾロからの連絡がないのから自分で。
ゾロはそれを受け取れば、もう電話をかけなければと悩む必要はなくなるんだ。
もう、サンジのことを考えなくてもいいんだ。
そう思うと、胸の奥に何か重たいものが生まれて、それを受け取ることが出来なかった。
それを受け取れば終わるのに、受け取りたくなくて。胸元まで押し付けられたそれから後ずさって、逃げてしまった。
背中を見せて、仕事も放り出して、そのままみっともなく駆け出した。
先も考えず、駆け出して、それでも行く場所なんか思いつかずに、眼の前のエレベータ−のボタンを押して乗り込んだ。乗ったエレベーターが上りだったのは、着いてから気づいた。開いたドアから出れば、最上階で、使われてない大会議室とか資料室とか並んでいて、話し声がする部屋を避けて、ゾロはそのまま階段を上がって屋上へと出た。
入り口から死角になる場所で仕事を放り出してきてしまったと、雲を見上げて思った。
柵に寄りかかりメガネを外した。ガラス越しじゃない空は少し色が濃くて澄んでいる。
「アホみたいにいい天気だ。」
まるで今の俺とは正反対だ。そのまま座ると頭を抱えて頭上で指を組んだ。
今しでかした自分の行動が酷く滑稽で、どんな顔して戻ればいいのかもわからなかった。こんなこと初めてだ。仕事場で、自分の感情を曝け出すような行動をするなんて。
それでも、あの場合それしかなかった。出来なかった。
受け取って終りにしたくなかった。
こつこつとコンクリートを歩く音がした。
「ねぇ。これいらねぇの?」
ぱさりとゾロの頭を叩く紙の包み。
下を見れば、サンジの靴が見える。顔を見ずにそれを受け取ろうとして引っ張れば、同じ強さで引かれて袋はゾロの元へと落ちてこない。なんだと思わず顔を見上げれば、はっとしたようなサンジの顔。
その隙に緩んだ手から袋を取り戻すと、サンジがしゃがみ込んでゾロの顔を見た。
「お前、やっぱメガネない方がいいぜ。」
はっとして、メガネを取り出してかけようとするとサンジがそれを取り上げた。
「何するんだ。」
「これは、没収だ。」
「返せって。」
「じゃ、今夜俺に付き合えよ。今度は潰れねぇよ。」
「嘘付け、弱ぇくせに。」
「あの日は、体調がいまいちだったんだ。今日は大丈夫さ。」
「返せよ。」
手を伸ばせば、反対に掴まれる。
「それでも、潰れちまったらまた面倒みてよ。」
「・・・なに・・・・言って・・・」
「なんか、俺あんたが気になって仕方ないんだよ。」
「・・・・・」
「それにあんたも、そっかなって思ってさ。だって、折角返そうとしたの、受け取らずに逃げるなんてさ。なんでだろうとうっと思ってた訳よ。あんたを追いながら。で、もっとあんたのこと知りたいってそう思った訳。」
「そんなことねぇ。」
「じゃ、何で逃げた?」
「逃げたわけじゃ・・・勝手に体が・・・。」
ぽつぽつと喋る言葉がいつもの堅苦しい言葉でなく、ゾロの本来の姿のように丸く砕けてくる。
尚も、喋ろうとしたサンジの携帯が鳴った。
「もしもし、あーエース。・・・・・あ、それだけどな。今日止め、予定入っちまった。・・・・・そうそう、お前より大事な予定だよ。ばーか。勝手にいってろ。・・・・・おう、またな。」
パタンと携帯を閉じると、
「で、どうする?」
「その前に手放せよ。」
「逃げない?」
「逃げるか。」
「ははっ、そんな喋り方するほうがお前に似合ってんよ。」
「行くから、メガネ返せ。」
「えー勿体ねぇ。外しとけよ。」
「落ち着かねぇんだよ。ずっとしてたから。それに勿体ないってなんだよ。」
「ちぇっ、分かったよ。」
サンジが差し出しためがねを両手でかけて整えてると、下に置いた袋を手にサンジが立ち上がった。
「これさ、やっぱ俺がもっとくよ。」
そう言うと、中から鍵だけ取り出してポケットに仕舞った。
「なんで・・・」
「だって、これあるとまた次会えるだろ?鍵は人質。いや、鍵だから鍵質?」
「なんだよ、それ。」
思わずといった顔でゾロが笑った。いつもはガラスに隠れて見えない瞳も、今のサンジにはガラス越しでもはっきり見えた。その顔は無骨なメガネのフレームにも損なうことなく綺麗だった。
いろんなとこでふと顔を覗かせる隠された顔。それを全部見たいと思った。
まずは手始め、もっと笑わせてみるか。
「よしー、じゃこの間のリベンジだ」と言って、ゾロを立たせると並んで歩き始めた。
何処行くかなーメシ美味くって酒も美味いとこだよな、と喋るサンジの隣でゾロは不思議な気持ちで歩いていた。ゾロと同じようにサンジもゾロを気にしていた。そんなことあるのか。自分と同じようにサンジも自分のこと知りたいと思ってたなんて。
ゾロは、さっきまるで生来の知り合いのように交わした会話を思い出した。久しくあんな砕けた口調で喋ったことなかった。殻に篭った自分をどんどん押し出してしまうサンジに、戸惑いながらも惹かれていた。
俺も、もっとお前のことを知りたい。
もっと知って、このメガネを外しても平気になれば、何か変わるかもしれない。
ガラス越しでなく、サンジを見れる日がくれば。
振り返った空は、やはり青くていい天気だった。おーい、行くぞと呼ばれて見たサンジも空と同じような顔で笑っていた。
終
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いつも、お世話になってる帽子屋さんちの二周年お祝い文だったんですが、大遅刻ですみません!
しかも・・・・・キスすらしてない・・・・ひっついたと言えるのかもあやしい・・・・(泣)
ごめんなさいーこんなお話で。でもね、帽子屋さんへの愛で書きました。
どうか受け取ってくださいまし。で、お気に召さないときは返品は受け付けませんので、廃棄してください(笑)
二周年おめでとうございます!これからもよろしくお願いしますねv
2006.8.1. ゆん
わーん!!ゆんさん素敵だー!
てか、もうどうお返しをすればいいのか、言葉すら浮かびません・・・。ぐはっ
ホントにホントにありがとうございます。
うふふふ・・・どうしよう。嬉しすぎてニヤける。←変態
2周年ばんざーい!(笑)