走っても走っても後ろから追いかける音がする。
自分の胸まである草を掻き分けながら、必死で逃げる。

早く。
早く。
早く。


来る、来る、来る。


息が苦しくて呼吸が上手く出来ない。
でも、止まったらだめだ。

あいつに捕まる。


音が、

音が近づく。


あいつの息遣いが聞こえる。
追いつかれる。



だれか・・・

だれか・・・









++++過去の残像++++




「うわ!」

開店の準備をしようとブラインドを上げると、すぐ目の前に人の顔があってサンジは思わず声を上げた。
相手も驚いたのか目を見開いて1歩下がると、背を向けて駆け出していった。

サンジはまだ動悸の納まらない胸の手をやって、なんだあいつと呟いた。

まだ、開いていない店の窓を覗き込んでいた男の顔は一瞬だけど、サンジの目に焼きついた。
珍しい緑色の髪、切れ長の目。背を向ける時に光った、左耳のピアス。

「ありゃ、あの外れに住んでる坊主だな」

「しってんのか?くそじじぃ。」

「それが人にものを聞く態度か、てめぇは。」

「へいへい、すまねぇな。口の悪さは環境の所為だ。諦めな」

口の減らないサンジにふんと鼻を鳴らして、それでも言葉を続けた。
街から少し離れた森の側の家に住んでる奴だ。6年前母親と一緒に越してきたが、暫くして他界した。
5年前くらいから一人で住んでる。変わった奴でほとんど街へは来ねぇ。
ほとんど口も聞かないし、知り合いもいねぇみたいだ。食料の買出しに来るくらいだ。
この街であいつと話したことあるのは食料品店の親父だけだな。
お前はこっちにいなかったから知らねぇだろ。

ゼフにすれば珍しく言葉多く語った。
それを不審気に見ると、ゼフはサンジの顔を見て

「噂があってな。あいつ人を殺したとこがあるってな。まぁ、真意は知れねぇがな。」

と言うとまた仕込みに厨房に戻っていった。
サンジはゼフの言葉とさっきの顔を思い浮かべて結びつけようとしたが、上手くいかなかった。

なんかの間違いじゃねぇの。

サンジはそう思うと店の掃除にかかった。


*******

ゾロは、一度も止まらずに自分の家まで走り、戸を開けて中へ入るとやっと息を吐いた。
走り続けて喉がひりつく。
台所で水を飲むとほうっと息を吐いた。


いつも行き過ぎるだけの店の窓。
開店前の店の窓はブラインドが下ろされ、そこを通るゾロの姿を映していた。
そこに映る自分を見て、帽子を被ってくるのを忘れたとゾロは思った。
窓に映る顔、その周りに彩られた髪。片手でそっと触れてみる。

この髪は嫌いだった。

この髪の所為で何処へ行ってもすぐ自分と知れる。
人が自分を見ずに頭に目線が行くのを何度経験したろう。
そして、その目線が自分に戻るときにはその目は一様に自分に対して一線を引いてしまう。
そのたび自分の存在が否定されたようで堪らない。

だから、染めてみたこともあった。他人と同じ色になっても、元の自分を知っている人々の間では意味をなさず、髪は伸びてやはり色が知れる。いたちごっこのようでゾロは諦めた。

何度となく足掻いて、ゾロは世間の好奇の目に期待する事を止めた。
そして、なるべく関わらないようにきた。
自分ひとりでいる分には自分は傷つかない。



母親に連れられこの街に来たのは6年前。あの後少しして。
誰も知り合いのいないこの土地を選んだのに、噂は追いかけて来て二人を街の外れへと追いやった。
母親はゾロを庇い、また土地を移ろうとしたが、心労からか体調を崩しそのままここで一生を終えた。

ゾロは盾になる母親を失って一人で生きてきた。

生活は母親の残した蓄えで賄えた。ゾロは家の周りに畑を作り、なるべく街に行かずに済むようにした。
人と会うだけで、神経を使う。
会話すると緊張して頭痛がする。
誰もいない家で、自然の音だけを聞いているほうが良かった。

ゾロは、窓と開けると今朝早く買ってきたパンを少し千切ってばら撒いた。
いつもの習慣で木々から小鳥が啄ばみにやってくる。

鳥はいい。
可愛いしぐさで癒してくれるし、何も聞かないし、何も言わない。
可愛く声でゾロを和らげてくれる存在だ。

今朝は少し多めにパンをやって、自分もパンを食べる。
畑で取れた野菜とパンと牛乳。ゆで卵。
簡単に出来るものしかゾロには調理できない。それでもゾロは別に構わなかった。
食べるという事は自分の体を維持すればいいのであって、毎日同じ物でも構わない。
取りあえず、明日に繋がればいいのだ。


「あす・・・」


明日に一体なにがあるというのか、別に今日と変わらない日。
そうやって何も変わらず、自分は生きてこのままここで一生を終える、母親のように。
ただ違うのはそれを見取る人がいないだけだな。

ゾロは少し笑うと窓へ目をやり、先刻の小鳥が木にいるのを見つけ、あいつがいるかと椅子に凭れかかり肩の力を抜いた。

ぼんやり小鳥を見ながら、ふと金色の頭をした男のことが浮かんだ。
帽子を被っていないと気づき、窓を鏡代わりに見ていたらいきなりブラインドが開いて、その男と至近距離で目が合った。

綺麗な青い目をしていた。
ここらへんの街では珍しい色だった。

空の色に似ていたなとゾロは思いかえして思った。
自由で綺麗な空の色に。




*******


2度目にサンジがその男に会ったのは、隣街まで買出しに行った帰りの道だった。
珍しい髪の色を帽子で隠してその男はサンジの少し前を歩いてて、不意に道を外れて野原を歩いて行った。
その先に青い小さな屋根が見え、あれがあの男の家か、なんだすげぇ近道の仕方してるじゃんと道無き道を行く男の背をなんとなしに見送っているとその姿がふっと消えた。

サンジは思わず目を見開き一歩踏み出した。消えた?まさか。
サンジは荷物を持ったまま男の消えた辺りまで行ってみる。

「この辺だよな・・」

きょろきょろしていると何か物音がする。その方向へゆっくり歩を進めるとそこに古い穴が口を開けているのが見えた。
まさか、この中か?と覗き込んでみると底の方でなにやら動いている気配がする。

「おい。大丈夫か?」

影が明らかに肩をびくつかせて固まった。

「聞こえてんか?怪我してねぇか?」

ゆっくりと下から見上げるその顔は、やはりあの男のもので泣き出しそうな、困った表情をしていた。


男の落ちた穴は手を延ばしても縁に僅かに届かないくらいで、サンジが腹ばいになって手を掴んでやると簡単に登る事が出来た。
ゾロは穴から出て、泥で汚れたズボンを払うとすまないと小さな声で言って歩き出した。
その歩き方は明らかに足を庇っていて、サンジは思わず男の手を取ると肩に掴まれよと言った。

初め拒否するようにサンジを見ていたが、足が疼くのか顔を顰めるとサンジの肩におずおずと手を乗せた。
男の歩みに合わせて歩くサンジは男の方を見て口を開く。

「お前名前なんてんだ?俺はサンジってんだけど」

男は小さく一言呟いた。


「・・・・ゾロ」




*******



ゾロは椅子に座って深い溜息を吐いた。
今日は運がない。いつも通る近道で穴に落ちた挙句あのサンジという男に助けられた。
通い慣れた道のはずだった。それが、この間から消えない色に気を取られて踏み外した。
途方にくれた時、降って来た声に顔を上げるとその色が見えた。
自由な綺麗な空と同じ色を持った男。

顔を俯けて見えた手をじっと見る。
穴から引き上げられる時に掴まれた左手。自分に触れた体温を感じるのは久しぶりだった。
最後は母親の死に際に手を握った時だっけ。

そんなに・・
そんなに・・・・?

ゾロは言いようのない虚しさを感じた。
世の中には人は溢れているのに自分の近くには誰一人いない。

それも過去の自分の所為なのか。

椅子から立ち上がり窓に近寄ろうとして足に痛みが走った。
落ちたときに捻った足首には綺麗な白い包帯が巻いてある。
サンジが此処まで送ってくれたときに手早く巻いてくれたのだった。
床に座るとゾロはその包帯に手を伸ばした。
柔らかい感触は久々に触れた優しさと似ていた。






    けれど。

    けれど、きっと。

    あの男も、離れていく。

    誰も自分の側には残らない。

    期待するな、何も望むな。






ゾロは手を握り締めると波立つ感情をぐっと沈め込んだ。


明日、母親の墓に行こう。
足もきっと随分よくなってるはずだ。


母親の墓は林の中にあった。
ただ花が咲き少し広くなっているだけの場所で、少し大きめの石が置いてあるだけだったけれど、そこはゾロが一番寛げる場所だった。
何かあるとゾロはそこに行った。そこだけは、ゾロをいつも静かに迎えてくれた。




*******



ゾロは朝目覚めると、パンと飲み物と少しのハムを持って出掛けた。
足はまだ少し痛んだが歩けない程ではなかった。

少し陽がさしている墓の前にゾロは腰を下ろすと静かに見つめた。
そして墓石に半身を預けるように寄りかかると空を見上げた。

朝の空気の中で空は青く澄み、ぽつぽつ白い雲が動いていた。
心が軽くなるようだ。目を閉じると心の中に青い色が広がってゾロは体の力を抜いた。
背に当る石は陽を受けて暖かい。

こうやって、時間が過ぎていけばいい。何にも煩わされることなく・・・

ゾロは何時の間にかうとうととまどろんでいたらしく、目に陽が眩しいと意識が浮上し、ああ、起きないとと目をあけようと思った時、不意に翳って暖かさが無くなったことに不審を覚えて目を開けた。



目の前にサンジの顔が見えて、一気に意識が覚醒した。
そして、余りに近い距離に驚いて後ろに手をついたまま下がった。

「よう」

サンジは片手を上げてゾロに挨拶した。



ゾロの頭の中でなんでとかどうしてとかが渦巻いたが目の前の男が消えるわけでもなく、自分だけの場所を踏み荒らされた気がして少しむっとして睨みつけた。



*******



サンジは、ゾロの足が気になって朝早く目が覚めた。
あの穴から見上げた目が忘れられない。

何をそんなに諦めた風な目をしてるのか。
暗く何もかも拒絶するような目。


(人を殺したことがある)


ゼフの言葉が重なる。



あの男が?


人を?






そんな事より、ゾロの足が気になってサンジはベッドから降りると服を着替えた。
一人暮らしだと言ってなかったか?母親は死んだと。
もし、酷くなってたら誰が気づく?

どうしても様子を見に行かなければこのもやもやした気分は収まりそうになかった。
何故、こんなに気になるのかなんて今のサンジには分からない。
けれど、目があの目が、サンジの頭からゾロという存在を消してくれない。
bb サンジはキッチンで適当に見繕って袋に入れるとゼフに見つかる前に家を抜け出した。
朝の仕込みをすっぽかしてあとでどうなるか恐ろしいと思ったのだが。


ゾロの家まで来たサンジはドアを叩いたが、返事は無かった。
窓を覗き込むと人の気配が無かった。

あの足で何処へ行った?

サンジは玄関先から伸びるいつも歩いているうちに付いただろう細い道を辿って木々の中に入っていった。
そのうち道は途切れ背の低い草で覆われたが、この先にゾロが居るような気がして真っ直ぐ歩いた。

しばらくすると開けた場所に出て、その真ん中の石に凭れかかって寝ているゾロを見つけた。
サンジは起こさぬようそっと近づいてみた。

少し首をかしげ体の力を背の石に預けきったゾロは穏やかな顔をしていた。
伏せられた睫とか滑らかな頬とかに軽い衝動を覚えてサンジはうろたえた。
ゾロの顔を自分の影で覆ったとき、その睫が動いてゾロの目が開いた。
心打ちの動揺を気取られぬように軽く手を上げて

「よう」

と挨拶した。




なんだか目を覚ましたゾロは不機嫌に見えて視線を落とすと、ゾロの横に座った。

「お前がどうしてるかと思ってよ。で、家にいなかったから、道辿ってきた。」

サンジがポツポツと話す。

「足は?」

「もう、いい」

「そ・そっか。」

「・・・・ここは、俺の母親の墓だ」

「えっ?」

サンジはぱっと背を石から離すと石に向かって正座した。

「ここ・・に?お前のお母さんが?」

慌てて手を合わせて頭を下げる動きがぎくしゃくしてて、ついゾロは噴出してしまった。
サンジはゾロを横目で睨むと早く教えろよと頭を軽く小突いた。

そしてゾロの正面に移ると、話す事がなくなりサンジは落ち着かないそぶりであちこちに視線を移し、言葉を発する。

昨日はほんと俺驚いたよ。お前の姿急に消えるから魔法かと思ったぜ。それか幽霊だね。
そんくらい綺麗に消えたよ。ほんと驚いたぜ・・・・

サンジの言葉は途切れることなく続くのでゾロは少しうんざりして、言葉の切れ間を縫って口を挟んだ。

「あの辺は、いろんな大きさの穴が開いてるんだ、大体覚えてるんだが昨日はちっと道がずれてた。
 助かったよ。あそこを通るやつなんて俺以外いないからな。下手すりゃ、何日も穴の中だったよ。」

「いや、別にいいぜ。たまたま行きあったんだしよ。それよりお前腹減らねぇ?」

そういうとサンジは持参した荷物の中から、いろんな包みを取り出した。
そこに、綺麗に詰められた料理が入っていた。
ゾロがそれをじっと見つめていると最後にワインのビンまで出てきて、ゾロはサンジの顔をマジマジと見つめ、

「なんだ、今日は祭りか?」

と真面目に聞いてくるのでサンジは笑いながら店の料理を適当に詰めてきたと説明した。
ただし、ワインは俺のだけどなと言ってゾロの前に置いた。

「飲めるよな」

「ああ」

短く答えたゾロの目がワインから離れないので、サンジはワインを取り上げると栓を抜いてゾロに差し出した。
ゾロがワインと共に出されたグラスを持つと、サンジは瓶を傾けとくとくと注いだ。

ゾロは暫くワインの色を眺めていたが、ぐっと口をつけると一気に飲み干し、ふうっと息を吐いた。

「美味いな、これ」


綺麗に仰け反った喉と嚥下するたびに上下する喉仏を見たサンジは、ぼーっとゾロに見惚れてる自分にゾロの声で気づき慌てて自分にもワインを注ぎ、口を付けた。そしてワイングラス越しに、やっぱりゾロを伺うのだった。


サンジの持ってきた料理でワインを空にした時には、二人の間の空気は随分と馴染んだものとなった。

「お前、コックなのか?」

ゾロが静かに聞いた。
少し酔ったサンジが、ああと答えてお前とご対面した店でコックしてるよと笑いながら言った。

あん時は驚いたね。目の前に顔があんだもんなぁと思い出し笑いするサンジを見ながら、ゾロは違和感を感じていた。

なんだろう、なんだ?

よく動くサンジの口だとか、大袈裟な身振りをする手だとかを見ながら考えて、そして漸く分かった。
サンジの目には冷たさがないのだ。
ゾロの髪を目にしても、責めるような見下すようなそんな素振りが微塵も感じられないのだ。
それは、久しぶりの穏やかさだった。
母親が死んで以来感じた事がないこの空気にゾロは詰めていた息を吐き出すような安堵感を感じた。
こんなやつもいるのか。それとも俺の事を知らないのか。

知っていての態度なら有り難く、知らないうえの態度なら知るまでの短い間でも暫く味合わせてもらいたいと思った。
側に人がいる心地よさを、今だけでも。

なんだか酔っ払ったサンジは一人で喋っている。
こんなに長い時間自分の声でない声を聞いたのは初めてだ。

思わず声に聞き入っていたゾロはサンジの言葉にうっかり頷いた。
頷いてから、なんだってと聞き返してサンジに呆れられた。

「だから、今度うちにメシ食いに来いってったんだよ。俺の料理食わせてやっから。」

「店?お前の?」

「あのお前と最初に会った店だよ。」

サンジは胸ポケットから煙草を取り出すと口に咥えた。
マッチを擦ると火を点けて煙を吐き出した。煙は風に乗って空に消える。
風の道筋が目に見えるようでゾロはその煙を目で追った。

それを見ながら、先ほどのサンジの言葉を反芻する。
店に行く。サンジの店へ。
人の大勢集まるのあの場所に。
それは、人の中に行く事を意味する。
人々の好奇の目の中に自ら身を置くなど、今のゾロにそれに耐えうる神経はない。
メシなぞ食べれない。無数の目がゾロの背中に張り付くようで、食欲など消え失せてしまう。
思わず浮かんだ風景に、ゾロは腹の底が冷える思いがして、漸く言葉を吐き出した。

「わりぃけど、それは無理だ。街は苦手だ。」

「え?」


ゾロはそれだけ言うとゆっくりと立ち上がった。
サンジが驚いたような顔をしているのを目の端で認めながらも、ゾロは自分の持ってきたバスケットを持つと足を庇うように歩を進めた。
途中で止まってゾロの背を見つめるサンジに振り返り、お前のメシは好きだけどなと言ってぎこちなく笑って、後は振り向きもせずに歩いて行った。



*******



サンジはゾロの背中が消えてもそこに留まった。
煙草を最後まで吸い終わるとようやく腰を上げた。

ああ。失敗したな。

口の中で呟いた。
あの顔をさせたいわけでなかった。
あんな笑い方を忘れたような笑顔。
俺の料理を美味いと言ったから、店でちゃんと食わせてやりたかった。
それが、あの沈んだ顔。
何にも期待してない諦めたような目。
ただ、口の両端が上がっただけの唇。

全く俺は何やってんだ。

頭をがしがしと掻くと石に向かって頭を下げた。

ゾロのお母さん、俺ゾロと友達になりたいんだけど、いいかな。

じっと石を見てその丸くなった頂上を撫でた。
きっとゾロもこうやって触ってたんだろうなと思った。
そう思うと余計切ない感じがして、頭を上げた。
頭上には青い空。



ゾロ、一人は寂しいぞ。



サンジはさっきの目を思い出しながら呟いた。




*******



店に戻ると案の定ゼフの怒鳴り声が降ってきた。
店の仕事さぼって何処行ってやがる、このクソガキ。

そう言うと山ほどの皿を差して、洗っとけよと言い置いて仕事に戻って行った。
ちぇっ、今更皿洗いかよ。
そう思いながら、抜け出してゾロの家に行ったのはそれだけの価値があったと思った。
大量の皿を洗うのは大変だが単調な仕事だ。
リズムに乗ってくると頭は他の事を考える。

ゾロは自分以外のものを拒んでる。
それは畏れているのだ。
他人を。

それ程の事があった。
過去に。
それは、巷に流れる噂と繋がるのか。
ほんとにゾロは、人を殺したのか。

ここに来たのは6年前。
ならそれ以前の話か。
6年前。

あいつ何歳だ?
俺とかわんねぇくらいだよな。
13歳くらい?
それで人殺せるのか?
事件になってるか?
新聞に載ってるか?

新聞。過去の新聞ってどこにあんだ?


そこまで思って、サンジは手を止めた。
そんなに踏み込んでいいのかと思わないでもない。
只のお節介でゾロの気持ちなぞ考えてない。
それでも、サンジはゾロの事が知りたかった。
知りたかった。
そして、そして・・・?


サンジはその先は考えないようにして皿洗いを再開した。



*******




ゾロは、家に戻ると椅子に腰掛けた。
心臓が煩いくらい騒いでいる。
それは、サンジの言葉で想像した人々の中にいる自分に吐き気を覚える程の嫌悪感と、それをサンジに知られなかっただろうかと考えたからだった。

大きく息を何回かすると、力を抜いて椅子に背を預けた。
ここは大丈夫。
この中は大丈夫。
呪文のように。


サンジは何を思って自分なんかと関わるんだろう。
あの瞳の色は好きな色だ。
料理も美味かった。
あのサンジの纏う空気が嫌でなかった。
ゾロはサンジの態度が気になって、そうやって気にすること自体サンジに惹かれてるなどと思わずに、ただ、自分の感情を持て余していた。


日が暮れるまでじっとしていたゾロは、簡単な食事を済ませると床についた。
今日は、いろんな事があった。
でも明日はきっと変わらない。
寝てしまえばいいのだ。
きっとあの男の気まぐれも治まる。
ちょっとした好奇心だ。
すぐ醒める。


そう思って目を瞑るのに、いつもならすぐ訪れる眠りが今日に限って来ない。
暗闇のなかでサンジの声が響く。
金色の髪が揺れる。
空色の目がゾロを見つめる。
一緒に居た時に感じた温もりが肌に感じる。

ゾロは目を開けると天井の模様を睨んだ。
自分の平穏な日常に波紋を落とした男と重なる。


それでも・・・
それでも・・・だ。
過去は事実だ。


自分の心の奥底にある暗い部分が顔を覗かせて、ゾロは体を丸めた。
この手は汚れている。





俺は人を殺した。








壁ばかり見ていても時を刻む速度は変わらず、溜息と握り締めた拳に爪の跡が赤く定着するほどの長い時間を過ごしてやっと、いつもと変わらない朝が来る。

太陽の日差しと共に起きて、窓から鳥達にえさをやる。
忙しなく頭を上下させてえさを啄ばむ姿は見ていて飽きない。
自分の立てる音以外響かない家で、人の声以外のものを聞いて過ごす。

耳を澄ませば、風の音や葉の音やいろいろな生き物の声が聞こえる。
いつも朝、えさを強請りにくる鳥だってまだ外の枝で鳴いている。
音に飢えているわけではない。
自分は一人ではない。いつも自然が側にいる。

それでも昨日までの自分が感じなかった寂しさが胸に去来するのは何故だ。
耳が聞きたがる声がある。
感じたがる温度がある。


違う違う。


俺は欲しがってなんかない。
なんかない・・・


久しぶりの人との触れ合いに気が緩んだだけだ。



そう、ずっと一人でいるこの空間でのみ、自分は自由に楽に息が出来る。
だから、サンジになぞもう会わない。
俺は、ずっと一人でただ静かに生きたいだけだ。


ずっと、

ずっと、

この先何年も、

何十年も、






たった一人・・・・・・・で?







そう思った時、ゾロは後ろを振り返った。
いつもそこには母親が立っていた。
優しくゾロを見ていた。
その影が消えてぽっかりと闇が広がる。
心が冷えていくような冷たい闇だ。


身体がそこに引き寄せられるようだ。
心が冷えてもうどうでもいいかと思えるくらいに。
このまま、この闇に紛れてしまったら。
溶けて同化して無くなって・・・

自分なぞ居なくなっても誰も気にしない。
居なくなったことにすら気づかれない。
俺はそんなもんだ・・・・

そうやって身を丸めてじっとしていると、どこからか明るい光が見える。
小さな光はそれでも輪郭を持っていて暖かく、それが段々はっきりしてくる。

それが何かわかったとき。
ゾロも自分の心が見えた気がした。

その光は優しくゾロを見下ろすサンジの顔だった。



俺は、俺は、




一人で




生きたく・・・ない






徐々に闇が消えいつもの自分の部屋の壁が見えてきても、 ゾロは動けずその何も見ていない目からはぽろぽろと涙が零れた。


*******



「なぁ、サンジ。お前あの外れんとこのやつと会ってんのか?」

馴染みの店で買い物を済ませたとき、店にいたよく自分の店にくる客に声を掛けられた。

「いや、よくって訳じゃないけど」

「あいつ、知ってんのか?ガキの頃人殺したらしいぜ。しかもあんな辺鄙なとこ住んでて、滅多に出てこないし。
 まだ、若いのによ。家ん中閉じこもって何してんだか・・
 変わってるぜ。お前、ああいうのと付き合うのはよしといたほうがいいぜ。」

親切気に声を掛けるその顔に隠しきれない好奇な色。
人の詮索して無責任な事を言いふらしそうなそんな顔だ。
その客を蹴飛ばしたい衝動に駆られ、それでもそうすればそれはゾロの身に返りそうでそれも憚られた。
あいつはいつもこんな顔に囲まれて生きてきただろうかと思って胸が痛んだ。
適当に愛想笑いをして、その場を後にした。
口の中で口汚く溢れそうな言葉を飲み込みながら。

あれから、1週間近くゾロの家に行ってない。
行く時間が無かったというのが正直なとこだ。
仕事をすっぽかしたことに怒ったゼフがいろんな雑用をサンジに言いつけてきたりして、 朝から晩までこき使われた。

くそっ、まったくあのじじぃ何考えてんだ?

買出しやら掃除やらさせられたサンジは、思うように時間が自由にならないことに苛立っていた。
あの後のゾロの様子も気になった。

却って悪いことしちまったか・・・・

そんな思いもして、どうにかゾロと話をしたかった。
別に料理を食べてもらうことなどどうでもよかったのだ。
実際は、それを口実に会う機会を持ちたかったに過ぎなかったと、今更ながらに思った。

大きな荷物を裏の倉庫に仕舞った後、サンジはゼフに見つからないように抜け出した。

もう、限界だ。
また、罰でもなんでも受けるからよ。
今は見逃せ。

じじぃ。



サンジはゾロの家への道を急いだ。



やっと辿り付いたゾロの家は静まりかえっていた。
荒い息を整えながら覗いた中に人の気配はしない。

家の周りを回っても姿は見えない。
また、あの森か?と思ってそっちへ向かおうとすると、木々の間からゾロが姿をあらわした。

ゆっくりとした足取りでこちらに向かっていたゾロはサンジの姿を認めると歩みを止めた。
明らかに居心地悪そうに、視線を逸らしている姿にサンジは気まずく思いながらも近づいていく。



そのサンジの姿を見て、ゾロが叫んだ。

「止まれ!」

サンジは驚いて立ち止まる。
微妙に視線をずらしたゾロが、吐き出すように叫ぶ。

「来るな!お前、もう来るな!」

言葉の激しさに反比例し、表情は大事なおもちゃを取り上げられた子どものようだった。
涙が、見えない涙が零れて落ちているようだ。

「来るな・・」

サンジは、真っ直ぐゾロを見ながら歩き出し頬に指で触れる。

「触るな・・」

振り払おうとするゾロの手を掴むと、ますますゾロは顔を俯けそのまま膝を付いた。

「触るな・・・・優しくするな・・・・俺は、弱くなっちまう・・・」


サンジは同じように膝を付くとゾロを抱きしめ、埋めた首から少しずつ移動して頬を掠めてキスをした。
初めて触れたゾロの唇は、乾いて冷たくて、震えていた。


「俺は・・・・」

何を言おうというのか。
ゾロとどうしたいとか確実な思いがあるわけではなかった。
それでも、ゾロの拒絶は受け入れられない。
もっと、お前を知りたいと、瞬間そう思った。

投げられたゾロの言葉は、激しい口調でサンジを拒絶して、同じ強さでサンジを呼んでいた。
言葉にも気配にもどこにもない想いだったけど、それはまるで空気のようにサンジの中に入ってきて胸をざわつかせた。

言いかけた言葉は飲み込んで、只ゾロの体を抱きしめた。それが今の自分の気持ちに一番近いと思ったからだ。
こんな感情なんて言うか知らない。
只、こうやって抱きしめて守って側にいて触れたい。



日が翳りお互いの顔が見えなくなって、漸く立ち上がって黙って並んで歩いた。
ゾロの家について、二人で中に入った。

電気が点いて眩しさに目を瞬かせた先にこちらに背を向けているゾロが見えた。
その背がやはりサンジを拒んでるような気がして、サンジは口を開いた。

「なぁ、お前のこと教えて。」

「お前に言えることなんてない。」

「なんでもいいよ。なぁ、お前好きな食い物なに?」

「・・・・」

「好きな色なに?」

「・・・・」

「好きな本なに?」

「・・・・」

「こんなとこから始めようよ。俺達。なぁ・・・」

言いかけた言葉が遮られた。

「俺はいらない。いらないんだ、サンジ。お前も噂聞いたろう。お前が困る。俺といると。
 俺は、これ以上駄目だ。ずっと一人で来たのに、一人でいられなくなる。
 俺は、このままでいいんだ。サンジ。」

ゾロの何時にない雄弁さが心情の切迫さを知らせる。
サンジは胸に迫るものを押し留めて、ゾロと名前を呼んだ。

「ゾロ」


その一言に今の想いを込めた。


ゾロ・・・・そんなに肩肘張るな
ゾロ・・・・一人じゃない
ゾロ・・・・もっと頼ってくれ
ゾロ・・・・側に居させてくれ
ゾロ・・・・一緒に居たい


そして、その想いは全てサンジの願望だった。ゾロの側で一緒にいて、一緒に喜んで笑って悲しんで怒って。
駄目なのか、ゾロ、望んじゃ駄目なのか。


「ゾロ」


「・・・呼ぶな!」

すごい勢いで叫ぶと、ゾロはサンジの肩を掴み引き摺るように戸口まで行くと、外へ突き飛ばしそのまま戸を閉めた。

背でどんどんとサンジの拳に揺れる戸を抑えた。この戸はゾロの理性。ゾロの守りの壁。
この中に入れてしまえば、もう止められない。

どんどんサンジの側が居心地がよくなって、一人で生きられなくなる。それでもきっと一緒にはいられないのだ。居させてもらえない。
あの引き裂かれるような痛みは嫌だ。
側に居て欲しいと、受け入れれ欲しいと思うものとの別れは、もう十分にした。これ以上は堪えられない。

堪えられないんだ。

ゾロは静かになった戸を背に座り込むと、膝を頭の中に入れて声を殺して泣いた。
母親が死んで以来の痛みだった。

後から後から溢れる涙に息継ぎすら危うくなる程に、声を殺した。まだ、戸1枚を隔ててサンジがいるかもしれない。サンジに気づかれたくない。


涙が出れば出るほど、思い知らされる。

手遅れだ。
こんなに痛い。

サンジを遠ざけることが。こんなにも。



今すぐに戸を開けて、サンジを呼び戻したい衝動を腕で体を抱いて抑え、体を丸めて堪えた。
声は疾うに箍を乗り越え好き勝手に溢れ出していた。



*******




鳥の声で目を覚ました。
薄く目を開ければ、床の木目が見えた。

あのまま、玄関の戸の前で丸で胎児のように縮こまって寝ていた。
涙は頬で乾いて皮膚を引き攣らせた。


窓を叩く鳥の嘴に、静かな朝に昨日の出来事が悪い夢だったような錯覚を覚えて、ゾロは体を起こした。
それでも、夢じゃない。この痛みはココにある。

ツキツキと痛む胸を抑えながら立ち上がると窓を開けて、鳥達にパンくずを撒いてやる。
啄ばむ姿は愛らしく、ゾロの心のささくれを一つずつ取り去ってくれる。

窓枠に腰掛けてじっと見るゾロの目からはまた涙が溢れたが、それは、痛みを伴うものでなく諦めて過去に閉じ込めようと決意した決別の涙だった。




*******




閉ざされた戸に縋って叩いて時間が過ぎた。戸の内側でゾロの息遣いが聞こえる気がするのに、気配がするのに。ぴたりと閉ざされたこれはゾロの心か。叩いても叩いても届かない。

キスをして受け入れられたと思ったのは、浅はかなな自分の都合のいい一人よがりだったのか。たった木の板一枚が鋼鉄の扉よりも堅くサンジを拒んだ。

木目に指を沿わしながら、背を向けて空を見上げた。
無数の星が瞬いて綺麗だ。綺麗で泣けそうだ。

戸に背を預けて脚を投げ出してタバコを咥えたサンジは、薄く煙を吐き出しながら深く溜息を付いた。

俺は
ほんとに
お前の側にいたいと、思ってんだけどな。


・・・ゾロ



俯けば、ぽたりとズボンに染みを作る液体。
情けねぇな。俺は。

ぐっと拳で涙を拭うと、仕切り直しだ、俺は諦めないからな、と扉に向かって誓うととぼとぼと歩きだした。
きっと道がある。あるはずだ。それを探すために、今は背を向けてサンジは歩きだした。




*******


朝早くサンジは行動した。

部屋を抜け出し、一番近い大きな街へ。
バスを乗り継いで着くのは昼か。窓の景色を見ながらサンジは寝不足で痛む目を指で押した。
指で圧迫するだけでは取れないが、こんな痛みはなんでもない。この胸の中で込み上げるようにぐるぐるし続ける思いに、息がつまりそうになるのを深呼吸をして逃す。

街の中心にある図書館で、目当てのものを探す。
6年前。
事件。

人が死んでいる筈だ。

大きなテーブルに過去の新聞を広げて隅から隅まで目を通す。

大きな町では珍しくないかもしればい。
それでも13の子供が人を殺したとすれば、結構な騒ぎになるはずだ。
サンジは新聞を諦めて、ゴシップばかり扱う雑誌のバックナンバーを探した。でも、公共の図書館にそれは期待できなかった。
サンジは、出版社を訪ねて頼み込んでバックナンバーを見せてもらった。
膨大な量の資料に、一瞬ひるんだが。それでも、時間がある限り見続けた。
一日で見れる量は知れてる。サンジは、全部見終わるまで来ることを告げてその出版社を後にした。
俺は、諦めねぇ。


休みの度に出掛け一日戻らなかった。休みになると朝早くから出かけるサンジを、みんなが揶揄ったが、聞き流した。

一々構ってられっか。俺には大事なもんがあんだ。
胸の中で毒舌を吐きながら、次の瞬間にはゾロの顔を思い浮かべた。
そうだ、大事なもんがあんだよ。


そんなサンジの後ろ姿を、同じ厨房で働くみんながにやにやと見ていた。




*******


ゾロは、久しぶりに街に来た。少しの日用品とパンと塩を買いに。それは、街にあるいつのも雑貨屋で事足りる用だった。
棚から必要なものを手に取っていると、カウンターで話す声が聞こえた。

「なぁ、知ってっか?最近サンジ街にいい奴が出来たらしいぜ?休みのたんびにいそいそと街へ行くんだぜ。畜生いいよなー。」
「へぇーサンジに恋人がねー。あいつ、結構面食いだから、すんげぇ可愛いに違いないぜ。」
「若いやつぁいいよなぁ。」

それは、なんでもない会話。下世話な世間話だ。
それでも、サンジの名前が出た途端に、手にした瓶を落としそうになった。心臓が痛い程鼓動し、体は固まったまま、その声がする方へ全身に神経が向いた。

「いっときよ、あの外れんとこに行ってたみたいでよ。また、変わった奴と関わってるって思ったけど、まぁ、好きな子の一人でも出来りゃ、安心だよ。これで、あのバラティエも安泰だね。」
「外れんとこって、あいつか?あの緑の髪した。そういや、ここにゃ、くんだろ。そいつ。どんなんだよ。親父。」
「どんなって言ってもよ。喋んねぇし、愛想ないガキだぜ。ま、客には変わりないけどよ、金払ってくれんだし。」

そう言った、雑貨屋の親父がギョッと目を見張った。
何時の間にか、カウンターで話す男の後ろに、今話題になったばかりの男が立っていたからだ。

「・・い、いらっしゃい。」

話していた男たちも慌てて店を気まず気に出て行った。
額に汗を掻きながら、レジを打ち、金額を貰ってお釣りを返す、そんな動作をしながら様子を伺えば、ゾロは、顔色一つ変えず、じっと待っていて、袋に入れられた荷物を持って出て行った。
言葉は一言もない。

「ほんと、愛想のないガキだぜ。」

ゾロが店を出て行ったのを確かめて、親父が呟いた。




ゾロは、かさかさと鳴る荷物も擦れ違う人々の顔も見えず、只、ずんずんと歩いた。
早く家に帰りたい。





泣いてしまいそうだ。




唇を噛みながらも、頭を回る言葉。


   サンジに恋人が

   休みのたんびに街へ




がんがんとする。
喉が渇いて、唾が飲み込めない。

サンジとキスをしたのは、そんなに過去だったか?
もう、次を見つけたのか。その程度なのか。

その・・・


「はっ」

何を言っている。好きだといわれたわけでもない。友人の範疇の話だ。しかもサンジの手を振り払ったのは俺だ。何を今更傷つく必要があるんだ。サンジは優しい。女が放っておくわけがない。


街外れの道から外れて、いつもの近道に入った。どんどん早足になって、殆ど走るよう抜けた。
家が見えて、ほっとした途端、躓いて派手に転んだ。

荷物が散らばって、肘と膝を強かに打った。
頬を土の地面で擦って、口に砂が入った。

痛みで動けず、そのまま呻いて肩を震わした。
涙が出るのは、痛い所為だ。

痛い。
痛い。

膝も肘も。

でも、一番痛いのは





心だ。




 

******






休みの度に出かけた出版社で見つけた記事は、どれもこれも面白おかしく着色されて、事実がどこなのか見えないほどだった。それでも、それを頼りに新聞記事を見つけ、そこに載る僅かな情報と、週刊誌の誇大記事の中からサンジは朧げに事件の内容が見えてきた。そして、はっきりさせるために、ゾロが通っていた学校を突き止め、その頃のゾロの友人だという男にやっと会える事になったのだ。

待ち合わせは、一時。
街の小さなカフェで。

目印を聞けば、直ぐ分かるといった男は、確かに特徴的な鼻をしていた。
先に向こうがサンジを見つけ、声を掛けてきた。


「あんたが、電話くれた人か?」

「ああ。サンジだ。よろしく。」

注文を取りに来たウエイトレスに、コーヒーと言って追い払い、それが来るまで互いに口を利かなかった。
二つ運ばれてきたコーヒーに口をつけるでもなく、男がウソップが口を開いた。

「あんた、ゾロとどういう関係なんだ?興味本位とかなら、俺ぁ帰るぜ。」

「そんなんじゃない。俺は、どうしてゾロがあんなに人といるのを嫌がるのか。どうして、一人で寂しくあんな場所で暮らしてるのか。どうして、あんな目をしているのか。どうして・・・・俺を拒むのか。それを知りたいんだ。」

「・・・・・・」

「もっと楽しい思いをしてもいいんじゃないかと思うんだ。もっと歳相応に笑っても。あんな諦めたような目をして、俺はどうして何も出来ないんだろうって。それが、一番悔しいんだ。」

「でも、ゾロはあんたに知って欲しくないかもしれない。」

溜息交じりにウソップが、サンジを見ながら呟いた。

「それでも、教えてくれないか。俺は、あいつをほっとけないんだ。」


ふうと息を吐いて、椅子に体を預けて俯いたまま、それでもウソップは話始めた。



*******




その頃近所では不審者が出没し、女性が襲われる被害が続いていて、学校でも早く下校して一人で外出しないようにと注意がなされていた。しかし、それは、女子に限ったことで男の俺達には関係ねぇよなと、ウソップは隣の席のゾロに話かけた。
ゾロは担任に隠れるように、ああと頷いて見せ、俺なら返り討ちにしてやると竹刀を振るまねをした。その頃ゾロは、小学校のころから始めてる剣道では、ジュニア部門では敵なしと言われていた。

確かになと、ウソップも同調して笑っていた。
確かにゾロは強かったんだ。俺なんかよりずっと。


その日は道場での練習日で、ゾロはいつものように練習をして、いつもの時間に道場を出たらしい。先生にさよならと手を振って確かに帰ったのに。ゾロは家に帰らなかった。
俺は、夜遅くにゾロの家からの電話でそのことを知らされた。俺にゾロの行くとこ知らないかと。でも、俺も学校の帰りに道場の前で別れたきりだった。知らないと答えると、電話の向こうで溜息とも泣き声とも付かない声が聞こえた。

ゾロが見つかったのは、二日後だった。
ふらふらと道を歩いているのを、探していた警官が見つけた。
ゾロは、道場を出たままの格好で歩いていた。彼方此方汚れ、顔に痣を作り、服には血が飛び散っていた。
直ぐに他の警官に連絡すると共に、今までどこにいたのかと聞く警官に、後ろを振り返り指をさした。

広がる草原の向こうに何かモノが置いてあるようにみえ、警官がゾロを置いて近付いて見れば、それは、無残に滅多打ちされ、顔貌も分からないほどに顔を潰された男の遺体だった。警官はその姿と少し離れたところにいるゾロと、交互に目線をやりながら信じられないものを見たような顔をして、他の警官が来るのを待った。

死んでいた男は体つきから、比較的若いと推測されたが。それ以上のことは分からなかった。
その男は、それまでの被害者の供述から、探していた不審者の可能性が高かったが、顔が潰れていたため確認が取れなかった。それよりも何よりも、一番知っているはずのゾロが口を閉ざして何も語らなかったので、事件は歯切れの悪い終り方をして、憶測だけが一人歩きした。

    不審者にゾロが襲われたって?
    でも、男だろ?
    
    そいつと知り合いだったんじゃねぇの。
    二人で遊んでたんだろうよ。
    そんで喧嘩して、殺しちまったんじゃねぇの。


    不審者見つけて、捕まえようとしてもみ合って、殺しちまったとか。


人の口は際限がない。
事実を知るものが何も言わないので、興味本位に格好の標的となって、あちこちでこの噂で持ちきりになった。俺だってその噂を信じた訳じゃない。ゾロに会おうとしたけど、会えなかった。体調が悪いと病院に入ってて、いつの間にか引越しちまったから、俺だって真実は分からなかったんだ。


一度、そこで口を噤んだウソップが、サンジの目をじっと見て確認するように言った。

「お前、ゾロを傷つけないよな。」

微動だにせずにサンジを見つめるウソップの真摯な目に、負けずにその強い視線を受け返し、ああと、短く答えた。
それは絶対ない。俺は、ゾロに笑って欲しいんだと言えば、ぐっと握り締めた手をテーブルの上に置いて、ウソップが顔をサンジに近づけた。サンジも釣られるように近づけると、小さな声でウソップは囁いた。


「ゾロは、あいつに捕まってたんだ。見つかるまでの間。あいつは、ゾロを空家に閉じ込めて自分の欲望を満たすためにゾロを使ったんだ。あいつは、本当に変態野郎だったんだよ。」
「・・・それ・・・って・・」
「なんで、俺が知ってると思う?・・・俺の彼女が病院の娘でな。遊びに行った時に大人たちが話してるのを聞いちまったんだよ。何も言わないのはその所為だって。あちこちに酷い傷があって、ゾロは本当に暫く喋れないくらいにショック状態だったらしい。だから、警察も大きくしなかった。未成年の事件だし。正当防衛になるだろうって。表の噂の方がゾロにはマシだったんだ。でもな。俺に言わせりゃ、そんな勝手なこと言う大人も同罪だと思うぜ。人殺しだって指差す奴だって居たんだから。」
「なぁ。あんた、ゾロ守ってくれよ。俺には出来なかった。約束してくれよ。なぁ。」

悲痛な色をした目でサンジを見るウソップに、サンジは心の整理をつけながら、それでも真っ直ぐに見つめて、

「守るよ。そのためにココに来たんだ。約束するよ。」

頼むよとテーブル越しに手を伸ばし、サンジの手を握り締め上下に振って、頭を下げた。
サンジは、心からゾロを思いやるこの男の思いにも応えるためにも、もう一度ゾロに会おう、会わなければと心に決めた。

席を立って歩きかけ振り向いて、まだそこに座るウソップに、

「今度は二人で会いに来るよ」

と笑って手を挙げて店を出た。歩く足はどんどん速くなり、殆ど駆け足のように進めながらゾロを思った。

ああ、今すぐお前の顔が見たい。



*******




泥だらけの荷物をテーブルに投げて、ゾロはバスルームへと行った。口が砂でじゃりじゃりする。泣いた目が腫れぼったく熱を帯びている。蛇口を捻って冷たい水を出して顔を濡らした。熱を持った目が気持ちいい。口を開けて水を受け止めて吐き出す。頭を濡らせば、逆上せた思考が冷やされる。

何をうじうじとしている。こっちからサンジの存在を切ったのに、それでもサンジが自分の傍に居てくれるとそんな都合のいいこと思ってたのか。

いや、何処かで望んで居たのだ。

こっちがどんな酷い事を言っても傍に居るといってくれると、そんな都合のいい思いをサンジが持ってると、何時の間にか期待していた。

サンジは、離れていかないと。
そんな甘い期待を。

ザーザーと雨のように水が降り注ぐ。耳元で水の流れる音がして、それが血液を送り出す動きと同化して、ゾロの気持ちを落ち着かせる。



ざぁざぁざぁ

どくどくどく




ざぁざぁざぁ

どっくどっくどっく



自分の出した答えだ。今更傷ついてどうする。
サンジがどうしようともう、俺には関係ない。
もう、終ったんだ。また、元の生活に戻るだけだ。
明日には、元の俺に戻る。サンジを知る前の俺の。
明日からは、もう、見っとも無くも取り乱したりなんかしない。
今だけだ。


シャワーの冷たい水に紛れて、暖かいものが頬を滑って落ちても、ゾロはもう構わなかった。



俺は


俺は



サンジが好きだったんだ



既に過去形でしか言えない想いを自覚したゾロは、膝を折って座り込んだ。シャワーの音に抑えようのない嗚咽を隠して、流れ落ちる水はゾロの声と心を覆い隠して、いつまでも流れては排水溝に消えた。











    暗闇の中、男の手が伸びてゾロの体を捕まえた。
    殴られて頬が痛くて、縛られた手がぎしぎしと悲鳴をあげる。
    散々、痛めつけて抵抗のやんだゾロの体を、男は易とも簡単に組み敷いて後ろから犯した。
    殴られたよりも数倍もの鋭い痛みに悲鳴を上げれば、
    嬉しそうに後ろで男が笑って、もっと叫べと腰を打ちつけた。
    穿たれる度に込み上げる嘔吐感を、歯を食いしばって堪えても、その間から息と共に洩れる声。
    痛い。止めて。許して。言える言葉は既に言い尽くし、どれも男には届かなかった。
    なんで、なんで俺がと、涙で滲む目で揺れながら壁のコンセント口の小さな穴を見つめた。
    何かを見ていないと気が狂いそうだった。

    隙を見て、男から逃げた。

    走っても走っても後ろから追いかける音がする。
    自分の胸まである草を掻き分けながら、必死で逃げる。
    早く。
    早く。
    早く。
    来る、来る、来る。
    息が苦しくて呼吸が上手く出来ない。
    でも、止まったらだめだ。
    あいつに捕まる。
    音が、
    音が近づく。
    あいつの息遣いが聞こえる。
    追いつかれる。



    だれか・・・

    だれか・・・


    苦しい息の下で必死に助けを求めても、誰もいない。届かない。
    段々と音が大きくなって、腕を捕まれて引き倒された。男が馬乗りになってゾロの首を締めた。
    ばたばたと苦しくて、動かした手が掴んだ石を何も考えずに男の頭に振り下ろした。
    厭だ。嫌いだ。お前なんか消えてしまえ。
    何度も何度も。男の手が首から離れ、ゾロの横に倒れても男の顔を打ち続けた。
    男の存在を消すように。

    振り下ろす度にゾロの手が真っ赤に染まり、顔にも服も男の血で汚れ、
    そうしてやっとゾロははっとしたように石を投げ捨てた。
    目の前の男は血に染まって動かない。

    もう、男はいないんだとゾロは、ほっとして立とうとしたら腕を掴まれた。
    真っ赤な手がゾロの手を握って、潰れた顔から二つの目が真っ直ぐゾロを睨みつけ、口が開いて何かを言っている。
    驚いて声も出ないゾロに、体を起こして男が言い続ける。

    「お前は、逃げられない。ずっと。」












「うわぁーっ!!」


叫び声を上げて、ゾロは跳ね起きた。周りを見れば自分の部屋の自分のベッドの上だった。
どくどくと心臓が激しく脈打って、肩で息をしても空気が上手く入ってこない。喉がひり付いて、全身に汗を掻いて喉を伝って流れる。顔を覆えば、その手が細かく震えていて、それをぐっと握り込んで押さえつけた。

  
    お前は、逃げられない
 
    ずっと


男の声が耳の底で繰り返しゾロに囁いて、忘れるな、過去を忘れるなと釘を挿した。耳を塞いでも頭の中で響く声は止めようがなかった。その声と自分の呼吸の隙間から、どんどんとドアを叩く音がした。何度も繰り返し繰り返し。
耳に聞こえた音がドアを叩く音だとやっと認識したゾロは、のろのろとベッドを降りるとシャツを着て、ジーンズに足を通して、鳴り続けるドアの前に立った。

誰だと言いかけて、ドアの向こうからサンジの声が聞こえ、ノブに伸ばしかけた指が止まった。


    サンジ



今見た夢が、ぞわりとゾロを覆う。伸ばした手を見れば、血まみれの手と重なる。
ダメだ。俺は、俺は。汚れてる。

「ゾロ、居るんだろ?話を聞いてくれ。ゾロ?」

サンジの声が続いている。
会えない。こんな手をしたまま、会えない。
振り返れば、血まみれの男が笑っている。



    お前は、逃げられないんだ。俺から。



手を伸ばす男から逃げるように、ゾロはそっと戸の前から離れると、キッチン横の裏口から抜け出した。
どんどんと叩く音とサンジの声が小さくなる。サンジに見えないように死角を選びながら、家の横に広がる草原を足早に進んでいく。所々に開いた穴を器用に避けながら、振り返った家が小さく見える処まで来て、ゾロはやっと足を止めて息を吐いた。

もう、音も声も聞こえない。風が草を揺らす小さな音が聞こえるだけだ。その場に膝を折り手を付いて座り込んだ。まだ、話をしようと言ってくれるサンジが嬉しかった。そして他に好きな子が出来ても、自分を気にかけてくれるサンジの優しさが堪らなかった。突いた掌の中に土を握り締め、行き場のない感情を叩きつけるようにドンと一度地面を叩いた。そうやって、爆発しそうな感情をぶつけて逃がした。

感情の波が去ると、ゾロは大きく息を吐いて、空を見上げようと後ろに手を付いた。否、付こうとした。がそこに有ったのは、柔らかな土でなくただの何もない空間だった。手に預けた重みはそのまま穴に吸いこれ、倒れ込む形のままゾロは背中から穴に滑り落ちていった。





******



何度叩いてもゾロからの返事はない。居ないはずはない。ゾロは滅多に外へ出て行かないし、唯一出かける母親の墓には今行って来た。

寝てるのか?それとも居留守か?どうやっても俺を避けるってんならと、サンジを足を振り上げてドアを思い切り蹴り飛ばした。重い板の戸が蝶番を壊して内側へと倒れた。
酷く大きな音がしたのに、出てこないゾロ。サンジは急いで部屋を覗いて回った。何処にもゾロの姿がない。
ベッドは、仄かに暖かく今さっきまでここにゾロが居たと告げる。
サンジは、舌打ちをしながら歩きまわり、裏口を見つけた。

ここから出たか?

戸を開ければ、そこには原っぱが膝ほどの背の低い草を揺らして佇み、ゾロの姿など何処にも見えない。とっくにこの原っぱを抜けてどこかに行ってしまったのか。
ゾロ、お前は何処にいるんだ。

聞こえないと分かっても、ゾロの名前を呼んだ。
何度も何度も、呼べば出て来そうな気がして大きな声で名前を呼んだ。風が草を揺らして通り道を見せながら行き過ぎる。同じような緑色をしているのに、サンジの求める色は見えなかった。





******



落ちた衝撃で少し気を失ったらしい。
目を開ければ、暗くて一瞬自分が何処にいるか分からなかった。落ちた時に強かに打ったのか、肩が痛く手は酷く擦りむいていた。立ち上がって登ろうとすれば、腕に力が入らず、いくらも体を上に上げる事が出来ない。
左手一本で登ろうとして柔らかな壁面が崩れ、バランスを崩して滑り落ちた。その拍子に足首もやって、ずきずきと響いて立ってることも出来なくなった。

八方塞って、このことか。
座り込んで頭を抱えて、溜息を付いた。見上げた穴の出口は、小さくて穴が深いと告げる。広さだってゾロが両手を広げれば付いてしまうくらいの狭さで、怪我さえなければ登ることも可能かもしれない。
でも、ゾロはこれでよかったと思ってしまった。
こうやって、こんな穴ん中で誰にも知られず消えちまってもいいかと。

それに、これから先サンジと会うのも、会うかもしれないと思って生活するのも、堪えられそうにもないし。

遠くでサンジの声が聞こえた。

思わず、サンジと呼ぼうとして開きかけた口を閉じた。
店での会話が蘇る。


  サンジ、隣町に恋人が居るってな。
  なんでもえらく可愛いらしくって、今日も会いに行ってるって?



  可愛い恋人がいる。

  コイビトガイル。



ちゃんと相手がいるのに俺なんかに構ってちゃだめだ。
サンジの横には可愛い女の子が似合う。
二人で店でも出して幸せになるべきだ。
俺と居てもサンジは幸せになんてなれない。

なれないんだ・・・・

ゾロはサンジの声が段々と小さくなるのと耳を塞いで唇を噛み締めながらやり過ごした。
きっと俺が居ないほうがみんな上手くいくんだ。
ずるずると土の壁に背を擦りながら座りこむと、これ以上丸くなれないというほど自分の身を抱く腕に力をこめた。

湿った土は布を通して体を冷やす。
座った尻から背中から伝わる冷たさ以上に、心が凍えるように寒くてゾロは、ガチガチと歯を鳴らした。

届かなくなった声が失った存在。

もう、届かない。なくした。なくした。
ぽっかりと穴が空いたように虚しさと寂しさと叫びたいような焦燥感。


誰もいない。
ひとりぼっち。


俺はもう、誰もいらない。
サンジ以外いらない。
サンジでないなら誰もいらないと。


このまま、ここで消えてしまうおうと、ゾロは思った。所詮、自分は何処にも居場所のない人間なんだ。
サンジが行ってしまえば、俺が居ないことに気づく奴なんて誰もいやしない。
この穴のことも誰も知らない。誰も気づかない。


何時の間にか眠ったのか、穴の中は暗く自分の手が朧気に見える程度だった。
痛めた肩と足は熱を持って腫れ上がり、前よりも痛くなっていて、動くことも億劫だ。


見上げれば何時の間にか月が、穴で区切られた丸い空の真ん中に浮いていた。
綺麗なまん丸な月は、金色に輝いていてその色がまた、あの男を思い出させてゾロは苦笑した。何を見たってあいつに結びつけちまうんだな。
遠慮がちに光る月の色と、それに似ているけれど陽を受けてキラキラと光る金髪とが重なって、サンジ、ともう呼ぶこともない名前が唇を形作る。

声に出さずに呟いて、こんなとこで誰が聞くわけでもないのにと自嘲した。
最後くらい、名前を呼んでもいいじゃないか。あの金色に輝く月をあいつに見立てて呼んだって、誰も聞いちゃいないさ。
声が出るうちに呼べるうちにと、ゾロはサンジの名前を呟いた。

「・・・サンジ・・・・」




  
    お前と生きていけたらどんなにいいだろう。




月を見上げたまま、来ない筈の未来を思い描いた。
二人で一緒に同じものを見て、笑って、サンジの作った料理を食べて、そんな他愛もない日々。
そんな日々でさえも、叶わない。


向かいの土壁にあの男の顔が見えた。捻た顔で笑いながら、手を伸ばす。
その手がゾロの頬にまで伸びて、そのまま絡めようと近付くのを首を振って遠ざける。

例え俺がここで終っても、お前のとこへなんか行かない。
傍に落ちている石を投げつければ、その顔はふいっと消えて、只の暗闇に変わった。





*******



ゾロに会いに来たのに、会えないという焦燥感は胸を圧迫して、追い立てられるように走った。
もう一度行った母親の墓にも、周りにも、街の唯一姿を表すという雑貨屋にも、ゾロの姿は無かった。

ゾロ・・・・


ゾロは行きそうな場所を当たって何処にも居ないゾロを探して、ゾロの家まで戻ってきた。
ゾロの生活範囲はなんて狭いんだ。数箇所を探せば終ってしまうほどに。

こんな世界で一人で暮らしてきたのか。


サンジは誰もいない家に入って、改めて中を見渡した。
小さなキッチン。
小さなテーブル。椅子は二脚だけ。

何も他にない。
写真も。本も。雑誌も。

生活するだけのためだけのものだけが溢れ、ゾロの趣味や好みを教えてくれるものが一つも見当たらない。
ここにゾロ自身が居なければ、誰が暮らしていたのかさえも分からない程に色がない。ゾロの色が。


テーブルの上を指でなぞって、ゾロの生活の一部でも知りたいと思っても何も語ってくれない。
ぐっと手を握りしめて、俺はゾロから聞くと決めた。ゾロを探して、ゾロのことを全部聞く。
そう決めた。
俺は、ゾロを失いたくない。


俺は、ゾロが

好きだ

好きだ。


初めて自覚した。
ゾロの傍に居たいとか。守りたいとか。
それは、全部、そうだったんだ。


ゾロが好き。


こんな簡単でシンプルなことだったんだ。



ゾロ、お前は何処だ?

何処に居る?




******




暗闇に戻った壁を見てると心が落ち着いた。見上げた月は、半分穴の端に掛かって見えなくなった。それでもその色があの男の影を追い出して、その隙間にサンジの顔が入り込んだ。

そのうちあの月も見えなくなる。
そんでお終いだ。

そう思って、痛くないほうの手を伸ばした。
指の間に光る金色は綺麗で静かで、胸の中に押し込めたサンジの顔と同じだった。

そのまま握りこめば手の中に閉じ込めることも叶いそうだが、もう、ゾロの中にはあの月を同じ色が胸いっぱいに占拠して、月の入り込む隙間などなかった。


月がその姿をほんの少し淵に残すだけとなった時、その反対側にまた月が現れた。否、月に似た金色に輝く丸い頭。 月をバックにその表情は見えないけれど、そのシルエットでそれが誰か知れる。


   サンジ・・・・




「ゾロか?そこにいんのか?」


名前を呼ばれた。二度と聞けないと思った声が耳に響いて、胸に突き上げるものが迫る。喉がひくついて、変な呼吸とも声ともつかない音が出る。パッと明るい光りがゾロの顔を照らしたかと思うと、ざざっと土と共に重い音が響いて、目の前にサンジがいた。

手を伸ばせば届きそうな距離で、ゾロを見たサンジがその体ごとぶつけるように覆い被さって、強い力でゾロを抱え込んだ。

「よかった。ゾロ。お前・・・・見つからなかったら、どうしようかと・・・・ゾロ。」

抱え込まれた頭はサンジの胸にぎゅっと押し付けられ、呼吸も苦しい程なのに、痛めた肩が悲鳴を上げているのに。その頬越しに感じる温もりがうれしくて、滲んだ涙をサンジのシャツに押し当てて誤魔化した。


何故なんだろう。
サンジのためを思って、諦めて、突き放して、辛い思いをして。それでも、こうやってサンジに触れれば全部溶かされちまうんだ。どう足掻いても、サンジを求めている心をどうすればいいのか、誰か教えてくれ。


背に回したい腕を抑えて、

「ここが、どうして・・・・」

分かったと一番の疑問を投げつければ、少し体を離して、サンジが少し得意気な顔をして、

「お前が逃げた時。逃げたよな?俺折角行ったのに。もう、お前に会ってもらえないのかと思った。でも。俺は嫌だったから、探したんだ。それこそ必死で。お前の行きそうなとこ、全部。でもちょっとしかない。お前の行きそうなとこは。こんだけ探しても見つかんないって、ぜってぇおかしいと思った。そしたら、浮かんだんだよ。最初に会った時のこと。穴に落ちたあんたの姿。俺、血の気引いちまったよ。お前、あんな穴たくさんあるっていってたろ?それのどれに落ちたか、どうやって探せばいいんだって。もう、俺必死よ。そんで漸く見つけた。あんたの滑り落ちた跡。」

一気に喋るサンジの声が心地いいと、思った。耳元で喋る声が胸からも響くような気がする。

「遅くなって、ごめん。」

そんな声がした。

ゾロは、はっと顔を上げて、言った。

「お前の所為じゃない。・・・・俺は、このまま見つからなくてもいいと思ったんだ。だから、助けも呼ばなかった。お前が見つけたことの方が、奇跡だよ。」

その言葉を聞いて、サンジは、何か言いた気に口を開きかけたがぎゅっと噤んで、一度息を吸った。

そうして、ゾロの目を真っ直ぐ見つめ、


「俺は、ウソップに会ってきた。」

その名前に、ゾロの肩が不自然なまでに揺れる。
全身で、サンジに次の言葉に聞き耳を立てているのがひしひしと感じられる。そんなゾロを安心させるように、そっと頬に触れるとそのまま撫でるように手を添えた。


「お前のことを聞いた。何があったのかも聞いた。お前が行方不明になってたとか、その間のこととか、全部だ。」

サンジから、語られる自分の犯した罪。それが、ゾロの胸に大きな針のように差し込まれる。知ってしまったのか。サンジは。あの事を。あの事実を。俺が殺したあの男のことを。そして、その男に何をされたのかも。
抱きしめられたサンジの肩越しに、男が笑ったような気がした。


    お前は逃げられない・・・・・


サンジの背に縋りつきたい手を懸命に抑えれば、その手を男が掴んで引きずり込もうとする。
下卑た笑いを顔に張り付かせたまま、ゾロの手首を掴んで離さない。


「・・・・俺は・・・俺はお前が、あの男を殺した事実より・・・・」


サンジの声が続く。辛そうに吐き出すように一言一言を紡ぐ。
殺したのは事実だ。サンジが戸惑っても当たり前だ。こうして、探してくれただけでもいいんだ。
もう、いいんだと口を開きかけたら、サンジが名前を呼んだ。

「ゾロ・・・」

その言葉の強さに男の影が消散する。サンジの目がゾロを見つめ、そこに責めも蔑みも哀れみもそんな感情は、一欠けらも見つからない。


「お前が、今・・・こうして生きて俺の前に居る、その方が大切だ。」


サンジの言葉に、涙が零れた。おずおず伸ばした手でシャツをぎゅっと握り締めた。
許されるのか。

誰かと生きるということ。
そうやって得る幸せ。

許されるのか。許してもらえるのか。
抱きしめられるということはこんなにも安心するものだと、ゾロはサンジに肩に顔を埋めて泣いた。


サンジの手がゾロの背中を優しく撫でて、その優しさにまた涙が零れた。


「なぁ・・・・ゾロ。俺。」

サンジの声が、耳の直ぐ傍でする。

「お前が好きだ。すげぇ、好きだよ。」


柔らかく胸の中に染み込む声。
ゾロが顔を上げれば、サンジが少し照れたような顔で笑って見ている。

ゾロは、流れる涙を一度手の甲で拭うと、ぎこちなく動く顔で懸命に笑みを作り、零れる嗚咽を飲み込んで、言葉を搾りだした。

「・・・俺も・・・・・すき・・・だ・・・サンジ・・・」

言える言葉は、それだけ。



小さな穴の中で、抱き合ったまま二人でお互いの気持ちが相手に渡って、融合して自分のところに戻るような感覚を感じた。
サンジから、ゾロへ。ゾロから、サンジへ。
そうやって、二度目のキスをして、サンジが、

「さ、出ようぜ。こんな穴ん中。」

そう言って、ゾロを立たせた。痛む肩に片手は力が入らず、足も無理だ。
やっと立って、それでも土壁に背を預けないと立っていられないゾロを見て、心配すんなと言ってロープを取り出し、ゾロを背負うと、サンジと共に落ちてきただろう縄梯子をそのままのぼり始めた。

「おい、大丈夫か?」
「平気。平気。俺って案外力持ちよ。」
「でも・・・」
「そんな事よりしっかり捕まってろ。」

ゆらゆらと揺れるサンジの背中か、心地よく。ゾロはそっと背中に半ば吐き出すように呟いた。

「ありがと。」

それは、助けてくれたこと、全てを知っても傍に居てくれること、何もかもに向けて、ゾロの精一杯の気持ちだった。

「ふっ、分かってんよ。」


サンジと出た穴の外は、すっかり夜の様相で、昼間より温度の低い風が気持ちよく吹いている。
それだけ時間の経過が想像できて、ゾロは肩の力を抜いて、座り込んだ。
ゾロを背負って登ったサンジも、息を整えると、


「さぁ。」


サンジが手を伸ばす。
ゾロがその手を握って、立ち上がる。


こうやってこれから、助け合って二人で生きていっていいんだと、ゾロはサンジの手を強く握った。


何時の間にか男の影がゾロから遠ざかり薄れて、その代わり金色に輝くサンジの影がゾロを覆う。


片足を引き擦りながら、サンジと歩くゾロの肩を抱いてもう一度キスをすれば、ゾロは、はにかむ様に柔らかく微笑んだ。
その目には、あのサンジを捕らえて放さなかった色が消え、新たな色でまたサンジを捕らえる。

「なぁ。お前の好きな食いもん教えてくれよ。」

サンジがそう言えば、過去の残像から解放されたゾロの顔は、楽しそうに笑った。












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長いお話にお付き合いありがとうございました。
この話は、書き始めてから一年くらい経ちます。丁度サイトの長さと一緒ですね。
この節目に完結することが出来てよかったです。
これからも、よろしくお願いいたします。



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素晴らしきものを頂き、恐縮です。そして、光栄です。
ありがとうございます!一周年、本当におめでとうございます。
もういいよって言われても、叫びます!ありがとうございます!!!(叫ぶなっ)
帽子屋より