雨の日は傘を持たずに
繋いだ小指。生まれる願い。ほんの小さな約束。続くであろう祈り。
ずっと、ずっと。
AM 8:15
11月はもう冬。
冬の朝は張り詰めた空気が清々しく、痛く。音さえも硬いものの上を滑るかのような響きを連れていた。
決して、それが嫌だというわけではない。むしろ好ましい。
しかし。
今日は朝から騒がしかった。
2階から響いていた物音は、同居している従兄弟の普段の様子からでは予想も出来なかった。。
いつも音を連れていないかのように、静かに静かに歩いている従兄弟。
口下手で人に馴染むことの苦手な、可愛い私の従兄弟。
ロビンは、嬉しいと同時に少し淋しいとも思った。
彼が帰ってくるそうだ。従兄弟は誰にも言っていないようだが、彼の父親であるレストランのオーナーから聞いた。
それに、従兄弟の様子を見れば一目瞭然だった。
遠い遠い異国の地から、永い永い時間を掛けて。
たった今、風のように出て行った可愛い、愛しい従兄弟。背中を見ることも出来なかった。
あの子はどんな服を着ていったのだろう。あの子はどんな顔をしていたのだろう。
玄関に立ち尽くす。
また静かな日常が戻ってきた。もう仕事に出なければならない。
ぼんやりしていられないとリビングに戻ると、テレビの中で滑舌の悪いスーツの男が自分の後ろに広がる画面を指差して喋っていた。
『本日午後より、俄か雨。』
AM 8:34
珍しいものを見たように思った。
遅刻確実。いつもの登校。
それでもノンビリ歩いていたルフィは、風のように駆けていく人を見た。
二つ上の幼馴染。いつも物静かにしている人だ。
サイフは持っているだろうが、特に鞄も持たずに駅の方へ走っていった。
右の口の中に含んでいた飴玉を左へ移す。口の右側には飴玉の甘さが染み付いていた。
そういえばと、ルフィは空を見上げた。
昨夜、義父であるシャンクスが酒に酔って喋っていた。
飛んでいるかと思っていた飛行機は、一つも見当たらない。
こういう、見つけてやろうと思う時には、上手い具合に見つからないものだ。ルフィは少しガッカリした。
眠気の混じった溜息を吐く。少し苛立っている。
飴玉をもう一度、口の右側へ戻した。そんなに時間が経っていないからか、左側は案外甘さが残っていない。
口の中を甘さで一杯にしてやろうと思っていたのに。
ポケットに手を入れる。取り出したのは飴玉。
悔しかったので、もう一つ舐めた。これでもう、口の中は甘くて仕方がないくらいだろう。
ここから空港まで。駆け抜けていったあの人は、いつも迷子になってしまうあの人は、無事に辿り着けるだろうか。
辿り着けずに戻ってくればいいのにと、また悔しくなって、ルフィは二つの飴玉を奥歯で乱暴に噛み砕いた。
勿体無いけれど、甘ければいいと思った。
AM 8:46
夜中も働いていたのに、また朝からだなんてウンザリだわと、ナミは思った。
朝の通勤のピークで、眠気と忙しさに苛々していた。
コンビニの中には朝から人が溢れている。皆同じように時間を気にしながら、陳列する品物の少なさに嫌な顔をする。
あんた達が邪魔で、新しいのを並べられないのよ。
ナミはレジから横目で見ていた。
時間を気にするくらいなら、早く来ればいいのよ。そしたら、もっと商品だってあったはずだわ。
少なくなったものは常時足されていく。一気に押し寄せるから無くなって、本来の種類の数から選べないのだ。
淋しい朝食、または昼食を取るがいいわと、ナミは客にありがとうございましたと笑い掛けながら思った。
電車が出る時間。一旦だが客が退く。そして次の電車まで、またピークだ。
頭を下げ、客を見送って一息。その時、コンビニの前を見慣れた緑頭が通った。
今の電車に乗るのだろう。走っている姿は珍しいと思った。
ああ、そうか。疲れていた頭が、少し背伸びしたように思う。
いつも着ているダボダボのTシャツではなく。履きすぎて破れかけたジーンズでもなく。余所行きの服。
そういえば今日だったわねと、ナミは少し頭痛のする頭で思った。
誰かから聞いたというわけでもないが、いつの間にか知っていた。そんな予感を感じていたのかもしれない。
それは勿論、今駆けて行った彼自身からだ。ふわりと笑った。
ピンポーンと音が鳴って、新しい客が店に入って来る。またピークの始まりだ。
爽やかに微笑みながら、いらっしゃいませと、ナミは客を迎えた。
AM 8:53
人は沢山いるのに、お気に入りの曲と自分の声しか聞こえない世界。
耳元で騒がしく鳴り響く音楽は、頭が痛くなるくらいのボリュームに設定していた。
提出しなければならない作品を、とうとう完成させる日が来たのだ。ウソップは自分に気合いを入れようと思っていた。
眉間に皺が寄り、俯き加減。周りはジャカジャカと聞こえる騒音に迷惑している。
しかし、そんなの知らないと、ウソップの頭の中はどこか遠くへ行っていた。
あの曲線をもっと柔らかくしよう。
細部にいたるまで気を抜いてはいけない。
ブツブツと言い聞かせるように、満員電車の中で呟いていた。
車内の放送も勿論聞こえなかったが、窓の外の風景から自分の位置を知る事は出来る。通いなれた道で、当然だった。
窓から外の様子を窺うと、ガラスに薄ボンヤリと自分の顔が映った。
寄せられた眉。耐えるような目。俯いている顔。肩には酷く力が入っているようで、まるで戦いを知らずに戦場へ行く怯えた人のようだった。
酷い顔だと、ウソップはガラスに手を触れさせた。俯き、もう一度顔を上げる。
自分の表情が少しでも変わればいいと思っていたが、変わるわけがない。しかし、同時に気付いた。
ガラスに触れた指の隙間に見慣れた人の背中が映っていたのだ。
見つけた瞬間、ただ疑問が生まれただけだった。どうしてこんなところに。
ふと思い出す。ウソップは腕時計の日にちを確認した。
そういえば今日は・・・そうだ、今日だった。
駅に行くまでの道から見えるレストランの2階。あいつが居なくなってから、開かなくなった窓が、数日前開いていた。
そうか、帰ってくるのかと思って、思い浮かべたのは確かこの背中だったはずだ。
ガラス越しに見える背中は、いつもと変わらずピッとしているのに、今日はそこに暖かな色を纏っている様に思った。
素晴らしく、美しいものに見えた。
この色だ。この色を使おう。
ウソップの中で鮮やかに広がっていくその色は、角度を変える度、また別の表情を見せる。
目を閉じた。瞼の裏に焼き付けて、その背中と色を忘れないように。
ウソップは今、耳元で騒ぐ曲さえ聞こえることのない、遠い世界を覗き込んでいた。
AM 9:22
ごーっと、音が空気を振るわせ伝わってくる。
小さな身体の何倍もある窓。美術館で見た大きな額縁のようだ。絵は大好きな飛行機。
ゆっくりと滑走路を走り出し、離れる。空へ。どこへ行くのか分からないけれど、きっと遠くへ行くのだと思うと淋しかった。
また、帰ってくるものもいた。来たのかもしれない。
力強く抱きしめられた。心臓の音が聞こえる。ワクワクしているからか、いつも以上に大きい音だ。
俺もワクワクしてる。
真ん丸い目で、空を飛び、海を渡ってきたものたちの姿を見た。
強い憧れ。嫉妬。そして畏怖。胸を強く打つ音は、それさえも伝える。
大丈夫だ。だって、俺がいるんだから。
声を知らないから、何も言えないけれど。動作を知らないから、動けないけれども。
大切そうに、守るように、健気に抱きしめてくれるから、きっと伝わっていると思った。
今はお母さんに手を引かれ搭乗の準備をし、そのままエスカレータまで歩いていく。
エスカレーターで入り口へ向かう途中、空港へ飛び込んできた男の人がいた。
もう寒いのに、汗を滲ませて。でも笑っていた。嬉しそうに。
大好きな人を見送りに来たのかもしれない。別れを告げに来たのかもしれない。いや、多分違う。
男の人は遠く離れているのに、その荒い息遣いが聞こえるくらい肩が上下している。
腕時計を確認して、空港の時計も確認して。キョロキョロと辺りを見回していた。
エスカレーターは下へ降りてしまう。男の人の、珍しい緑色をした頭がチョボンと見えなくなった。
会えたらいいな。きっと大好きな人を迎えに来たんだろうから。
片手で抱きかかえられていたから、少し落っこちそうだった。
すると気付いてくれたのか、抱え直してくれる。今度は前を向かせて抱いてくれた。一緒のものが見えるように。
隣は登りのエスカレーター。
誰も居なくて淋しいなぁと思っていたら、一人、また男の人がゆっくり上ってくる。綺麗な金髪だった。
煙草を吸いながら、手すりに背中から体重を目一杯掛けて。大きなバックの上に片足を乗せ、首を後ろに倒していた。
男とすれ違う時、逆さまの顔と目が合う。血の通わないこの身体が、ドキンとした。
きっとこの人だ。やっと会えるんだね。
エスカレーターを降りきると、トンネルのような道が伸びていた。
入り口を守る番人のように、濃い青の服を着た女の人が笑いながら、こんにちはと言う。再び強く抱きしめられた。
「チョッパー。もうすぐ、ひこうきだよ。おりこうさんにしてね。」
お母さんに言われたことを、そのまま真似ている。
俺はおりこうだから平気だと、微笑んだ。この顔が、微笑んでいるように見えたらいいと思った。
AM 9:27
何度時計を見たって、時間が早く過ぎるわけではない。戻るわけでもない。
ゾロは肩で息をしながら、自分を笑った。
右手を持ち上げて小指を見た。誰にも見えないものが、ここにある。
もう一度顔を上げなおし、見渡す。
この世界の中で、きっと自分は一番に彼を見つけられるだろう。眩いまでの色を。その輝きを。
瞬きはスローモーション。まるで幾つモノ絵から生まれる映像。
ゆっくりゆっくり。その世界に映える色を連れて。
上ってくるエスカレーター。その姿。目と目が合って、ふわりと微笑む。
目の前にやってくるまで、そこは誰も入れない。閉じた世界。ふたりっきり。
そっと頬に触れて。
「随分と別嬪さんになっちゃって、まぁ。」
なぁ、ゾロ。
ゾロは、心のままに笑った。喜びとともに、溢れるように。
AM 9:31
ピピピピ。
突然胸ポケットから、鋭い電子音が聞こえる。ゾロとサンジは向かい合ったままだ。
サンジは苦笑いを浮かべながら電話に出た。
「もしもし?あぁ、クソジジイかよ。」
クソジジイとはサンジの父親のゼフだ。家族と連絡をとるのは当然で、ゾロは静かに待つことを選んだ。
「何?」
「ああ、着いたよ。」
「今、空港。」
「え?店?」
「帰って早々かよ。」
「相変わらず人使い荒いんじゃねぇか、だからバイトも長続きしねぇんだよ。」
ゾロは溜息をついた。電話の向こうは家族。久々に帰ってきたのだから、当然だ。
嫉妬ではないだろう。でも、今自分が酷くつまらない顔をしているのが分かる。そんな自分が嫌いだと思った。
サンジが電話を切り、二人は後空港出口の自動ドアを潜る。ズシリと重そうな雲が空を覆っていた。外は雨だった。
「おいおい。久々の日本は雨かね。」
「雨だな。」
もう11月なのだ、冬の雨は小さな針のような冷たい痛みをつれてくる。空気も風が吹くわけでもないのに冷たかった。
「傘は?」
「どこをどう見て、俺が持ってるって?」
サンジの眉間に皺が寄る。ゾロにとって雨はどうでもよかった。それに、来る時は降っていなかったのだから必要なかった。
しかたねぇなぁと、サンジは再び携帯を取り出す。
ゾロはその様子を横目で見ていた。迎えでも呼ぶのだろうと思った。
「もしもし。じじい、俺。」
久しぶりなのに。これは無いんじゃないか。
「雨凄ぇんだけど。ああ。そっちも?」
小さい子どもじゃないんだから。家族家族ってよ。
「ああ。だから、さっきの話なしね。」
そりゃ、大事なのは分かるさ。でも、でも。じゃあ、俺はどうなんだろう。
「遅くなるってことだよ。」
え?
「うるせぇな。傘がねぇんだから、仕方ねぇんだよっ!ってか空気読めよ。耄碌クソじじい。」
・・・。
ゾロはサンジの顔を見た。帰ることなら出来るのに。タクシーだって走っているのに。
顔を顰めたサンジは、携帯をズボンの後ろのポケットに仕舞っていた。
「じじいの野郎、ガチャ切りしやがった。耳がめちゃくちゃ痛ぇ。」
ポカンとサンジを見ているゾロ。サンジはそれを見て笑った。
「何?それを狙って、傘を持ってこなかったんじゃねぇの?お前も共犯なんだぜ。」
そう言って、雨で少し濡れたゾロの小指に、自分の小指を絡ませた。
昔。二人が離れ離れになる時。そうしたように。
サンジの顔を見ていられなくなって、ゾロは急いで目を逸らした。不貞腐れていた自分が恥ずかしいと思った。
だから、雨が降る遠くを見た。出来るだけ遠くを。
「さて、ゾロ。」
少し顔が熱い。赤くなっているのかもしれない。ゾロは顔を背けたままサンジの言葉を待っていた。
「どこへ行こうかねぇ。」
繋いだ小指。生まれる願い。ほんの小さな約束。続くであろう祈り。
ずっと、ずっと。
そうしてやっと、届いた再会。
ゆーびきりげーんまん
うーそつーいたーら、はーりせーんぼーん、のーますっ
ゆーびきった
あーくーしゅーっで、ばいばいばい
まぁたあっした
明日は思ったよりも遠かったけど、今となってはどうでもよいこと。
「雨の日は傘を持たずに」end
「ないしょ」・・・サンジが帰ってくることをゾロは誰にも言ってない。
「ゆびきり」・・・過去の二人の別れ際。頻繁に出現する小指(笑)
11月の再会ってことで・・・でも、直接誕生日と繋げてない・・・(笑)
ロビンちゃんのみ、血縁関係あり。
チョッパーに関しては、お人形さん。分かりました?(聞くなよっ)
もっと子ども時代のころを書きたかったなぁ。誕生日と繋げてもよかった。
それに本当はもっと人を出したかった。
欲張りはいけません。それにしても、楽しかったなぁ。
この時間を私にくれたゾロに感謝です。この企画を一緒にして下さったミナトさんにも感謝!
そんな中生まれたお話です。